エッフェル塔を臨むカフェのオープンテラスで、虎子はノートパソコンを開いていた。

月城虎子

アリス・カガミの新曲発売、か……。写真は、もう少し大人っぽいイメージの方がよかったかしら?

画面を見つめ、一人呟く。

角度を変えて覗き込もうとしたところで、パソコンの隣に置いていた航空券の封筒が、かさりと音を立てた。

虎子は少し躊躇いながらも封筒を手に取り、中身を確認する。

チケットには、今日の日付がしっかりと印字されていた。

小さく息を吐いて、それを再び封筒に収める。

そして鞄の内ポケットに仕舞い、再びノートパソコンの画面に向き直った。

月城虎子

そういえばあの子、戻ってこないわね……

顔を上げて周囲を確認するが、捜し人の姿は見当たらない。

月城虎子

まあ、まだ時間があるからいいけれど……

気を取り直して確認作業を進めようとしたところで、不意に背後から目を塞がれた。

???

うふふっ、だーれだ

月城虎子

きゃっ、もう、ありす……。驚かさないでちょうだい

自身の目を塞ぐ細くて小さな手を包み込みようにして外し、振り返りながら声をかける。

そこには虎子の想像していたとおり、不満げに唇を尖らせているありすの姿があった。

加賀美ありす

ぶー。せっかく後ろからこっそり近づいたのに~っ。もう少し悩んでよ

月城虎子

悩みません

加賀美ありす

もう、目隠しするのがありすだけとは限らないでしょ。プロデューサーとか、他のスタッフかもしれないし

ありすは不満を口にしながら、虎子の正面の椅子に腰を下ろす。

月城虎子

プロデューサーも他のスタッフも、そんな子供っぽいことをするわけないでしょう

加賀美ありす

ええー、そうかなー

月城虎子

いえ、プロデューサーは……するかもしれないわね……

脳裏に浮かんだプロデューサーの面影を振り払うように、虎子は小さく首を振った。

月城虎子

それより、急に飛び出して、どこへ行っていたの? 行き先はきちんと連絡して……

加賀美ありす

いいでしょ、別にー。それで、虎子は何を見てたの?

虎子の言葉を遮り、ノートパソコンの画面を自分の方へ向けたありすは、パアッと目を輝かせた。

加賀美ありす

わわっ、これって!?

月城虎子

さっきデザインが上がったばかりの、あなたの新曲のポスターよ

加賀美ありす

ふふーん。さすが、かわいいかわいいありすちゃんね。こんなポスターが貼られたら、もっとありすちゃんのファンが増えちゃって大変だよー

月城虎子

あまり図に乗らないの。まったく……

加賀美ありす

うふふっ

ありすは虎子の苦言など気にする様子もなく、ノートパソコンを持ち上げて矯めつ眇めつしている。

今にも歌い出しそうなほど上機嫌なありすとは間逆に、虎子の表情には影が射していく。

月城虎子

……。ねえ、ありす、やっぱり……

加賀美ありす

何度も同じこと言わせないで……。ありすのことなら、心配しなくていいわ

きっぱりと、ありすは言い切った。

ハッと顔を上げた虎子は、いつものわがまま放題なお子様とは違う、まるでステージの上で見せるような力強い眼差しに射抜かれ言葉を失う。

加賀美ありす

虎子のおかげで初ライブも大盛況だったし、CDのプロモーションまでつきあってもらったし、スタッフはみんなありすちゃんの大ファンだし。だから、ありすは大丈夫だもん

自信に満ち溢れた美しい笑みを浮かべて、ありすは言葉続ける。

加賀美ありす

プロデューサーが、日本に帰って来て欲しいって、虎子を呼んでるんでしょ。行ってきなさい

月城虎子

ありす……

まるで、いつもとは反対だ。
本来は自分は励まし、導く立場にいなければならないのに……。

いや、こんなアリスだからこそ、パリでも成功を収められたのかもしれない。

虎子は眩しいものを見るように、目を細めた。

加賀美ありす

それにしてもすごい荷物ね。こんなの、先に日本へ送っちゃえばいいのに……

話題を逸らすように、ありすは虎子の鞄を持ち上げた。

加賀美ありす

うわ、何これ~。すっごく重たい

月城虎子

ああ、それはプロデューサーから送られてきたスカウト候補の資料が入っているのよ。飛行機の中で読んでおこうと思って

加賀美ありす

えっ!? そんなのデータで読めばいいじゃない! 紙を持ち運ぶなんて資源と体力の無駄よ

月城虎子

これもデータで送られてきたのよ。でも私の場合、印刷してチェックした方が頭に入りやすいの

加賀美ありす

前世紀の遺物。昭和生まれはこれだから信じられない……

ありすは呆れた様子で、わざとらしくため息を吐いてみせる。

月城虎子

私は平成生まれだけど……

加賀美ありす

細かいことはいいの! ……もう、そんなパンパンに膨れたカバンじゃ、どこにも入れるところないかもしれないけど……。はい、これ

ありすは、背中に隠していたらしいラッピングの施された小さな箱を差し出した。

月城虎子

この箱は……?

加賀美ありす

いいから、飛行機の中で開けてみて。それより──

小箱を虎子に押しつけ、おもむろに席を立つ。

加賀美ありす

虎子が日本に帰る前に、ふたりで写真を撮ろうよ。ここならエッフェル塔は目の前だし

加賀美ありす

ふたりの初ライブ成功のお祝いに。ほら、いくわよ

強引に手を引かれ、虎子は慌てて立ち上がった。

反動で椅子が倒れそうになり、掴まれていない方の手でとっさに支える。

そんな虎子に構うことなく、ありすはエッフェル塔が綺麗に収まるようスマートフォンのインカメラの画面を見ながら位置を調整していた。

加賀美ありす

よし、ばっちり! じゃあ撮るねー

月城虎子

え……ちょっと待って……!

加賀美ありす

虎子、顔寄せないと入らないわよ! ちゃんと笑って……

月城虎子

こ、こうかしら……

加賀美ありす

はい、マカロン!

~ おしまい ~

ありすとマカロン(後編)

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