夏が終わろうとしていた。
時が過ぎていくことを感じるのは、
いつも何かが終わりそうなとき。
それまでは「今」が永遠に続くものだと
信じて疑わない。
嬉しいときも、楽しいときも、
悲しいときも、辛いときも。
このみとの関係も今日という日が来なければ……
終わるということを知らなかった。
-夏の終わり-
お決まりのデートコースを巡ったあと、公園に立ち寄る。
このみと共に少し薄汚れた白いベンチに腰を下ろした。
私、秋が好き
どこか寂しさを含んだ風に吹かれながら、夕暮れ空を見上げておもむろに呟く。
夏になりたての頃、夏が好きって言ってなかったっけ?
僕は記憶の隅に置いてあった情報を取り出してくる。
このみは悪びれた様子もなく、平然と言った。
夏も好きなの
春は?
好き
冬は?
好きだよ
このみは何でも好きなんだなぁ……
皮肉で言ったつもりなのに、それに気付かないで笑う。
えへへ
それに……嫌ったら可哀想だし
……
そういう所がこのみ独特の考え方だ。
人間に当然備わっている「嫌う」という感情を、罪悪なものとして捉えている。
それを悪いと思ってはいないが、今の僕は否定したくて仕方なかった。
季節に感情はないと思うけど……
それは裕太が決め付けてることであって……
季節にもあるかもしれないよ?
なかなかに哲学的な返し方だ。
普段は人より思考が半歩遅れてる感があるのに、この指摘はするどい。
だったら、空気に感情があるのか?
雲には? 太陽には?
我ながら大人気ないと思う。
しかし、言わずにはいられない。
そんなにムキにならなくてもいいじゃない
ね?
その屈託ない微笑みに、訳もなく苛つく。
いや、訳があるからこそ、苛ついているのだろう。
そうだ……な
このみは昨日、僕と鈴音に何があったかなんて知りもしない。
だから今まで通り、笑えるのだ。
一方の僕は……僕は笑えない。
鈴音の本当の気持ちを知ってしまったから……。
それは鈴音が昨日、たまたま僕の家にCDを借りに来たことから始まる。
試しに聴きたいと言ったCDは片思いの歌で、ボーカルが切なげに歌い上げていた。
決して技術的には上手くはないんだけど、心に響くというか、溶け込むような感じがある。
僕も一人の夜にはよくそれを聴き、ときに気持ちが高ぶって泣くこともあった。
音楽でも小説でも、映画でも何でも、自分の気持ちとシンクロしたとき、それは心のドアをノックする。
それが自分の勝手な思い込みであったり、勘違いであったとしても……。
スピーカーから流れるメロディーに、僕と鈴音は耳を傾けていた。
やけに鈴音が大人しいので見てみる。
すると驚いたことに、ポロポロと涙を流していた。
……鈴音?
ごめん
聴いているうちに……泣けてきちゃってさ……
いや……分かるよ
涙を拭う鈴音をバカには出来なかった。
それくらい、この歌は共感出来るし、歌い手の気持ちが染みる。
ふいに鈴音は顔を上げ、濡れた目で僕を見た。
私、ユータのことが好きなんだ……
……
え?
突然の告白に、きっかり10秒掛かって僕は聞き返す。
何でもないふりしてたけど……
歌詞にあるフレーズをそのまま言う。
……嘘、だろ?
鈴音がいつもの冗談を言っているのかと思った。
……いや、嘘だと言って欲しかった。
そうでないと、今まで押さえて来た気持ちが……一気に溢れ出してしまいそうだった。
嘘じゃ……ないの……
グスッと鼻を鳴らす。
だってお前……僕にこのみを紹介したじゃないか……
僕は鈴音のことを、昔から好きだった。
このみを紹介したのは……鈴音。
だから、ただの友達にしか思われていないんだと……そう思っていたのに。
……嘘だろ?
な?
……
……
無言という返事が、強い肯定を示していた。
お前がこのみを紹介したから……このみと付き合ったのに……
しかし、それはただの言い訳だ。
自分が傷つくのが怖くて逃げた、僕の言い訳。
鈴音に自分の気持ちを告げなかった、卑怯者の言い訳。
それを自覚すればするほど、頭の中が煮詰まる。
どうして……?
どうして今になって、そんなこと言うんだよ!
このみがユータを好きって言うんだもん!
ヒステリックに叫ぶ鈴音。
友達が好きって言ってるのに……言えるわけないじゃない……
高まった感情を自分でも持て余しているのだろう。
立ったり座ったり、物を触ったり置いたりと落ち着きがない。
今頃になって言う方が悪いとは……思わなかったのか?
悪いとは思うけど……
だけど……
……っ!
はぁ、はぁ、と荒い息を立て僕を見る。
その目からは幾筋もの涙が頬を伝っていた。
辛いんだもんっ!
苦しいんだもんっ!
……
このみは……知ってるのか?
……
フルフルと首を振り、涙が飛び散る。
そうか……
僕は知っていた。
今、ここで、このみを好きだとだけ言えば、全てとは言わないまでも、何事もなく収まる。
だけど……。
だけど、こんな時までも僕は卑怯者だった。
もっと……もっと早く言ってくれれば、僕は……
……
しかし、そのあとの言葉を続けることが出来なかった。
それ以上の言葉は自分だけじゃなく、このみまでをも裏切ることになる。
……最初から裏切ってたんじゃないのか?
どこからか声が響いた。
……?
鈴音が子猫のような目で僕を見る。
……
何も言えないでいると、鈴音は全てを振り払うように頭を振った。
ごめん……どうかしてた
私が今言ったことは……忘れて……?
力なく笑う鈴音。
お前……
だって仕方ないじゃない……
ユータは……このみが好きなんでしょ?
そ、そりゃ、まあ……
ね? 私にはどうしようもないよ……
「お邪魔しました」と小さく呟き、部屋を出て行こうとする。
待て!
……鈴音の腕を掴んでいた。
……どうして止めるの?
それは……
好きでもないくせに……
変な同情はやめて!
振りほどこうと暴れる鈴音。
離してよっ!
離さないっ!
いやっ!!!
それでも強引に抱き寄せ、唇を奪った。
んっ……
強張っていた鈴音の体の力が徐々に抜けていく。
そして唇を離したとき、もう鈴音から離れられないことを知った。
僕が本当に好きなのは……
鈴音……なんだ……
……裕太
……裕太ってば!
あ……
このみに揺り動かされて我に帰る。
何ボーっとしてるの?
心配そうに覗き込む、邪気のない瞳。
僕はその目をまっすぐ見れず、慌てて逸らした。
……何でもない
そう?
「心ここにあらず」って、感じだけど……
なおも心配そうに僕を見つめるその瞳が、ズキズキと胸を締め付ける。
「何でもない」って言ってるだろ!
……
その大声に、周囲を歩いていた人々が好奇の目を向けてくる。
慌てて声のトーンを落とした。
……ごめん
ううん
それより……何かあった?
いつも自分のことよりも他人のことを優先させるこのみ。
自分勝手な……自分のことしか考えていない僕とは……大違いだ。
鈴音が言っていた言葉が脳裏をかすめる。
「もし、このみと別れることがあったら……
私はユータとは一緒にいられないから……」
なんだか……夏が終わるのがやるせなくてね……
わざと遠くを見るようなふりをする。
自分でも見え透いた嘘だということが容易に分かった。
それでもこのみは疑っていないのか、疑ってても言葉にしないのか、頷きながら言った。
裕太って、夏が好きだもんね
好きなものが去って行くって……悲しいよね……
……
でもね……
もし、裕太が私を好きじゃなくなったら……
ちゃんと言って欲しいな……
……
好きじゃないのに……無理して一緒にいてくれる方が……もっと……悲しいから……
このみ……お前……
ねっ……?
夏が終わろうとしていた。
時が過ぎていくことを感じるのは、
いつも何かが終わりそうなとき。
それまでは「今」が永遠に続くものだと
信じて疑わない。
嬉しいときも、楽しいときも、
悲しいときも、辛いときも。
このみとの関係も今日という日が来なければ……
終わるということを知らなかった。
-FIN.-