若い女が水底へと沈んでいく。私は女を追って深みへと潜っていく。そうやって陽の射さぬ深みへと沈んでいく。

 殻を破り、薄膜を抜け出す。地中から地上に這い出すと、そこは緑に溢れた山であった。しっとりとした暗闇が胴を圧する。これは雨を吸っている最中の土であると、これに触れたのは初めてであるはずなのに知っていた。私のどこかから湧いてくる知識は、すべては既知であると告げている。殻の中でまどろんでいた私の意識に明滅した断片を夢と呼ぶのなら、殻を破った果てにある今は夢の続きなのだろうか。
 私は蛇であり、この山は私そのものである。
 湧くことをやめない知識が私に囁きかける。生まれたばかりである私は、樹木に絡みつく藤の蔦も、地を覆う幅広の葉も、細枝を叩く大粒の雨も、初めて見るものであるはずだった。それにもかかわらず、それらが何であるのか、何を警戒すべきか、そういったことが洪水のように頭蓋のどこかから襲いかかってくるのだった。

 私は脱皮が苦手だ。
 山野を這い、鼠を呑み、池を泳ぐ。このようにしてある程度の日々が過ぎれば、鱗の光るこの身は脱皮を必要とする。何度か繰り返していれば多少は上達してもいいようなものなのだが、嘆かわしいことに、今のところそんな兆候はない。
 この身が最初に雨を浴びた山の麓には見渡すばかりの水田が広がり、水田という地平のなかに島のごとく集落が点在していた。
 小さな蛇である私が脱皮に失敗し、息苦しさを覚えていたのは、ある民家の庭先だった。気晴らしに雨でも降らそうかと思い立ったが、今の私は息をするために鼻の代わりに口を開けてうずくまっているような状態だ。ゆえに、思い立ったその場からそんな気力は失せていった。
 私は、雨を、雷鳴を呼ぶ。私は雷鼓にして虹である。

だいじょうぶ?

 庭の隅で伸びていた私に声をかけてきたのは、やわらかな髪の幼い女の子だった。その頃には、私は倦怠だけを絡みつかせて伸びていた。幼子の大きな目が私を注視する。幼子は卒然と立ち上がり、衣の裾をひるがえして家屋へと駆けていった。やがて陶器の壺を抱えて戻ってきた幼子は、壺を傍らに置き、両手で私を掬いあげる。そして、壺の口から底に向けて、縄のように私を垂らした。壺には水が張ってあった。私は壺の底に沈みこむ。息苦しさはそのままに、喜悦のような衝動が私を襲った。

もし、次の脱皮も上手にできないようだったら、わたしが手伝ってあげる

 幼子の声が、遠雷の轟きに重なり、私の沈む水面に漣を立てた。

私のなかのどこかから波のように打ち寄せる知識は、生まれたばかりでまっさらであった私の脳髄に、薄膜のように重なっていった。やがて私は堆積する知識の層を景色や声音といったある種の像として捉えることができるようになった。おそらく、それは記憶と呼ばれるものなのだろう。だが、これらの記憶がどこから来ているのかまでは判らなかった。
 それでも、唐突に湧いてくる記憶は、私に指針を与えることがあった。

惜しいなぁ

 縁側に腰掛けて幼子は笑う。小さな蛇であった頃の私を助けてくれた幼子は、庭先に立ち寄れば、いつも快く迎えてくれた。

でも、これが巧くいけば、あなたとおしゃべりができるかもしれないんでしょう。もしそうなったら、ふしぎではあるけれど、とてもうれしい

 幼子の大きな目に映っている私は、私のどこかから湧いてくる記憶の一片にあった、人の男のかたちを模していた。細面の若い男の顔。仄蒼い肌と切れ長の目、硬く長い黒の髪。私である痩身を包む赤黒のいでたちを、幼子は着流しと呼んだ。幼子が惜しいと評したのは、脚が蛇のままであったからだ。
 家屋から響いてきた足音に、幼子の頬が強張る。

隠れて!

 やわらかく小さな手が、人のかたちをした私を突き飛ばした。私は中空で人の四肢を融かし、蛇として地に落ちる。そして、繁茂する下草に紛れて地を這い、家屋から遠ざかった。幼子ともうひとりの声が風に運ばれてくる。

「とうさま、どうなさったの?」
「今、誰かと喋っていただろう」
「いいえ、庭を見ていただけよ」
「ならば、かまわないが。そろそろ夕餉の支度を始めるそうだ。母さんを手伝ってきなさい」
「はい」

 幼子のかろやかな足音が遠のいていく。

「あの子が憑かれたか」

 幼子がとおさまと呼んだ男の苦々しげな声が、風に撫でられた庭に湧いた葉磨れに紛れた。

 私は水底で夢を見る。池の底に沈みこみ、夢を見る。濃密な緑の夏の山。青空に積まれていく白い雲。若い女の短い悲鳴。高くあがった水飛沫。私は大きく揺らいでいる池の水面に滑りこむ。暗闇そのものである池の底から水泡が昇ってくる。私は身をくねらせて深みを目指す。やがて私は水泡のはじまりに到達した。沈みゆく女の肢体を胴で掬うように潜りこむ。私の背にひっかかった女を落とさぬよう、慎重に、私は水面を目指す。
 その時の水の感触は生々しい。
 水中にて私が耽るこの夢は、果たして、ほんとうに夢であるのだろうか。

 冬に眠り、春に目覚める。雪の下の土中でまどろみ、双葉の割れる音で目を覚ます。畢竟、私が主に水田である里を這い回るのは暖かい時節だ。田は代掻きの後に水を張られる。田植えの後の水田は鏡のように輝く。天へと伸びる稲は雷鳴を聞き、垂れ始めた稲穂が風に揺れる。
 私が幼子の庭を訪れた時、里は稲刈りに追われていた。
 いつかのように縁側に腰掛けて、幼子は庭先を訪った私に両腕を伸ばした。太い縄のようでもある私を幼子は抱える。

ずいぶんおおきくなったね

 私の背を撫でる幼子は、私が初めて会った頃から変わっていないように見受けられた。細すぎる腕も脚もそのままに、纏う雰囲気だけが大人びていく。それが成長と呼べるものなのか、私にはわからない。

おはなし、できるかな

 ささやかな希望を口にすることすら申し訳なさそうに、幼子が乞う。返答を与える代わりに、私は幼子の腕から抜け出した。眼前にてわだかまりはじめた赤黒に、幼子は微笑む。その赤黒が人のかたちを完全に模す前に、幼子は唇を持ち上げた。

ずっとずっと、昔にね。大蛇が里の女の人を襲ったそうなの。だから、里の人たちはそのひとを助けるために、大蛇の首を落としたんだって。そうしたら、長い間、雨が降らなくなったんだって。でも、ある時、また雨が降るようになった。だから、この里は重く垂れた稲穂を手にできるの

 私は首を傾げた。その頃には、私は人の男のかたちをとっていた。

「それは、夢のはなし、かな」

わたしにとっては言い伝え。もしくは、かあさまがしてくれる、寝物語。さっきのはなしには続きがあるの。里の人々は、大蛇の不在を眠りと見なした。大蛇を眠らせてしまったから、雨が降らなくなった。だから、わたしたちが日照りから逃れるためには、稲作の季節のすべてにおいて、大蛇を目覚めさせ続けなければならない。そのためにはどうすればよいのか。わたしたちはこのように定めた。大蛇に里の誰かを求められたのなら、求められたそのひとを、大蛇に差し出さねばならない。差し出されたそのひとは、すべてを賭して、大蛇を目覚めさせ続けなければならない。ゆえに、わたしたちはわたしたちであるために大蛇を必要とする。わたしたちはわたしたちであるために大蛇に差し出すべき誰かを求めている。ささやかな凶兆を上塗りして、ほころびを呈したそれまでのわたしたちを塗り替えて、完璧なるわたしたちを目の当たりにするために。そうしなければ、わたしたちはわたしたちであることを、わたしたちはわたしたちというかたちを、続けていくことができない

 小さな手のひらが、こちらに差し出される。

大蛇に求められた誰かのことをね、わたしたちは憑かれた者と呼ぶの。その呼び方をもって、それまで里の者であったはずの誰かは、大蛇に差し出される理由を付与される

「君は、そのように呼ばれているのかな」

 幼子は答えなかった。ただ静かに微笑んでいるだけだった。それでも、同じ年頃の誰かと遊ぶこともなく、庭先で独り過ごしている幼子を知る私には、声として鳴る音のないことが何よりの肯定に思えた。ならば、幼子のこの境遇は、私のせいであるということにならないか。
 幼子の指先が、私の手に触れた。

そんなかおをしないで。それは、あなたのせいでも、だれのせいでもない。誰かという相手はいなくても、そういうことになっているの。だからこそ、とうさまもかあさまも声を投げつける相手がいないし、投げつけたところで意味はない。わたしはいつか眠る。あなたもいつか眠る。いきものだもの、それは当たり前のこと。だけど、肉は違えど、あなたはまた生まれるはず

 私は蛇である。蛇とは脱皮を繰り返し、その度に表皮を新たにするものである。だが、蛇とは生き物である。生き物には終わりがある。ゆえに、幼子の並べる音は私の在り方と矛盾する。矛盾する、はずだ。

約束を、してほしいの

 幼子が私の指を握った。もしかすると、私の手を握ろうとしたのかもしれない。だが、幼子の手はとても小さかったから、私の指を三本ほど握るだけで精一杯だった。

わたしが眠ったその時は、ためらわずに、つれていって

 哀願そのものであるかのように幼子は私の指を握り締める。そのちいさな手から、私は己の指を引き抜いた。

 私は蛇である。かつては子蛇であり、幼子に助けられた。私は大蛇である。かつては人の女を助け、里の者に首を落とされた。明滅する夢を記憶としてつなげるのならば、すべては腑に落ちる。私は終わり、空隙を経て、始まる。眠る度に肉を替え、断片を連ねるという永続をもって、雨を呼ぶ。
握り締めるものを失って、幼子の手は宙を彷徨った。図らずもこちらに差し出すようなかたちとなった、幼子のやわらかな手を、ためらうことなく私は握る。
 弾かれたように面を上げ、幼子は驚愕にその目を揺らした。応えられぬことを前提に心からの願いを投げていたということが、他ならぬこの子供がそうであったということが、なぜか、私をひどく哀しませた。
 幼子の手を取るという行為そのものが、私の欠片を楔と打ちこむ、幼子の希求に対する私の返答だ。

 私は蛇である。ゆえに、寒くなれば動きが鈍くなり、雪が降る頃には土に潜って眠る。私の棲み処は山であるから、私は山で冬眠する。
 冬に凍てついていた種が疼き出し、陽だまりに地中があたたまる頃、私は眠りから覚め、地上に這い出した。
 春の山は騒がしい。草が芽吹き、花が咲き、虫が飛び交い、鳥が啼く。水の香、土の香、獣の香。それらに混ざって、かすかではあるが、この山においては嗅ぎ慣れないにおいがした。
 舌を出して大気を探る。間違いない、これは酒のにおいだ。それだけをもってにおいの源に向かう理由にはならないが、予兆のようなものが脳裏に瞬いた。水を孕んだやわらかな土を、芽吹いたばかりのやわらかな草を、腹で潰しながら這い進む。木の根を縫いながら山を降っていくと、遠目に、花見の宴席のようなものが見えた。近づいていくと、宴席ではあっても、花見のそれではないと知れる。色褪せた朱の敷き布に、豪勢な料理が盛ってあったことだけが伺える、土埃に塗れた皿や碗が載ったふたつの膳が並んでいた。この宴席は冬を越したのだろう。釉のかかっている器は光沢を失えども形を留めていたが、膳から落ちたのであろう木を削っただけの椀は、敷き布から地に転がり、腐って脆くなっていた。
 ここにあるのは、宴席と酒の名残と鮮やかであったのであろう朱の色だ。山と里の境にて持たれた饗宴の場は、どうやら祝賀の宴であったらしい。
 閑散とした祝宴に、ひとつだけ、人のようなものがあった。それは、白無垢と綿帽子に包まれた、白い色をした人の中身だった。膳の前に腰を下ろしている小さな白は、この宴の主であるのだろう。宴席は主賓を欠いている。ならば、これは誰を迎えるための宴であったのか。
 大蛇たる私は朱に這いあがり、白色を前にとぐろを巻いた。そして、正面に、宴の主の幼い頭蓋をみとめた。やわらかな春の陽が宴席を包む。ほのかに薄い緑陰が、そよ風に遊ばれ、地に揺れる。嫁入りの装束を纏う白骨が、陽に晒されて輝いた。
 ここにいるのは、あの日、庭先で手を握った幼子だ。
 骸の纏う白という眩さが波打った。硬い白から湧くように、無数の蝶が滲み出る。頭蓋の、眼窩の、頚椎の骨の表層を、光が流体であるかのような造形をもって、あるところでははばたき、あるところでは融け合いながら、数多の蝶が覆っていく。幼子の芯を隠した蝶が空へ飛び立とうとした時、私は顎をあけ、蝶の欠片も逃さず、眼前にあった白を丸呑みにした。幼子を腹に入れた私は山を這い登る。膨らんだ腹で樹間を縫うのが億劫になり、土の中に潜りこんだ。掘り進む土に水気が多くなってくる。水を含むにつれ粘度と重さを増してくる土を穿ちながら、私は進む。やがて、這い進むよりも泳ぐに近い動きをもって、私は地中から水中へと躍り出た。
 水底は暗く、闇そのものだ。
 私は人の四肢をつくりながら水面を目指して昇っていく。ゆらめく白無垢を掻き抱き、水面を目指して水を蹴る。幼子そのものである依代の骨に、幼子そのものである蝶を鎮めていく。
 暗闇であった周囲に光が滲み始めた。茫漠たる幽冥を抜け、鮮明な光を得る。光の網に掬われるように、私たちは浮かんでいく。幼子の頭蓋を包んでいた綿帽子が、水流に押されて離れていく。幼子の髪が私の頬をくすぐる。私の記憶にある姿そのままの幼子が、眠っているかのように瞼を落としてここにいた。
 池を昇りつめた私は、大口を開け、息を吸った。山に満ちる若葉の緑はやわらかく、陽はどことなく淡い。幼子を抱き上げた私は、足のつくところまで泳いでいく。足裏を泥に沈めながら、私は腕の中の幼子を見つめた。息を詰めていることしかできない私の眼の先で、ゆっくりと、幼子の瞼が持ち上げられていく。

(ゆめのとぐろ/了)

ゆめのとぐろ

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