野槌(のづち)

もう、ダメだ……

 私は気づいてしまった。これは無限に続くループなのだと。私は『そこ』にたどり着けない。立派な『作品』を描く画家という立ち位置には。

ある絵描きが立ち上がるまで

 定年退職して、私は退職金を使い、絵を描くためのアトリエとして自宅を改装した。私には妻や子供がいない。そのため金を自由に使うことができるのだ。
 昔から本格的に絵を描きたいと思っていたので、アトリエを持てたのはある意味夢が叶ったと言える。だが私はそれとは別に問題を抱えていた。

 今日もアトリエで絵を描く。今日は月の絵だ。私の中に膨らむ月のイメージをそのまま一枚の絵にまとめていく。
 そして完成した絵を見て、私は一人つぶやいた。

野槌(のづち)

こんなものじゃダメだ

 私は自身が描いた月の絵を作品として認められなかった。自信が無いのだ。こんな絵を作品として認められるだけの自信が。

 私は絵を近所のゴミ捨て場に捨てた。

 今日もアトリエで絵を描く。今日のテーマは火の絵だ。頭の中では火が燃え上がるところを想像し、それを絵に反映させていく。
 こうして一枚の絵が完成する。熱を感じさせる火が描かれた絵。
 だが、

野槌(のづち)

やはりダメだ

 私は目の前の絵を立派な作品だと認められなかった。こんなレベルでは全然ダメなのだ。

 だから私は再び火の絵をゴミ捨て場に捨てた。

 今日もアトリエで絵を描く。今日描きたいと思っているのは海の絵。美しく透き通る青をキャンバスの中にどれだけ再現できるか。私は全力で筆を走らせる。
 しかし、

野槌(のづち)

……私の求めているものは、これじゃない

 そう、今日の絵も私の求める作品にはならなかった。

 今日もまた、絵はゴミ捨て場に捨てられた。

 それから毎日、森、金色の砂漠、大地、太陽の絵を描き、納得できずゴミ捨て場に捨てた。
 今日、再び月の絵を描こうとする。だが描いている途中で気づいてしまう。これもまた私の求めている作品にはならないと。

 月の絵はゴミ捨て場に捨てられた。

 このまま画家として永遠に納得のいく作品を描けないのか。地獄のような無限ループ。それなら、いっそ。私の中で黒い感情が渦巻いた。

 翌日。今日も絵を描こうとアトリエに向かおうとしていた。

 すると玄関のチャイムが鳴る。私の家に訪ねてくるような友人はいない。新聞屋か何かだろうか。私は玄関に向かった。

 玄関のドアを開ける。するとそこにはしっかりとしたスーツ姿の女性の姿があった。

貝実(かいみ)

こちらが野槌さんのお宅で間違いないでしょうか?

野槌(のづち)

そうだが、君は?

貝実(かいみ)

私は貝実(かいみ)ミサと申します。今回は野槌さんの作品を譲っていただきたく、参りました

野槌(のづち)

私の絵を?

 女性、貝実さんの言葉に私は驚いた。そもそも私はアトリエを持ってはいるが、絵を描いている事は誰にも明かしていない。それなのに私の絵を求めて人がやってくるなんて、あまりに予想外だった。
 それを察したのだろう。貝実さんが説明を始める。

貝実(かいみ)

実はちょっと複雑な経緯で野槌さんの作品を知ることになりまして。ぜひ作品を譲っていただきたいのですが、いかがでしょうか?

野槌(のづち)

それはいいのですが、私なんかの絵で良いのですか?

貝実(かいみ)

それはどういう意味でしょう

 貝実さんの目つきが鋭くなる。私は緊張しながらも、自らの思いを口にした。

野槌(のづち)

こういってはなんですが、私は自分の絵に自信が持てないのです。作品だなんて口にする事すらおこがましい

 口にしていて余計に情けなくなってくる。私の言葉を聞くと、貝実さんの目つきはさらに鋭くなった。

貝実(かいみ)

失礼を承知で言わせていただきます

 貝実さんは私を見据えると、その言葉を口にする。

貝実(かいみ)

自分の絵を作品と言える自信がない。そのお気持ちはわかります。しかしそれはあなたの絵を好きだと言ってくれる人、何よりあなた自身が生み出した絵自体に対して失礼じゃないですか?

 その言葉に私は心臓を鈍器で殴られたような痛みを受ける。自分の生み出した作品に失礼だ。そんな事は今まで考えた事もなかった。

貝実(かいみ)

自身が生み出した絵は子供も同然。あなたは実の子供に『お前は価値がない』なんて言えますか?

野槌(のづち)

でも、それでもやはり自信が持てないのです。こればかりはどうしようもなくて

 そう、私だってこの作品を生み出せない無限ループから抜け出したいのだ。だがどうしても自信が持てない。それが私にとって最大の悩みだった。

貝実(かいみ)

ではある場所にご案内しましょう。着いてきてください

 そう言って貝実さんが自身が運転してきたのであろう車に、私を案内する。私は一瞬躊躇したが、そのまま勢いで車に乗り込んだ。

 それからついた先。それは一つの画廊だった。

貝実(かいみ)

どうぞ中へ

 貝実さんに案内され、画廊の中に入る。
 その瞬間、私は自身の目を疑った。

野槌(のづち)

こ、これは!

 そこには私が捨てたはずの月の絵が飾られていた。値段はなんと五十万円。

貝実(かいみ)

この作品はすでに売約済みです。他の作品も同じです

 画廊に飾られている絵を見て回る。どれも私の描いた絵だ。それに数十万円の値段がつき、しかもどれもが売約済みになっている。

野槌(のづち)

なぜ私の絵が?

 思ったままに疑問を口にする。貝実さんは真剣な眼差しで語り始めた。

貝実(かいみ)

一人の男がこの作品群を定期的に持ってきたのです。最初は男が描いたのかと思いましたが、どうも様子がおかしい。問い詰めると、男は『ゴミ捨て場でこの絵を見つけた』と白状しました。そこからあなたにようやくたどり着いたのですよ、野槌さん

 私が一度ゴミ捨て場に捨てた絵。それが誰かに評価され、画廊に持ち込まれ、人気を博している。まるで夢のような光景だった。

貝実(かいみ)

これでもあなたはまだ、自分の絵を作品だと言えませんか?

野槌(のづち)

私は……

 貝実さんの言葉に私は思う。私に足りなかったもの。それは自虐的な自分自身の評価ではなく、誰かからの正当な評価だったのだと。そう理解した。

 それから一週間後。
 私はまたアトリエで月の絵を描いていた。少年の頃見た、大きな満月をイメージして筆を走らせる。
 完成した絵を見て、私は思う。

野槌(のづち)

(私にはまだこれを作品と呼ぶ自信はない。そうだけれども)

 それからバスに乗り、貝実さんの画廊へと向かう。画廊に入るとすぐに貝実さんが対応してくれた。

貝実(かいみ)

これが今回の作品ですね?

 私の描いた月の絵を見て、貝実さんが問いかける。私が頷くと、私の絵はそのまま額縁に入れられ、画廊の一画に並べられた。

 別に金が欲しいわけじゃない。ただ、誰かがこの絵を素晴らしいと言ってくれるなら、

野槌(のづち)

これは私の立派な作品です

 そう言える自信を持てる。
 私は納得のいく作品を生み出せないという無限ループから、ようやく抜け出す事ができた。

 私は今、立ち上がったのだ。

END

ある絵描きが立ち上がるまで

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