声にはじかれるように走り出した僕たちだが、行く当てがある訳じゃない。

 後ろを振り向く事すら怖い。



 一体アレは何なんだ。


 間延びした声。床に落ちた腕。


 今更ながら鼻腔に腐臭が詰まった気がして、吐き気がこみ上げた。




 思わず小さく唸って口元に手を当てる。


おい! 吐いてる場合じゃねえぞ!

 いつの間にか、派手な男に腕をつかまれていた。

 生理的に浮かんだ涙が、視界を滲ませているのだろう、男の顔が奇妙にぼやけている。


 少し前を走っていた佑二が、戻ってくるのを視界の隅に捉え、思わずそちらを見た。



 佑二は驚いた様子で数歩駆け寄って来ていたが、直後に顔を強ばらせて立ち止まった。


 佑二の視線は僕の肩のあたりを通過して、もっと遠くを捉えている。

……!!
クソ!!
てめえは先に行け!

 男が佑二の視線に反応して背後を見るいやいなや、そう言った。

 しかし、佑二は首を降ってさらに一歩足を踏み出そうとする。

戻ってくるな!
バカか!


 男は叫ぶようにそう言うと、近くにあった消化器をつかんだ。

 僕の頭を腕で無理矢理押し下げる。


 次の瞬間、鈍い大きな音と、金属が床に叩き付けられる音がした。


 思わず閉じていた目を開けて音の方を見ようとするが、それよりも先に強く腕を引かれた。




 引きずられるように歩を進めたが、右側に佑二の姿が見える。




 丁度僕たちは一階の廊下と二階へ続く階段の境目にいた。


 訳の分からない「アレ」は、僕らの背後に迫っていたのだろうが、男に殴りつけられたせいか壁際にうずくまっている。


 そして僕たちよりも先を走っていた佑二は、廊下のさらに先、体育館へ続く渡り廊下の方へにいた。


 この位置からだと、もう一度あの化物の近くを通過しなくては佑二と合流できない。

今のうちに逃げるぞ

でも、佑二が

アイツの横を通って行く気があるのか?

 化物はもぞもぞと動き出しており、今にも立ち上がりそうだ。


 佑二もそれを見たのだろう、僕の方へ顔を向けると大きく頷いた。

……斉藤さんの部屋で!

 佑二はそう言って踵を返す。


 あっという間に背中が小さくなって、渡り廊下へと消えて行った。



 僕がそれを呆然と見送っていると「行くぞ」と、また腕を引かれる。



 僕は今度こそ引きずられるように階段を上る事になった。








 校舎は大きな「H」の形をしている。

 5階建てで3階から5階までは長い縦棒の部分に普通教室画4つずつ、上下の端に特別教室や準備室が並ぶ構造だ。

 2階は調理室や理科室があり、1階には職員室や保健室が配されている。


 佑二が去って行った体育棟とは1階と2階の底辺部分で繋がっているのだ。

 昇降口は中央の短い棒の部分にあたる。
 その部分は2階はちょっとしたラウンジに、3階以上はロッカースペースになっていた。





 僕たちは2階に上がり、体育棟へ向かったがあいにく鍵がしまっていて体育館へは入れなかった。ここで佑二と合流する事はできなさそうだ。


 身を隠せる場所は無いかと、特別教室の戸に手をかけるが、どこも開く気配が無い。


 階段の前まで戻って来て、ふと男と顔を見合わせた。

 階段の下にはアイツがいるかもしれない。
 このまま2階にとどまるか、3階かもしくは1階へ移動するか。そもそもアイツが何をするヤツなのかもわからないのに、逃げ回る必要があるのか。

 だが、アイツを見た時の圧倒的な不快感は忘れられそうに無い。




 二度と会いたくない。




 一階に降りたら遭遇してしまうのだろうか。



 一階に残っている人は無事だろうか。


 佑二は、無事なのだろうか。




 

佑二。大丈夫かな。

自分の心配をしろよ。
アイツが上がって来たら一番やべえのは俺たちだぞ。
アイツ、まっすぐこっちに向かってやがったみたいだからな

 男が唾とともに吐き捨てるようにそう言った。


 わからないのだろうか。


 僕には、アイツは攻撃をして来たこの男を追って来たとしか思えなかったのだが。


 それでも、口に出すのは憚られて、僕は意味も無く頷くことしかできなかった。


 鋭い舌打ちが聞こえる。

……なに?

別に。
陰気くせえヤツだなって思っただけ

そう……かもね

 男はさらに何か言いたげに口を開きかけたが、すぐに表情を引き締めた。

音がする。西B(ここ)から上がってくるみたいだ。

 階段は長い棒部分に二つずつついている。
 棒の右側をA、左側をBとし、上部を東、下部を西と行って区別している。

 僕らが上がって来たのは、出入り口に近い左側の棒側の、下部に位置する西B階段だ。
 うずくまっていた化物は、回復するとそのまま階段を上がって来た事になる。


 幸い、音は一段一段をゆっくりと踏みしめるようになっているので、僕らはその間にそっと階段の前を通過する事にした。
















 だが、それが間違いだった。
















 恐る恐る会談前にさしかかった僕たちが見たのは、








 踊り場に這いつくばる不気味な化物。












 そいつはこちらを向くなり、首をぎちぎちと傾けながら口を大きく開けて
















 











ははははははははははははははははははははは














 



































 と、気が狂ったように笑い出したのだ。









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