半年前、隣町の踏切で事故あったでしょ

マスター

……ありましたね、踏切で立ち往生してた乗用車に列車がぶつかった

私ね。目の前で見てたんですわ、その事故

マスター

あまり嬉しくない出来事ですね

でしょ。ひどいもんですよ、車は大破。ありゃ中の運転手は死んじまったでしょうね

マスター

……お客さん、何になさいます?

ジャパニーズウイスキーは何があるの?

マスター

白洲、山崎のノンビンテージ、12年、それから……

山崎12年あるの?

マスター

最後の1本です

それボトルキープしといてくださいな。ぼってくれていいんで

マスター

ありがとうございます。お名前はどういたします?

うーん……。カタカナで、ジニーで


















奇跡には惜しみない拍手を





第1話






























あれでしょ、マスター、マジックできるんでしょ?

マスター

ちょっとかじった程度ですよ、お見せできるようなものでは

まだ誰も見せてくれとは言っちゃいないですよ

マスター

これは失礼しました

うそうそ。マジック観に来たようなもんだから。身内から聞いてね。凄腕のマジシャンがいるってね

マスター

身内の方が依然うちにいらしてくれたんですか? どなただろう……。これまた失礼を

いやそんな。あんまり気にせんといてください。とりあえずいくつか見せていただけませんか? 少しくらいマスターを独り占めしても罰は当たらんでしょう

マスター

今日は暇ですからね、お恥ずかしいことに

たまたまでしょ、いつも忙しいと聞いた

マスター

そんなことはないですけどね。では、いくつか










































いやはや、お見事

マスター

ありがとうございます。ご満足いただけました?

はいはい。存分に

マスター

よく見に行かれるんですか? もしかしてマジックやられてるとか

いえ。見る専門ですよ。やってみようと思ったことはありますが、どうも性に合わなかった

マスター

それだけたくさん見られてるということは、さっきのネタも、すでにどこかで見たことあったんじゃないですか?

まあ。しかし、テクニックと言い、アレンジと言い、本業のマジシャン顔負けだ

マスター

しかし、それでは申し訳ない

そんなことないですよ

マスター

私の気が収まらない。ひとつリベンジさせていただけませんか?

リベンジですか

マスター

まだ誰にも見せていない、とっておきのトリックが1つあるのです

興味深いですな

マスター

こう言っては何ですが、正直演じる気はなかったのです。しかし、これも何かの縁です。それにトリックの方が私に演じろと言っている気がする

トリックがしゃべりましたか

マスター

ええ。そんな気が。ここで演じなければならない気がするのです

では、そのとっておきとやらをお願いいたします















































……エニー・カード・アット・エニー・ナンバーですね

マスター

よく御存じですね

しかし、ここまで不思議なものは見たことがない……

マスター

エニー・カード・アット・エニー・ナンバー。世界には『未解決問題』と呼ばれるものがあります。有名なものは数学界のリーマン予想なんかです。多くの数学者がこの問題に人生の多くの時間を費やし死んでいった。マジックの世界にも同じようなものが存在します

その1つがエニー・カード・アット・エニー・ナンバー

マスター

そうです。使うのは1組のトランプだけ。まずマジシャンは観客に、思い付いたカードを自由に言ってもらいます。スペードのAとか、ハートの8とか。次に、1~52の中で好きな数を言ってもらいます。二つの要素、『カード』と『数』が決まったところで、いよいよトランプの出番です。トランプを1枚ずつ上から配って行き、先ほど選んだ『数』のところで止めると……

選んだ『カード』が出てくる

マスター

ええ。このマジックは決してバカ受けするネタではないのです。起きる現象は派手じゃないし、観客が大きい数を選べば配る枚数が多くなり、その分、間延びする

それなのに、マジシャンたちはこのネタに執着するんですね

マスター

何が彼らを惹きつけるのかわかりません。しかし、理由はいくつか考えられます

不可能性が高いところでしょうか

マスター

それももちろんあります。しかし、数学の問題と違ってマジックのトリックはごまかしや妥協が利くのです。不可能性なんてものはマジシャンが自らに課した足枷にすぎない

確かに他のマジシャンは、数字を選ばせるのにサイコロなどの他の道具を使ったり、配る前にシャッフルしたり、演者自ら配ったりしていた。イカサマできる余地は、作ればある

マスター

そうなんです。逃げ道はあるはずなんです。しかし、なぜマジシャンがその道を選ばないかというと……

デビッド・バグラスの呪縛ですね

マスター

お詳しいですね。説明は無用ですか

いえ。以前聞いたことの受け売りですから、詳しくは知りません

マスター

バグラスはエニー・カード・アット・エニー・ナンバーの完成形を編み出してしまったのです。しかも机上の空論なんかではなく、実際に演じているのが目撃されている。その目撃者たちも手練れのマジシャンたちだった。彼はトランプ1組だけを使い、自身では一切トランプに触れることなくこの現象を演じて見せた

すごいことだ

マスター

そうです。さらにすごかったのは、彼がこのトリックのタネを誰にも教えなかったことです

いやなやつですね

マスター

まぎれもない完成形を自分の目で見たマジシャンたちは、その悪魔のトリックに憑りつかれ、バグラスのエニー・カード・アット・エニー・ナンバーを再現しようと躍起になりました。『バグラス・イフェクト』そう呼ばれています

……さきほど私が見たあれは、『バグラス・イフェクト』そのものだった

マスター

私自身驚いているのです。まさかこれほどまでにうまくいくとは

……ちょっと待ってください。それはどういうことですか。このネタは他のどこでも見たことがない。すなわち、これはあなたのオリジナルのはずだ。なのに

マスター

これは私のオリジナルではありません。とある天才が生み出した悪魔のトリックです。私もその天才の呪縛にずっと苛まれていた

余計、話が見えなくなってきましたが……。詳しくは話してもらえないですか

マスター

……。いいでしょう。私も一杯いただいてよろしいですか。どうも素面で話せる気がしない

どうぞ

マスター

すみません。それでは

マスター

……今は亡き、かの天才に






つづく

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