夢でよかった。


朝起きて思ったのは、そんなよく分からない感覚だった。
特に恐ろしい目にあったわけでもない。
それどころか、何の夢を見ていたのかも覚えていない。


なのに、起きたときに「夢でよかった」と反射的に安堵するのは何故なのだろう。



笛吹 康大

ふわぁ~、ねっむ……

ひとりきりの朝食も慣れたものだ。
トーストと目玉焼きで事足りる。


高校から一人暮らしさせてほしいって、親に無理を言って良かった。


細くため息をつきながら、トーストにかぶりつく。

笛吹、おはようっす!

笛吹 康大

おう

朝練もそろそろ終わりだろうか、汗をかいたクラスメイトの姿がちらほら見え始める。

適当な挨拶を交わしながら、俺は昇降口をくぐった。

結城 隼人

やっほ、笛吹

笛吹 康大

うっす

結城 隼人

あっ、今日はひげ剃ってきたんだ

笛吹 康大

さすがにみっともないしなぁ

結城 隼人

ただでさえ高校生に見えないもんなぁ

笛吹 康大

ほっとけ

結城 隼人

よくヤクザに因縁つけられないよなぁって、前から感心してたんだぜ、俺

笛吹 康大

んなことで感心すんな!!

元々遺伝で肌が黒かったし、目つきもあまり良くないから、中学の頃は喧嘩したこともないのに「番長」と呼ばれていた。
俺にとっては随分な黒歴史だ。

まぁ、結城もそれが分かってるから過度にこのネタで弄ってくることはないが。

笹宮 尚哉

んじゃ、昨日の続きからやっていくぞ。教科書の27ページ、精神の自由からだ。結城、読め

結城 隼人

わが国では、第二次世界大戦前に、治安維持法や治安警察法といった治安立法が制定され――――

笛吹 康大

………………

窓から空を見上げる。

晴れ渡った空の下、グラウンドでは他のクラスが体育の授業をしている。フットサルだろうか。






時間はとても穏やかだ。
1日がゆったりと流れていく。
こんな平和な世界で、今も誰かが亡くなっていると言われても、きっと鵜呑みにできないだろう。


ふと、大きな欠伸が出てきたとき、同時に頭に衝撃が走った。

笛吹 康大

いたっ!?

笹宮 尚哉

な~に黄昏てんだ、てめぇは

笛吹 康大

へっ!?

笹宮 尚哉

指名したの、聞いてなかったのか?

結城 隼人

俺は、ちゃんと知らせたぜ?

笛吹 康大

へっ?待ってどこから?

笹宮 尚哉

結城、絶対教えるなよ

結城 隼人

はぁーいっ

笛吹 康大

ちょっとぉ!?

俺の悲鳴は、綺麗に教室内に響いた。

笛吹 康大

なんか……疲れたな

結城 隼人

どこかの誰かがボーっとしてるからだよ

笛吹 康大

別にそれだけが………いや、それが一番の原因か

結城 隼人

しっかし、あの先生とお前って似てるよな

笛吹 康大

どこが?

結城 隼人

教師に見えないところとか?

笛吹 康大

うるせえっての

結城 隼人

お前、これからバイトだっけ?

笛吹 康大

ああ、まぁ22時までだけど

結城 隼人

………いや、バイトすらしていない俺からすりゃ、どのみちすげえけどさ

笛吹 康大

たまには尊敬してくれ。じゃあ、また明日な

結城 隼人

おう。また明日

笛吹 康大

ありがとうございました!

時間は21時45分。
あとは、レジの中の金を確認すれば今日の作業は終わりだ。

そこまで長いシフトというわけでもないが、夕方から夜にかけてはやはり客足は多いので、なかなかに疲れる。

笛吹 康大

マネージャー、レジの点検終わりました

川口 大次郎

はいよ。じゃあお疲れ!

笛吹 康大

お疲れ様です

入れ替わりで入ってきたバイトの人に挨拶して、着替える。


そのまま、廃棄予定のコンビニ弁当を何個かもらっていく。
本当は絶対にいけないんだけど……とはマネージャーから言われているが、俺が一人暮らしなのもあってか大目に見てくれている。



さすがに、コン弁だけでは栄養が偏るため、サラダ用のカット野菜を買って店を出た。

笛吹 康大

月がきれいだな……

別に門限があるわけでもないし、ことさら急ぐこともない。
飯食って風呂に入って明日の予習して寝る――――

なんてことはない、いつもの平凡な日常だ。
こんな平凡で平和な日々が、大好きだった。


別に、ヒーローに憧れたことがないわけではない。
だが、怪人と戦う日々より、日常を謳歌する方が性に合ってると思うだけだ。

笛吹 康大

平凡に生きて、平凡に人背を終える……それが俺らしいんだろうさ

周囲に人気がないのをいいことにボソッと呟いてみる。

しかし――――

笛吹 康大

ん?

気のせいか、一瞬後ろから視線を感じた。
人気がないと思っていたせいか、余計に強く意識してしまう。


思わず振り向いて見てみても、周りには誰も――サラリーマン一人いない。



俺の気のせいだろうか?

笛吹 康大

……やめよう。疲れてるんだ

さすがに夜にあまりうろうろしてるのも考え物かと思い、それからまっすぐ家路を急いだ。


家に着くまで、後ろから視線を感じることはなかった。

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