寺町通りの石の小径を、
薄物纏った紳士が独り、
とてとて歩いておりますと、
木陰の混じった石階段の、
木洩日さした坂の下から、
右と左のそれぞれに、
清しい水をいっぱい汲んだ、
大きな木桶をぶら提げて、
古代の鯨のあばらのような、
ごつごつ堅くてつるつるとした、
天秤棒をぐいと担いだ、
一人の立派な若者が、
地面を焼いた陽炎の中から、
氷に上がるあざらしのように、
ぬるりと姿を現して、
かんかん照りの日向の中を、
坂の上まで目指して走る。
紳士は小径の真ん中を、
若者に向けて空けてやり、
若者は小さく頭を下げて、
紳士の真横を走って過ぎる。
その時震えた桶の中から、
やんちゃな水面の小さな波が、
桶の内側の壁に当たって、
砕けて散って飛沫になって、
流星めいて桶から落ちて、
避けた紳士の下駄に当たった。
既にその場を通って過ぎた、
若者はそれに気が付かず、
水天秤をころころ振って、
坂の天辺へ達した後は、
海下に戻るあざらしのように、
逃げ水の中に溶けていく。
紳士は右足の下駄に感じた、
思いがけない水の冷たさを、
指の間で転がしながら、
童子のように微笑んでいる。
まだ蝉が鳴き始める前の、
寺町通りの石の小径に、
薄物纏った紳士が一人、
ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ歩いている。