私は……もう限界……。






今までずっと……がんばってきたけど……。







ごめんね……。
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

落合 美琴

お母さん、おはよう。

お母さん

おはよう、美琴(みこと)。
朝ご飯とお弁当、できてるわよ。

落合 美琴

うん、いつもありがとね。

 
 
私は笑顔を無理矢理に作って、
感謝の気持ちを伝えた。

もちろん、その気持ちには嘘偽りがない。
いつも私のことを気遣ってくれていて、
すごく嬉しい。



でもその優しさが……私を苦しくさせる。



こんな優しいお母さんに
心配をかけるわけにはいかないって、
その気持ちがずっと心にあるから……。
 
 

お母さん

今日は美琴の15歳の誕生日でしょ?
ケーキ買っておくから。

落合 美琴

あ……うん……。

 
 
 
――今日、5月9日は私の誕生日。


いつも変わらない日常だからこそ、
決心をするにはいいきっかけだ。

そっか、私も15歳か……。
 
 
 

お母さん

今夜はお父さんも
なるべく早く帰れるように
仕事を切り上げるって
言ってたわよ。

落合 美琴

お父さんはもう会社へ行ったの?

お母さん

えぇ、少し前にね。

落合 美琴

そうなんだ……。

 
 
お父さんも気を遣ってくれなくていいのに。

いつもより家を出る時間が早いのは、
きっと定時退社をするために
仕事を少しでも早く処理するためだ。


もしかしたら私、
今夜のケーキは一緒に
食べられないかもしれないのに……。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私は食事を済ませ、
お弁当を持って自宅を出た。

私の通っている中学校は家から徒歩10分。
大した距離じゃないけど、足がすごく重い。



本当は学校へ行きたくない。
でも行かないとお父さんやお母さんに
心配をかける。

私さえ我慢していれば、丸く収まるんだ。






――と、思って今までずっと我慢してきた。



だけど……もう私は……。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
重い足をなんとか前へ動かして、
通学路を歩いていった。


家の前の生活道路を少し進むと、
左には神社が見えてくる。
そこを越えた先が都心部へと繋がる幹線道路。

この道は片側三車線で交通量も多く、
昼夜を問わず車やバイクが走っている。
だからここを歩いて横断するのは不可能だ。
 
 

 
 
 
でも学校へ行くには
ここを越えなければならない。

かといって近くには信号がないので、
私はここに架かる歩道橋を使って
いつも向こう側へ渡っている。


階段の上り下りは大変だけど、
信号まで往復5分かけて遠回りするよりはマシ。
そこを上りきり、通路を歩きながら
道路の方を眺めてみる。



――今朝はトラックの数が多いかも。

信号から離れている場所だから、
みんな結構なスピードが出てるな……。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
歩道橋を渡ったあとは、
長い坂道をひたすら登っていく。

この辺りまで来ると、
同じ中学に通う生徒の姿も
多く見られるようになる。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 

落合 美琴

痛っ!

 
 
突然、後頭部に激しい痛みが走った。
何か硬い物が当たったような感触。

振り向いてみると、
足下に小石が転がっているのが見えた。
おそらくこれが頭にぶつかったんだろう。


そしてその石が飛んできたと思われる方向へ
視線を向けると、
そこには同じクラスの女子3人の姿が……。

彼女たちは私と目が合うと、
ニコニコしながら近寄ってくる。
 
 

上野 里多

おはようっ、
落合(おちあい)さん。

落合 美琴

……おはよう。

的場 麗奈

うっわ……暗っ……。

狭山 あゆ

相変わらず陰気くさいわね。
近寄らないでくれる?

 
 

 
 

落合 美琴

きゃっ!

 
 

 
  
\ ズザァアアアーッ! /
 
 

 
 
私は狭山(さやま)さんに突き飛ばされ、
そのまま尻餅をついてしまった。

そんな私を見て3人は大笑いしている。
 
 

落合 美琴

っ痛ぅ……。

的場 麗奈

鈍くさっ。
この程度で転ぶなんて
ありえない。

狭山 あゆ

わざと転んだんじゃない?
か弱さアピールみたいな?

上野 里多

ウザっ!

狭山 あゆ

見て、落合さんのお弁当。
生意気にもお昼ご飯、
食べる気みたい。

上野 里多

鈍くさくてエネルギーなんて
消費しないのに? 贅沢よね。

落合 美琴

あっ!

 
 
3人は私のカバンに吊り下げていた
布製のお弁当袋を思いっきり踏みつけた。

するとメキッという音とともに
袋が不自然に凹む。


そして袋には汁のような物が
内側から滲んできてシミを作る。
 
 

上野 里多

ふたりとも、行こっ。

狭山 あゆ

うん。

的場 麗奈

じゃあね~。落合さん。

 
 
3人は私を残して行ってしまった。


周りを歩いているほかの生徒たちは
見て見ぬ振りをしたり、
遠巻きにチラリと見て通り過ぎていく。
 
 

落合 美琴

あ……ぐ……。

 
 
お母さんが作ってくれたお弁当。
朝は出社の準備で忙しいのに、
わざわざ早起きしていつも作ってくれている。

そんなお母さんの気持ちの込められた
大切なお弁当を、
まさに土足で踏みにじるなんて……。
 
 

落合 美琴

う……くっ……。

 
 
勝手に涙が溢れてくる。堪えきれない。

ポタポタと涙がアスファルトの上に落ちて
どんどんシミが広がっていく。
 
 

おい……何があった……?

 
 
誰かが私の前で立ち止まり、声をかけてくる。

顔を上げると、そこにいたのは
間部翔(まなべ かける)くんだった。


彼は私の幼馴染で、今はクラスも同じ。
小学校に入る前からの付き合いだ。


翔くんは当惑したような顔で私を見下ろし、
手を掴んで立ち上がらせてくれた。

そのあと、すぐに厳しい表情になって
私を真っ直ぐ見つめてくる。
 
 

間部 翔

ミコ、誰にやられた?
まさかまた上野(うえの)たちか?

落合 美琴

あ……ううん……
転んじゃっただけだよ。
心配してくれてアリガトね。

間部 翔

そうなのか?
怪我はしてないか?

落合 美琴

うん、私は大丈夫だよ。
お弁当はダメになっちゃったけど。

間部 翔

それなら俺の弁当を分けてやる。

落合 美琴

あ、いいよ。
気持ちだけ受け取っておく。
今から家に戻って、
新しいのを作ってくるから。

間部 翔

は? 遅刻するぞ?

落合 美琴

大丈夫。
ジャーのご飯でおにぎり作って
昨日の夕ご飯の残り物を
詰めるだけだから。

落合 美琴

翔くんは学校へ先に行ってて。

間部 翔

そうか?

間部 翔

何かあったら
遠慮なく俺に言えよ?

落合 美琴

……ありがと。

落合 美琴

じゃあね……。

 
 
私はカバンを拾い上げ、
軽くはたいて砂埃を落とした。

そしてめちゃめちゃになった弁当袋のヒモを
カバンから外し、
それを抱きしめながら自宅の方へ引き返す。




 
 
 
 
 
 

  
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
やっぱり私はもう……限界だ……。

さっきので完全に踏ん切りがついた。
迷いも後悔も一切ない。




歩道橋を登り切った私は、
通路の真ん中で足を止めて景色を眺める。


眼下を猛スピードで行き交う自動車。
私はカバンを床に置くと手すりを乗り越え、
そこへ引き寄せられるように身を投じた。
 
   

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
天地がひっくり返り、体は浮遊感に包まれる。


これでやっと楽になれる。
もう我慢しなくていいんだ。




さようなら、ありがとう……。

次は私、
どんな生き物に生まれ変わるのかな……?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

 
 
 
次回へ続く……。
 

1回目 日常の終わり

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