ザー……雨が降っている……。










 

ザー……君が隣にいる……。









 

ザー……二人で一つの傘……。









 









 

-想い出の傘-









 









 









 










 









 

日和

でね、その人こけちゃったんです


思い出し笑いをして、クスッと微笑む。

北川

で、日和ちゃんはこけなかったの?

日和

やだなー、センパイ、そこまでドジじゃないですよ

北川

なんだ、面白くない


肩をすくめてみせると、

日和

ひどいです

と、拗ねて見せた。

日和

えへっ☆

でも、怒った顔も長くは続かず、破顔する。



日和ちゃんはすごく照れ屋だから、「雨が降っている」という名目でオレの隣にいれることが嬉しいのだろう。



普段は手を繋ぐことすら恥ずかしがるのに、今日はピッタリと身体を押しつけて来る。



柔らかさと温もりが右腕に感じられて、日和ちゃんの吐息がくすぐったかった。

日和

センパイ……もう少し歩きませんか?

北川

うん

雨が降ると君はいつも街に連れ出してくれたっけ……。









 

玄関の隅には赤色の、少し大きな傘が掛けてある。



出かけ際にふと視界に入れてしまい、オレは足を止めていた。



日和ちゃんとの……想い出の傘。



君が去った今じゃ……一人で使うには少し大きすぎる傘。










 

北川

そろそろ十月を迎えようとしていたある日、オレの下駄箱に手紙が入っていた。



差出人は不明。



文面は「放課後、正門の東にある3本目の木の裏側を見てください」とだけあった。



最初、悪戯かと思った。



捨てようとも思った。



……が、こんな手紙は初めてで、好奇心に駆られ、その場所まで行ってみたのだった。









 

北川

……っ!?

例の木の裏を覗くと紙が張ってあり、「体育館裏のフェンスの下にある大きな石の下を見てください」とある。









 

その場所に行き、石を動かすと「自転車置き場にあるゴミ箱の横を見てください」とあった。









 

「掃除用具室のバケツの中」……。









 

「音楽室にあるピアノの裏側」……。









 

「美術室、入って正面に掛けてある絵の裏」などなど……。









 

北川

……










 










 

指定場所を行ったり来たりを繰り返しているうちに陽は随分と傾いた。



途中、馬鹿らしくもなり、やめようとも思った。



しかし……どうしても、諦めより好奇心が勝る。



その先にあるのは何なのか、一体誰がこんなことをするのか、何のためにこんなことをするのか、興味があったから。



そして……。









 

「あなたの下駄箱をもう一度、見てください」









 










 

言われたとおりに下駄箱を見ると一枚の紙が入っていた。



そして、こう書いてあった。









 

「後ろを振り返ってください」









 

振り向くとそこには見知らぬ女の子がいた。

北川

え? この手紙の犯人って……君?

日和

は、はい!

北川

どうしてこんなこと……悪戯かい?

日和

……きです

北川

へ?

日和

好きなんです、センパイのこと……

蚊の鳴くような声で、でも、真っ直ぐな瞳で、日和ちゃんは言った。



これがオレたちの始まりだった……。









 

あとで聞いた話だが、オレを直接呼び出すのが照れ臭くてあのようなことをしたらしい。



もし、途中でオレが諦めてしまうようだったら、日和ちゃんも諦めるつもりだった、と。



……ものすごく真っ直ぐなようでいて、ひどく屈折した心の持ち主。



しかしながら、そんな日和ちゃんに妙に惹かれたのも事実だった。



そして始まりがオレにとって突然だったように、終わりもまた突然だった……。









 

日和

センパイ、お話したいことがあります

北川

ん? なにか言った?

どしゃぶりの雨の音が、こんなにも近くにいる日和ちゃんの声をかき消した。



同じ傘の下、二人して足を止めたあと、オレを見つめる日和ちゃん。

日和

……

その瞳は何か思い詰めたように、その唇はわずかに動く。










 

そして、どしゃぶりの雨の中へ飛び出した。

北川

おい! どうしたんだよ!?

止めるのも聞かず、日和ちゃんは走る。



オレはもちろん、追いかけた。










 









 









 









 









 

信号が点滅し、日和ちゃんが渡りきった交差点は赤になる。



走り出す車に……足を止めるしかなかった。








 

日和

……








 

交差点の向こうで、びしょ濡れの制服で、手を振る日和ちゃん。



何かを言っているけれど、聞こえるのは傘に当たる雨音だけ……。








 

北川

何だよ! 何て言ってるんだよ!?

日和

……

北川

日和ちゃん!

日和

……

北川

どうしてだよ……








 

一つお辞儀をすると、再び駆け出した。



小さくなっていく後ろ姿。










 










 

信号が変わった時にはもう、どこにも日和ちゃんの姿は見つからない。








 










 

携帯電話に何度かけても出ない。



日和ちゃんの家がどこにあるのか、無理にでも聞かなかったことを後悔した。



いつも日和ちゃんはどうしても家までは送らせてくれなかったのだった。



辺りが闇を落とし始めたが、それでも探し続ける。



止まらない胸騒ぎ。



当てもなく探し回る先には、いつ止むともしれない雨しかなかった……。








 

次の日、朝一番に日和ちゃんのクラスメートに聞いて分かったこと。



それは日和ちゃんが転校したことだった。



きっと別れが辛くて、最後まで言い出せなかったのだろう……。



日和ちゃんの頬はきっと、雨だけで濡れていたわけじゃないと思う。



そのクラスメートは日和ちゃんの新しい住所を知らなかった。



知っていたのは担任。



しかし、担任は「個人情報の保護」と「岩沢日和の強い希望」ということで、決して住所を教えてはくれなかったのだった。



カッとなったオレは、思わずその担任を殴ってしまい、停学2週間をめでたく食らった。



停学が明けてから、その担任に改めて土下座をして頼んだ。



最終的に折れた担任は住所を教えてくれた。



次の日はもちろん、学校をサボった。



4時間電車に揺られ、日和ちゃんに会いに行った。



だが……すでに引っ越したあとだった。








 










 

日和ちゃんの居所を知る手だてを失い、残ったのはこの傘と想い出だけ。



雨のメロディーが……想い出の傘が……記憶と感情を揺さぶる。



「君がいること」が、「君がいる日々」が、当たり前だったのに……。



「君がいないこと」が、「君がいない日々」が、当たり前になっていく……。








 

北川

しまった! 時間!







 

感慨に耽ってしまい、すっかり忘れていた。



慌てて靴を履き、外に飛び出す。



そこは日和ちゃんへと続く、雨空の下。



透明のビニール傘を持って、オレは走る。















  

ザー……空からは今日もまた、雨が落ちている……。















  

ザー……たくさんの喜びと、たくさんの悲しみ……。















  

ザー……何もかもを飲み込み、洗い流してゆく……。















  

日和ちゃんとの想い出の傘。



君が去った今じゃ、一人で使うには少し大きすぎる傘。



二人の想い出と共にそっと……しまっておくよ。















  

-FIN.-

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