……っ!

 戻ってきてしまった。

 僕は、現実に戻ってきてしまった。

 この、幸せなんて微塵も無い世界に。

 自分の顔に触れる。
 もう視えない両目からは、涙が止め処もなく流れ出ている。

 僕はあの時、叶会さんだったものを見たショックで錯乱し、両目を抉ったんだったか。
 治療を受けたものの、当然、目は元に戻らなかった。

 それから、精神病院に叩きこまれた。
 自信は無いが、恐らく僕はあれから2年ほど、入院しているのだろう。

 ここで僕は、現実を忘れたくて、ひたすら妄想に耽り始めた。

 本当に現実を忘れたら、叶会さんの事まで忘れてしまう事にも気づかず。

 ひたすら自分に都合の良い、幸せな妄想を続けた。



 でもそれは、余りにご都合主義すぎて、綻びを持たざるを得なくなっていた。

 まず、叶会さんの制服。
 あれが同じ"高校の制服"だなんて、気付かなくて当然だったのだ。

 だってあの制服は、僕と叶会さんが通っていた中学のものだから。

 僕は中学2年生の時のあれ以来、殆どの時を病院で過ごしている。
 だから、高校なんて行っていない。
 そもそも"僕の高校の制服"なんて、存在しないのだ。


 それにしても、桜冠高等学校、か。
 そういえば叶会さんと、一緒にあそこに進学しようなんて言った事もあったっけ。

……無理に決まってる。

 平凡以下の僕なんかが、あんな学力の高い高校に行ける筈が無い。

 制服についてだけじゃない。

 僕は、自分がなぜ自分であるのかを、忘れていた。

 平凡以下な癖に、"平凡嫌い"。
 何とも愚かしい価値観。

 それを持つ様になった原因は、間違いなく、あの事件。
 叶会さんとの、本当の過去。
 僕が、自分の無能さに絶望した時。
 そういう辛い過去を全て、無かった事にした。

 原因を欠いて結果が存在するなんて、有り得ない。
 ただし、現実では。

"僕は、何も知らない"。

"僕は、高校生になってから初めて叶会さんと出逢った"。

 嫌な事は全て忘れ、僕は都合の良い妄想に、自分を閉じ込めた。

 僕も彼女も救われる、ハッピーエンドの妄想に。

 僕はその夢を生みだす際に、3つの事を望んだ。

 1つ、"僕に力があれば良いと思った"。

 でもそれは、無理な改変だった。

 僕は自分の無能さを知り過ぎていて、夢の中ですらそれを変えられなかった。

 自分では何も救えないから、運命に救ってもらうことにした。

 2つ、"彼女に力があれば良いと思った"。

 普通の人なら引いてしまう程に不思議な女の子。
 故に、異質。

 その願望は、妄想の中での叶会さんの表層に作用した。
 すなわち、彼女の芝居がかった様な態度である。

 現実の叶会さんは、"未来が視える"だなんて訳のわからない事は言わなかった。
 そもそもあんなふざけた会話自体、した事が無い。

 そして叶会さんは僕でないが故に、"異能"を持つ事が出来た。

 僕は、妄想の中ですらやりたくても出来ない事を、彼女にさせたのだ。

 3つ、"力のある味方が居れば良いと思った"。

 澪里さん。

 彼女の様に、上から僕らを導いてくれる存在が必要だった。
 それは、単なる人間の域を超えた能力の持ち主で。
 それでいて、少し平凡からズレた性格だから、僕でも関わりようがある。

 筋書きを上手く進める為には必要な人物だった。

 そう、澪里さんは、



 実在しない人間だ。

 その姿は、昔、何かのアニメで見たようなものだ。

 虚しい。

 自分のした妄想について考えてみると、つくづく嘘ばかり。
 所詮僕らは、現実から逃げ切る事なんてできないのだ。

クソッ……!

 筋肉がかなり衰えた腕で、僕の寝ているベッドであろうものを、音もなく叩く。

僕は……

 一体、何で生きているんだろう。

 妄想をひたすら綴り続け。
 自分の弱さから逃げて。

 生きている価値はあるのだろうか。

 叶会さんが、僕の目の前に居た頃は良かった。
 おそらく僕の人生で唯一の価値である、彼女との繋がりが明白だったから。

 それなのに僕は、現実の彼女から逃げて、忘れようとしてしまった。
 ただでさえ、記憶しか彼女と繋がるものが無いのに。

 忘れてしまったら、僕は彼女を死なせてしまう。

 だから、僕は探さなければならない。

 見つけられなかったものを。

叶会さん

末那

うん……

答えを出そうと思う

末那

そっか……

君の生きる場所へ、行きたいから

末那

きかせて、その答えを


……

――


 怖い。

末那

がんばって


 やっぱり、怖い。

末那

大丈夫だよ

 でも。

 僕は。

 行きたいんだ。

末那

うん

 その想いが存在できるところへ。

 君の生きる場所へ。

……

其処は。



其の場所は――

末那

ありがとう

 それは一方通行で、本当は約束なんて呼んではいけないものだけど。

 僕は約束した。

 決めたんだ。

"君を死なせない"。

 君の物語を綴る。

 君と会う願いを、叶え続ける。

……



……



……

 あれから、相当な時間が経った。
 高校生の時に退院して、5年ほど。


 僕は21歳になった。

 精神病院を出た後は、"その様な学校"に入学した。

 目が視えない僕が、なんとかやっていける様に対応してくれる。

 ものすごく不便である事は、今でも変わりない。
 でも、少しは上手くいっている。

 そこで学習する傍ら、僕は文章を綴った。
 書くといっても、音声認識だけれど。

 僕と叶会さんの、本当の話を。
 叶会さんの、優しさを。

 そこには文学的な面白さなんて無い。
 エンターテイメント性だって、無い。
 きっと、特別な何かなんて、無い。

 それでも、この出来事を、僕は誰かに知ってほしかったから。
 これも言ってしまえば自己満足でしかないけれど。

 なんとか、書いたものを出版にこじ付けた。
 すると、いくらか反響を得る事が出来て、とても嬉しかった。

 こうして叶会さんという概念を認識してくれる人が増えれば。

彼女は、"生きる"。

 ところで、本の最後には、私信を書いた。

 僕は結局、返事をする事ができないでいたから。

"叶会末那へ"



"僕も、君の事が好きだ"、と。


おわり

第N章―③ 君の生きる場所

facebook twitter
pagetop