2035年夏。東京。

気温は35度。紛れもない猛暑日だ。
それでも道行く人の中に暑そうにしている人はいない。
団扇や扇子を持つ人も、日傘をさす人もいない。
打ち水もない。犬の散歩にわざわざ早朝や深夜は選ばない。
蝉も鳴かない。

東京は屋内になった。

2022年に進藤竜太郎が48歳の若さで総理大臣になった。
彼は突然政界に現れ、卓越した話術と確かな実務能力、俳優のようなビジュアルで瞬く間に絶大な支持を得て、国のトップへと躍り出た。

技術開発への予算を5倍にする

進藤が首相となり、最初に言い放ったことだ。


曰く、「技術力は既に確立されている。後は金と時間の問題だ」

進藤は地方自治体に回す予算と公務員に支払う賃金を大幅に減らし、更に公共事業の質と頻度を変えて現れた金を全て技術開発に充てた。最初は猛烈なバッシングが地方自治体や公務員から上がったものの、資金を手に入れた大手企業がこぞって新技術を確立し、高い経済効果を生み出した。
利益だけで技術開発が賄えるようになると、進藤はすぐさま今まで減らしてきた部分への予算や賃金を元に戻し、減らしていた期間分を支払った。

進藤は結果を出す人間だった。無責任な国民は結果しか見ない。結果さえあれば支持はされる。
進藤はそこをうまくついた。世間は彼を天才だと持て囃した。

週刊春眠の道祖です

僕は受付の綺麗な女性に名刺を出した。

16:00から進藤総理に取材の予定なのですが

受付嬢は、週刊誌のライターがなぜ一対一の約束を取り付けることができたのか、と訝しいんでいるようだった。

内線をかけ、二言三言発した後、どうぞ、と僕に告げた。

一段一段、無機質な階段を上がり、正面のドアをノックした。

どうぞ、と奥から声がし、そっとドアをあけた。

応接室のようだ。小さなテーブルを挟んで、柔らかそうなソファが並んでいる。
進藤はその一方に腰を掛けていた。顔に皺は刻まれ、いくらか髪に白いものが混じってはいるが、彼は歳の割に若々しかった。

やあ、久しぶりだ

進藤が気さくに声をかけた。

座りなよ、と自身の正面のソファを指さした。

僕は素直に腰掛け、向き直った。

46年ぶりだ

進藤が楽しそうに笑った。

中学校を卒業して以来、会ってないものな

どうして一対一の取材を受けてくれたんだ?正直、ダメ元だった

うん、最初秘書からそういう依頼が来た時は無謀な奴もいたもんだと思ったけどね。

でも名前を聞いてピンと来た。なんせ道祖なんて珍しい苗字だし、なにより中学生の頃、僕を虐めていた奴だ。間違えようもない

よく、虐めていた奴の取材を受ける気になったな

だって僕は総理大臣だしね。君はただの雇われライター。そういう構図も面白いんじゃないかなと思ったんだ

にこやかに笑う進藤を何とかして攻撃してやりたい、という感情が一瞬で僕を支配した。

天才だと持て囃される君も、矮小な一市民の僕に張り合うとは、意外に結構普通の奴なんだな

別に張り合っている訳じゃないさ。純粋な興味だ。元いじめっ子が元虐められっ子に見下されるのはどんな気持ちなのかな、というね

……まあ、いいさ。仕事だ。質問をしてもいいか

構わないよ。その為に来たんだろう

ああ、先に言っておくが、僕は週刊誌の記者だ。言動の端々から攻撃材料を探すぞ


親切心で言った訳ではない。
この余裕綽々な顔に少しでも緊張や動揺を走らせたかった。
進藤は隙が無い。不倫や裏金もなければ、言動も完ぺきだった。政策もはじめは批判されていたが、ことごとく結果を出してきたことでいつしか批判の声は小さくなった。攻撃されるすきを見せないこの天才に、何とかしてダメージを与えたかった。
それでも彼は笑っている。

質問をどうぞ

僕は小さく舌打ちをし、メモ帳と筆記具をカバンから取り出した。

まず、7日前に完成した東京屋内化計画だ

うん

完成した今となっては、これが快適なものだとわかる。だが、反対意見があまりに少なかった。これはおかしい

どうおかしいんだい

まず、屋内化されるのが東京のみという点。地域格差をさらに広げる。そもそも、唐突に東京という街を屋内化すると言われても、突拍子のない話だ

答えよう。まず一つ。可能だったからだ。今の技術力を持ってすれば街一つをすっぽりと包むことくらい訳はない。その次に、東京と他の地域では考え方の相違がある

具体的には?

東京の人間は最先端を追い求める。他県は文化を大切にする。これは元々あった考え方だが、僕が時間をかけて飼いならしたんだ。東京内で、限りなくリアルなバーチャルで地方や海外に旅行できるしね。だれも快適な東京からは出ようとも思わない。東京都はもはや日本ではない。東京都いう名の国なんだ。まったくの別物。そうなるように、僕がした

そんなことができるわけがない

できるんだよ

進藤が自信たっぷりに頷く。

個人を操るのは非常に難しい。しかしね、民衆を操るのは非常に簡単だ。なぜなら僕が民衆であり、民意だからだ

どういう…?

僕は実態を持たない。民意という名の化け物だ。進藤竜太郎なんて人物は何処にもいないんだよ

時間、権力、金、信用。必要なのはたったこれだけだ。これだけあれば民衆を操ることは可能だ。進藤はそうつぶやいた。

さっぱり意味がわからないが

わかりやすく言おう。まず総理大臣は民意で決まる。これは民主主義の大前提だ。わかるね?

当然だ

良いね。そして僕は13年も総理大臣を続けている。赤子が小学校を卒業するほどの年月だ。これだけ長いと何が起こるか。これだけ長い間結果を残し続けると何が起こるか

何が起きるんだ

僕こそが民意になるんだ。民主主義の名のもとに長くトップとして君臨することで、民意が僕に反映されるのではなく、僕が民意に反映されるようになる。突き詰めれば民主主義はファシズムだ。そして国民は盲目になる。飼いならされた哀れな豚だ。

最初は批判される。押し通して結果を出す。これはわざとやっていることだ。繰り返すことで次第に僕が正しいという認識を、進藤に任せてみようじゃないか、という無言の肯定を民衆の共通認識にすることができる

つまり君は、最初から独裁政治を目論んでいたのか?

正確には違う。これは手段だ。目的じゃない

なにをするつもりなんだ

自殺だよ

なんだって?

僕は子供のころからよく虐められた。君にもだ。周りは誰も助けちゃくれない。そのくせ涙を流して世界を平和に、なんていう君たちが僕は許せなくて、できるだけ人を巻き込んで死のうと、そう思った

そんなことで?

そんなことで?

僕の世界は僕の中で完結している。君にはわからないだろうね

今じゃ君は周りから天才だと持て囃されているぞ。君は世界に認められているじゃないか

天才なんて、人間が作った愚かな尺度でしかない。理解できないものを人はそう呼んだ。だがその実、人と人は分かり合えない。分かり合えるのは共通の認識だけだ。共通認識を排除した人間こそが天才だ。僕は…

進藤は立ち上がり、うろうろと部屋を歩き回った。

僕の政策上の終着点は、この東京屋内化計画だ。これが完成した今、もうこの椅子で行うことはない

彼が行うことを理解してしまった僕はたまらずにポケットからボイスレコーダーを取り出した。

全部録音している。これを世間に公表すればお前を信じる民衆はいなくなるぞ。死ぬなら一人で死ぬんだな

人間は蝉だ。喚くだけ喚いて死んでいく。唯一違うのは、狭い世界から広い世界に出て7日で死ぬのではなく、広い世界から狭い世界に閉じこもって7日で死ぬってことだね

天才ってやつは、ぶっ壊れたやつが多いな

それは違う。君たちがぶっ壊したんだ

進藤がポケットからスマートフォンを取り出した。

技術の進歩って、絶望だろう。だれも止められないのさ




蝉の鳴かない街 
        -了-

蝉の鳴かない街

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