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成程ね

 ヤツの研究室で、僕はヤツと向かい合っている。機材や分厚い紙の束が所狭しと置かれた室内は、ヤツが人払いをしたので僕とヤツの二人きりだった。

 ヤツに進められたパイプ椅子に腰掛け、黒い染みのこと、今日から三日後に起きる膜と化け物の発生、メールの受信、トーナメントによる勝ち抜きバトル、僕はすべてを包み隠さずヤツへ教えた。ただし、僕のループとヤツが最後に戦う相手、言わば諸悪の根源で在ることは伏せて置いた。あらかじめ情報を手に入れた風を装った。

その話が真実で在るとして、きみは何を望むんだ

 ヤツが問う。そんなの決まっている。

黒い染みは、ここが原因なのはさっきの通話でも明白だ。てことは、膜も化け物も、変な能力を授けるメールも、一切合財この研究所が関わっているんだろう。だったらやめてほしい

 始まらなければループも止まるかもしれない。僕の祈りにも似た心情は、けれど届かなかった。

……無理だね

なっ、

 ヤツは関係を否定しなかったが、僕の要求は突っ撥ねた。

何で、……だって、あんただってやめるように誰かに訴えていたじゃないか! あんただって嫌なんだろう?

 僕の指摘に眉を顰めたヤツは、しかし一回振り払うみたいに首を振ると、次はきっぱりと拒否した。

断るよ

なぜっ

俺がやったとしても、無意味だからさ。メインの指揮権は俺に無いんだ

は、

 僕は抜けた声を出した。どう言うことだ? 間抜け面を晒す僕を見据えてから、ヤツは一呼吸置いて語り出した。

 黒い染みを出すのも膜を作り出すのも化け物や能力を発現させるのも、元は同じシステムのものだと言う。

黒い染みは空間の歪みだよ。ブラックホールに似ているかな。極小規模のブラックホール。ブラックホールの構造は知ってる?

 僕は否、と返す。ヤツは数度頷いて 「うん。そうか」 言ちると簡単な説明を開始した。

ブラックホールって言うのはね、高密度で大質量な天体なんだけどね。強い重力で光も通さないものなんだ。光も吸い込んでいるからね。わかる? 光速は宇宙でも最大速度なのに、ブラックホールの重力がより強いゆえに吸い込まれれば、光速でも抜け出せない

……

 ヤツは後ろの機材へ雑に放られていたタブレットを取り操作すると、僕へと向けた。図解してくれるようだ。

ブラックホールの中心は黒いだろう? 光すらも吸い込んでいるからさ。あの黒いところを『シュヴァルツシルト面』て呼ぶんだけどね。その奥は特異点が在って、無限に空間を捻じ曲げるところが在るんだ

 覗き込むタブレットの液晶は緑色だった。タッチペンが描く線は薄い黄色に近い黄緑。目にやさしい色と言う訳だ。描かれていたのは塗り潰された黒丸。ヤツはそこをとんとんタッチペンの先で叩いた。

つまり……

あの黒い染みは、前述通り『歪み』ってこと。小さなブラックホール染みた幾つもの歪みが、密集しているみたいなものなんだ

それ、可能なの……

可能だよ。少なくとも、理論上はとっくにね

 まぁ、出来たから、現段階でああなっているんだろうけれど。……ん? て、言うことは……。

中に入ったら、死ぬんじゃ……

 僕は明日、市長の命で調査に入るだろう人を思い出した。ヤツの話が真なら、調査する機械も人も音信不通になった理由がわかる。ところがヤツは。

そうとも言えない

え?

きちんとした装備なら、無事に通過出来るかもね

 かも……僕が復唱すると、ヤツが、 「ま、しないのが得策だよ。歪みの中に無防備に入ろうとする人間はそういないだろうけど、おすすめはしない。酸素はおろか、何が起きるか。未知の空間だから」 作り出した当人が、飄々と言ってのけた。

きみの言う膜と以降の現象は、もっと簡単だね

 拡張現実の応用だよ、とヤツは事も無げに言って見せる。拡張現実……AR? 僕が首を捻っているとヤツが 「俺たちの世界を構成しているのは、方程式と法則だよ」 笑った。

俺たちの体にしろ一キロ約一兆個の細胞がくっ付いて出来てる。火だって水だって同じだ。人体に熱も水分も在るんだ。無論、空気中にもね。だったら、書き換えてやれば、良いんだよ。容易だろう?

……

適切な質量と密度を与えるだけで良い。これが出来れば、空中に浮くことだって、何も無いところから物を出すことも出来る。何かを通して存在させたものを、媒介を通さず存在させることも

 ヤツは歌うかの如くスラスラ話す。頭が痛い話をだ。要は世界を構成している方程式とやらを瞬時に計算して、編集して、思うままに作り変えている、と言うことだ。

まさに神の御業だよ。神の創ったプログラムに割り込むんだ

 黒い染みも、膜も、……。

死んだ人間を材料に……

ん?

化け物を作ることも?

……。一番楽じゃないかな。変換より互換の部類だろうし

 差し込まれた間は、思案しただけで、容易く、言ってくれる。ヤツに躊躇の欠けらも見られない。僕は歯が軋んだ音ではっとした。感情的になるべきではない、とクールダウンを図る。友人を想起した。そう言や友人はどうしただろうか。つい、逃げ出してしまったけども。僕は自然俯き、両目を一度閉じると再び顔を上げて彼を真正面から捉えた。

……

……

お願いします。システムを止めてください

 努めて、丁寧に一言一句口にする。ヤツはタブレットを後ろにぽんと投げた。書類の山の上なので派手な音はしなかったが、機械オン機械にこの扱いは如何かと思う。

だから、指揮系統、権限の上位は俺じゃないんだって

じゃあ、誰なんですか

 不機嫌そうに、ヤツが眉を寄せる。でも、僕だって引く気は無い。僕たちはしばらく睨み合っていたけれど、ヤツが折れた。

 一つ、深く長い嘆息をして。

妹だよ

は?

『妹』、いいや、作ったのは俺だから、『娘』が、正しいのかな。
 ──────“この世に肉体の存在しない娘”だよ

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