高矢 直基(たかや・なおき)

京森さん、いま帰り?

京森 弓香(きょうもり・ゆみか)

あ、高矢くん。
うん! でも今日は絶対に駅前の本屋に寄ろうと思ってるんだ!

そうなんだ。俺も駅の方に用事あるし、一緒に行っていい?

いいよー!

 2016年。6月22日。

 放課後、昇降口で京森弓香を見付けた俺は、勇気を出して声をかけた。

 クラスメイトで、なんとなく気になる存在だった彼女に、一緒に帰る提案をした俺は、ファインプレーだったと思う。







 何故なら、歴史が動く瞬間を目の当たりにすることが出来たのだから。







キミが夢を変えるまで

#1 分岐点













それにしても、雨止まないねー。今日は一日降り続けるのかな?

夜には止むって言ってたよ。でもこの調子じゃ、その予報もアテにならないか

だよねー。きっと空が今日は一日雨降らすぞって決めたんだよ、きっと

えぇ? なんだそれ。でもま、そう考えたくもなるか……

 今日は朝からずっと雨が降っていて、帰り道にいくつもの水たまりができていた。

 そこへ――





ザバッ!

うぉっと、あぶな。
もうちょっとで水がかかるところだったぞ、あのトラック

このへん、水はけ悪いよね。トラックが通るときは気を付けた方がいいね

 トラックが通り、俺たちが歩く少し先の水たまりが盛大に撥ねた。

 実は俺の足にも少し水がかかったが、歩道側を歩く京森は濡れなかったはずだ。


この道、狭いけど本屋への近道なんだよね

ああー、そっか、ちょうど裏の路地に繋がるのか。変な道を通るなって思ったんだ

知らなかった? わたしはよく通るよー。人通りの多い商店街も半分くらい通らなくて済むしね。早く帰りたいときはこっちから帰るんだ

へぇ……知らなかった

高矢くんって、この辺りに住んでるって言ってなかった?

う、まあね。家近いけど。あんまり近道とか裏道とか、気にしたことなかったんだ

ふぅん?
子供の頃、探検とかしなかった?

したよ。でも、俺が小さい頃住んでたのは、駅の向こう側。
最近こっち側に引っ越したんだよ。親が、土地買って家建てたんだ

ほんと?!
すごいね、高矢くんって実はお金持ち?

い、いや、それほどでも……

どんなお家なの? ものすごく大きい豪邸とか?

そんなわけないだろっ。
家自体は結構小さいよ。土地が狭いから。
でも、両親とも家電にはとことん拘る方でさ。ほら、スマホでエアコン付けたり、風呂沸かせたりするんだぜ

 俺はそう言って京森にスマホの画面を見せる。ほとんどすべての家電をコントロールできるアプリが入っているのだ。


す、すごーい! ハイテクだね、カッコイイなぁ

そ、そうか?


 正直これは自慢だったが、素直に羨ましがられるとそれはそれで照れてしまう。



『今度、見に来るか? なんなら、今からでも』


 ……とは、さすがに言い出せなかった。
 ここにきてヘタレる俺。

京森さんは、電車通学だっけ?

うん。歩いて通える高矢くんが羨ましいよ。わたし、電車だけでも30分かかるからね

それは大変だ。はっはっは

あ、優越感に浸ってる! いいんだいいんだ。定期あるし。繁華街までタダで出られるし

……それはちょっと羨ましいな

でしょー? ふふーん

 そんな話をしながら歩き。
 本屋へと続く、路地に入る。

 道が狭く、傘が邪魔で、向こうから人が来る時は一列にならないとすれ違えない。

 次第と会話が減ってしまう。

 あと少しで、本屋に着いてしまう――その時だった。







 水たまりに、なにかが倒れる音が聞こえ。

 俺たちは反射的に振り返った。



から……だ、が、しびれ、うごかな、い

えっ……?



 水たまりの中に膝をつく男性。

 今すれ違った人だ。

なん、だ、これ。
……う、あ……あぁ……!



 俺は見てしまった。

 彼の手が、真っ青になり、黒く変色していくのを。そして……。

う、うあああああっ!!



 変色した手がぼろぼろと崩れ始める。男ががくんと、その場に倒れる。

 いや、膝をつけなくなったのだろう。
 ズボンで見えないが、おそらく、足も同じように崩れ落ちたのだ。



 何故なら、崩れた腕の先と同様に、足下からも大量の血が流れ出していたから。


ひっ……

い、いやああぁぁぁぁぁ!



















 エルゲストウィルス。

 発症すると、体温の急激な低下、末端部の細胞から壊死が始まり、一瞬で死に至る恐ろしいウィルスだ。

 空気感染で簡単に広がってしまうが、ここに他のウィルスとは違う点がある。


 そもそもウィルスには、どのくらいの数が入り込むと発症する、という目安がある。

 もちろん個人の免疫力に左右されるが、だいたいの数はわかっている。
 ノロウィルスなどは100個程度入り込むと発症すると言われているが、このウィルスはもっと少ない。10個もあれば発症し死に至るという。


 そのため、エルゲストウィルスに感染したら即座に発症する――はずなのだが。


 どれだけ体内にウィルスが入っても、何故か発症しない場合が多いのだ。


 発症しなかった場合。ウィルスはしばらく体内に留まり、その間発症することは無い。

 そして近くにいる人間へと、移っていく。

 この時、元の人間の体内からウィルスは完全にいなくなる。繁殖することも無い。
 これが、他のウィルスとは違う点の一つ。


 ただし発症した場合。その時のみ、ウィルスは繁殖し、周囲に広がるのだ。


 結局、ウィルス感染し発症する条件は、解明されなかった。

 免疫力も、年齢も、性別も関係無く、ランダムに発症する。


 故に、エルゲストウィルスは、ルーレットウィルスとも呼ばれていた。

 ルーレットに当たれば、発症して死んでしまう。
 そして発症することで、ウィルスはその数を増やしていく。


 いくら発症確率が低いとはいえ、数が増えれば、自然と発症数は増える。

 いつかはすべての人間が発症する危険性があった。



 もっとも、このウィルスは思いの外早く、対処方法が発表され、ワクチンも作られた。

 とんでもなく強力なウィルスだったが、実は熱にめっぽう弱かった。

 そのため、発症していない感染者がサウナや熱い湯に浸かるだけで、ウィルスを殺すことができる。

 もっとも感染しているかどうかはわからないため、こまめに入るしかなく。風呂サウナブームが起きることになった。


 その弱点を元にワクチンも作られ、この恐怖のウィルスは世界の脅威ではなくなった。








 だが、それでも。

 世界は滅びてしまった。







 そのきっかけは、京森弓香だ。

 彼女は目の前でウィルスによる死を目撃したことで、自身の夢を決めたのだ。

高矢くん……。
わたし、絶対細菌学者になるよ。
このウィルスのワクチンを作れる、医者になる



 あんな衝撃的な死を見てしまったから、衝動的に言ったのだろうと俺は思った。

 だが彼女は本気で、死ぬほど勉強して細菌学者になってみせた。


 そう、京森弓香は、一度決めたことは絶対曲げない、突き進む、猪突猛進少女だったのだ。



 もっとも、ワクチンはそれより早くに作られ、脅威は消え去った後だったが、それでも彼女の夢は変わらず、新たな危険ウィルスが現れてもすぐにワクチンが作れるように、勉強を続け、学者になったのだ。


 そして、作ってしまったのだ。

 ワクチンを作ることのできない、恐ろしいウィルスを。


 元々は、どんなウィルスにも効くワクチンの研究だったという。

 しかしできてしまったのは、ワクチンの作れないウィルス。



 彼女はそれをすぐにこの世から消し去ろうとした。

 だが、一部の学者がデータを取ってからにしようと言い出した。

 もちろん彼女は認めなかったが、共同研究者だった学者がこっそり保管し、データを取っていた。


 彼女がそのことに気付いたのと、研究所がテロ爆破されたのは、同じ日だった。

 保管していたウィルスは世に放たれ。





 ……京森弓香は、その爆発により死亡する。






 2029年。
 ウィルスにより、世界は滅びた。

 俺は地下施設に閉じこもり、世界を救う方法を考え続けた。


 7年の月日が経ち。俺はついに、その方法を見付けた。


 以前から研究していた、精神交換機。


 自身の精神と、過去の自分の精神を交換する機械。
 昔読んだSF小説に出てくる機械を、本当に作ってみせたのだ。


 これで俺は、20年前の2016年に戻る。


 世界を滅ぼしたウィルスは、京森弓香がいなければ作られることはなかった。

 共同研究者がいたが、ほぼ彼女一人で作り上げたと聞いている。


 ならば。

 京森弓香、彼女が細菌学者にならなければいい。
 彼女が、その夢を持たなければいい。


 エルゲストウィルス。
 あのウィルスが発症する現場を、目にしなければいい――。


 だから、俺はもう一度やり直すのだ。

 過去の自分と精神を交換し、タイムリープすることで。

 2016年、6月22日の、あの放課後を。


……キミが夢を変えるまで。
何度でも















続く

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