アシ・ウィンド氏によるエニー・カード・アット・エニー・ナンバー『A.A.C.A.A.N.』。現在のところ、最も理想形に近いと言われている。(英語ですが、流れは理解できると思います)
【奇跡には惜しみない拍手を】
第2話
私が彼に出会ったのは大学の奇術研究会でした。
彼は引っ込み思案な性格で、決して人前に出るようなタイプではありませんでした。
『そんな性格の人間がマジックなんてできるのか』とお思いになるかもしれません。
しかしそれは大した問題ではないのです。
奇術研究会というのは、マジックが好きな人間が集まるところ。
ひと口に『マジックが好き』といっても、演じるだけがマジックの楽しみ方ではないのです。
お客さんのように見るのが好きな人間。
マジックグッズやトリック、レクチャーノート・ビデオを集める人間。
マジックの歴史や演技論、心理学に興味がある人間。
『演じる』というのはマジックの楽しさの一側面にすぎません。
彼が魅せられていたのはトリックそのものでした。
マジック界にはクリエイターという人種が存在します。
古今東西の優れたトリックに精通し、それまでにはなかった新しい斬新なトリックを生み出す者。
それがクリエイターです。
マジックを始めてしばらくすると、自分の“オリジナル”のトリックを思いついたりします。
しかしそれらのトリックは、先人たちがすでに辿り着いていたりするものなのです。
マジックの歴史は相当に古い。
人間の文明誕生とほぼ同時期にマジックは存在していました。
新たなトリックを考え出すということは非常に困難なことなのです。
クリエイターたちは己の頭脳の限りを尽くして、誰も知りえない自分だけの“秘密”を生み出すために苦心し続けてきました。
同期だった彼は、大変に優れたクリエイターでした。
今までにない原理、現象を数々作り上げました。
そのトリックは著名な研究家からもお墨付きをもらい、学生ながら業界内では知る人ぞ知るクリエイターとなりつつありました。
一方の私は、演者としての道を選びました。
人前に立つことが苦ではなく、手先も器用でしたから、知り合いのプロマジシャンにお世話になりながら、夜の店で一般のお客さんの前でも演じるようになりました。
しかし、マジシャンとして『自分だけのトリック』というものにある種、固執している部分もありました。
トッププロというものは優れた演者でありながら、優れたクリエイターでもあるのです。
同期で、優秀なクリエイターだった彼に嫉妬していたことは確かでした。
ある日、私はお世話になっているプロマジシャンに
『今度レクチャーノートを出すから、ひとネタ出稿してみないか』と言われました。
そのプロには依然、あるネタを見せたことがありました。
それは同期の彼が作り出した渾身のトリックでした。
非常に気に入ってもらい、有頂天になった私は
『自分で考えた』と嘘を吐いてしまったのです。
私は彼に黙ったまま、自分の名前をクレジットして出稿しました。
彼が気付かないはずがありません。
これは立派な盗作でした。
あってはならないことです。
トリックの剽窃はタブーです。
マジシャンとしての信頼をすべて失う行為です。
部室に届いたレクチャーノートを見て、彼は
『これは君にやるよ』といいました。
『こんなくそみたいなネタは君にこそふさわしい』と。
当時の私はどうしようもなく愚かでした。
自分がしたことは棚に上げ、売り言葉に買い言葉でこう言ってしまいました。
『それは『才能がない』って自分で言ってるようなもんだぞ』。
彼はしばらく黙っていましたが、突然、持っていたカバンの中身をぶちまけると、一組のトランプを取り上げました。
そして
『いいだろう。俺がおまえにとっておきのトリックを見せてやる』と言って、そのトランプを私に投げつけました。
投げつけられたトランプを手に呆然と立つ私に、
『もしこのトリックが成功したら、金輪際俺の目の前に現れないでくれ』と言いました。
そこで彼が演じたのが、先ほどお見せしたエニー・カード・アット・エニー・ナンバーです
それでどうなったのですか……?
私は何も言えませんでした。目の前で見た奇跡が信じられなかったこと。そして自分の愚かさのせいで一人の友人を失ったこと。いろんな感情が渦巻き、黙っていることしかできない私を残して、彼は部屋を出ていきました
その後、彼とは?
一切会っていませんし、連絡も取っていません。私は剽窃をした負い目からプロにはなれず、大学を卒業してからも、学生の頃お世話になっていた夜の店で、ずるずると仕事を続けました。15年経ちようやく独立して、この店を始め、今に至るというわけです
経緯はわかりました。しかし、あなたは先ほど完璧なエニー・カード・アット・エニー・ナンバーを演じた。例の彼が演じた、そのトリックをです。長い年月を経て、彼の演じたタネが分かったということですか?
いいえ。あのネタはいまでも謎のままです。私は完璧なトリックを見せられて、まさしく“呪縛”に苛まれ続けました。今でもふと頭に『クラブの9』、『37枚目』というワードが浮かんでくることがあります。このまま一生この呪縛から解放されることはないのだと思っていました、しかし
……しかし?
今朝、一通の封書が私の元に届いたのです
封書ですか……
差出人の名前にピンとくるものがありました。苗字です。苗字にだけ覚えがありました
その差出人というのは
件の彼の息子を名乗る人からでした。中には一組のトランプ、一冊のレクチャーノート。そして手紙が入っていました
丁寧に折りたたまれた便箋にはこう書かれていました。『父が亡くなりました』と
つづく