一度目は、一目惚れだった。
悪漢から助けたはずの彼女に惚れてしまい、問答無用で住処に連れ帰ったのが最初の記憶だ。そのときも彼女は抵抗をしなかった。なぜ、と問えば彼女は恥ずかしそうに
一度目は、一目惚れだった。
悪漢から助けたはずの彼女に惚れてしまい、問答無用で住処に連れ帰ったのが最初の記憶だ。そのときも彼女は抵抗をしなかった。なぜ、と問えば彼女は恥ずかしそうに
わたしも一目惚れだったのです
と言った。それから二人は山に棲む妖達の祝福を受けて一月余りの幸せな時間を過ごした。けれども、人々からの理解は得られず、最後は――――。
二度目も一目惚れだった。流れは一度目と変わらず、既視感を覚えつつも全く気づかず、愚かにも同じ道を辿った。
三度目は、さすがに違和感に気づいた。夢だと思っていた出来事と同じ出来事が起こるほどにそれを強く感じ、同じ轍は踏むものかと抵抗してみせたが、結果は変わらなかった。
四度目で疑心は確信に変わった。これまでのことが夢ではなく現実に起きたことなのだということを念頭に置いて彼は運命を変える決意をした。しかし、末路は一度目と同じだった。
五度目になると少し怖くなった。今度こそは、と過去の失敗から学んで必死に運命に抗う術を探したが、努力も虚しく五度目の結末を迎えた。
それをあと六十九回繰り返した。いい加減、気が触れてもおかしくはなかったが、惚れた女のためならばと彼は諦めなかった。その甲斐があって少しずつ未来は変わっていったが、それでも最後は同じで結局運命から逃れることはできなかった。
そうして迎えた、七十五回目。
七燈は過去七十四回の悲劇を一遍に思い出してぞっとした。顔から血の気が引き、膝から地面に崩れ落ちる。
だっ、大丈夫ですか!?
女が目の前にしゃがみ込み、心配そうに額に手を伸ばしてくる。
その手を彼は思いきり撥ね除けた。
ッ……!
……っ、悪い
伸びていた爪の先が彼女の手を引っ掻いてしまった。白魚のような指に、これまで付いたことのない傷が赤く浮かび上がる。
七燈は苦い顔をしてそっぽを向いた。傷つけるつもりは毛頭なかった。傷ついた顔は見たくもなかった。――――彼女に合わせる顔がなかった。
なんで、また……あと何回、繰り返せば終わるんだよっ
一体、いつになればこの悪夢から抜け出せるのか。もう懲り懲りだと何度も思うのに、何度も願うのに、またこのときが来てしまった。
俺はまたあんたを失うのか、夕鶴……
愛しい人の名を唱えただけで胸が締めつけられるように痛む。
何度も出会って、その度に恋に落ちて、悲劇を繰り返して。
それでも彼女への想いは少しも揺らがないから、これはもう呪いに近いのだと思う。
呪いを解く方法は、簡単だ。このまま彼女に関わらなければいい。想いを殺して遠ざける。心まで鬼になって彼女に嫌われる。彼女のためを思うなら、ここで縁を切るのが一番なのだ。
……
七燈は心を決めて立ち上がった。彼女の方は振り返らず、背を向ける。
いくらお天道様の目があるからって、女の一人歩きは危ねえぞ。さっさと家に帰れ。この辺りには人を喰う鬼が出るって話だからな
そう静かに告げて彼は本性をさらした。隠していた赤い角を見せ、鋭い牙と長く尖った爪を女の目に映して自分が人食い鬼なのだと豪語する。これだけ脅してみせれば七燈に関わろうとはするまい。そうすれば、あの悲劇も起きないはずだ。
そんな浅はかな知恵が彼の心を少しだけ軽くさせたが、空へ跳躍した彼の体はいつもより重たくなっていた。
なんだ? 体が重てえ……
着物が水を吸っているからだと最初は思った。しかし、それだけではなかった。
足に何かが引っかかっていたのだ。
恐る恐る確かめてみると、それは先程の女だった。
なっ、おま、はあ!?
なにやってんだ、と怒鳴るが、彼女は下に見える景色に興奮していて七燈の声が聞こえていないらしい。わあ、すごい、という内容の言葉ばかり響かせている。
わたし、空を飛んだの初めてです! 空からはこんな風に町が見えているのですね! とても綺麗で感動的です!
女はぎゅっと七燈の足にしがみついた。痛いというよりもくすぐったくて彼は、緩みそうになる口元を引き締めて厳しく声をかける。
おい、あんた! 迷惑だから、いますぐ手を放せ! じゃねえと、このまま住処に連れ帰って頭からばりばり喰っちまうぞ!
再度、牙を見せて怖がらせようとするが、
いま手を放したら、落ちてしまいます! どのみち、無事では済まないのならあなたのお家に連れていってくださいませ。落ちてぺしゃんこになるよりも、あなたに食べられる方が素敵ではありませんか?
女はにこりと笑った。その笑顔に七燈は、彼女がそういう人間だったということを思い出して頭が痛くなった。
結局、途中で下ろすと説得を続けても彼女は聞く耳を待たず、住処まで連れ帰るハメになってしまった。
山奥にある草庵が七燈の住処である。辺り一帯には人除けの結界が張り巡らされているため、人間の目に付くことはほとんどない。稀に、山に迷い込んだ人間や勘の良い人間が姿を見せることはあるが、そういった者には幻術をかけたり、記憶を操作したりして問題なく町に帰すようにしている。住処を知られるということは、弱点を知られることと同じなのだ。外敵に弱点を知られてしまっては、安心して眠ることなどできない。身を守るためには当然の措置だと、山に棲む妖達との間で取り決めたことだった。
言い出しっぺは七燈である。不本意ながら、彼はこの界隈の妖達の親玉を務めていた。彼を慕う者は多く、彼が決めたことには大人しく従い、今日まで人と妖との間に揉め事が起きたことはなかった。皆、彼と交わした約束を健気に守っていたのだ。
さて、そんな場所に七燈は人間を連れ帰ってきてしまった。それも、女だ。騒ぎにならないわけがない。
確か、一番最初に連れ帰ったときは……
記憶を辿ろうとした彼の耳に、何かが落ちる音が聞こえた。そちらを振り返ってみると、人間に化けた子狸が呆然と立ち尽くしていた。その足下には、彼が捕ってきたらしい川魚が地面を跳ねている。
よ……よお、佐々……また魚捕ってきてくれたのか? いつも悪いな
引きつった笑顔を見せてゆっくりと近づくが、彼がその口を塞ぐよりも早く佐々は絶叫する。
頭が女連れてきたあああああ!!
その声はすぐさま山全体に響き渡り、
頭が女を!?
とうとう嫁さんをもらう決意をしたのか!
いやあ、めでたいめでたいっ!
今夜は祝宴だな!!
茂みから、木の上から、土の中から、足の下から、七燈を頭と慕う妖達が集まってきた。彼らはきょとんとしている女の手を引っ張って急ごしらえの席に座らせ、あっという間に周りを取り囲んだ。飲めや飲めやと次々に注がれる酒を彼女は戸惑いながら楽しく飲んでいく。これがまた酒に強いから厄介である。
そうだった、そうだった……最初のときもこんな風に祝福されたんだった
あのときは皆の理解の早さが嬉しくて涙ぐんだものだが、いまはその理解の早さが恨めしくて仕方がない。
いいか、よく聞け。そいつは俺の女じゃない。いまから町に帰……
そーれ、いっき! いっき!
いっき! いっき!
いっき! いっき!
いっき! いっき! じゃねーよ! 話を聞けこら!!
ほらほら、頭も一緒に飲みましょうよ~
主役が揃わなくちゃ始まらないでしょ!
もう始めてる奴らに言われたくねえ……って、そうじゃなくて!
いつの間にやら席に座らされていた七燈は、今度こそ皆に聞こえるよう大きな声を響かせたが、その場の誰一人として彼の話に耳を傾けた者はいなかった。