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お嬢様。
吾助様がいらっしゃいました。

ドアの外からメイドの声がします。
奥のソファーで読書をしていた志乃は顔を上げ、

志乃

通してちょうだい。

と言い、しおりを挟むと本を閉じました。

メイドがドアを開けると、反物を持った吾助が現れました。

吾助は軽く会釈をすると、

吾助

どうも。

と言って入口に立っています。

志乃

また来たの?

そう言いながらも、志乃はいそいそと中央のテーブルに向かい、吾助を招き入れました。

お嬢様、
お茶はどうしますか?

志乃

持ってきてくれる?

メイドは頭を下げてドアを閉めました。
吾助が席に着くと、志乃はその正面に座ります。

吾助

見てもらいたい物があってね。

吾助は反物を志乃の前に置きました。

志乃

反物ならお父様のところに持っていけばいいでしょ?

吾助

キミの方が目利きだから。

志乃

そんなこと言われても
嬉しくないわ。

志乃

女に商才があっても、
何の役にも立たないもの。

吾助

そう……。
困ったな……。

そう言って吾助は話すのをやめました。

吾助

…………。

志乃

……………………。

志乃

わかったわよ。
見るわよ。

志乃は不服そうに反物を手にします。

吾助

そう言ってくれると思った。

志乃が最初に広げたのは、銀次の奥さんが織った方でした。

志乃

あら、これ、
いいんじゃない?

吾助

こっちと比べても?

吾助は鶴太郎が織った方を指します。
志乃はそちらも広げました。

志乃

これは……
前に見たのと同じ人が織ったのかしら?

吾助

そうだよ。

志乃

もちろん、
こっちも素敵よ。

志乃

でも……

吾助

でも?

志乃

なんか、人間が織ったって
感じがしないわ。

吾助

人間じゃないものが織った?

志乃

そうじゃなくて、例えよ。
人間が織ったんでしょ?

吾助

まあ……
たぶん。

志乃

たぶんって……。

吾助

どうしてそう思ったんだ?

志乃

素敵すぎて、怖いくらいだから。
神がかり的なものを感じるわ。

志乃

前に見た物より、
そういう感じが増してる。

鶴太郎

もっと上手に織れるもん!

吾助

天才肌ってやつか?

吾助は、はた織りに関わった時の鶴太郎の様子を思い出しました。

吾助

それなら、こっちは売り物にならないか?

志乃は首を振りました。

志乃

こっちの方が高値で取引できると思う。数をあまり出さないで、見た人が欲しいって思えるようにして……

志乃

誰かが着て歩いてくれると、
それで宣伝になると思うけど……

志乃

これだけ見事な布だから、きっとみんなの目を引くと思うわ。欲しい人が増えれば、値が上がるもの。

志乃

高値になって、買える値段じゃないってあきらめた頃に、少し安くしてこっちを出せば、こっちが飛ぶように売れるはずよ。

志乃

こっちも素敵だもの。
買った人も満足するから、次につながる。

志乃は銀次の奥さんの反物を指して言いました。

吾助

なるほど。

吾助

じゃあ、その着物、
キミが着てくれないか?

志乃

嫌よ。
与兵の彼女が織ったんでしょ?

吾助

イヤ、嫁だって。

志乃

もっと嫌よ

吾助

あれ?
気にする?

志乃

するし

志乃

だいたい、親友の彼女を盗っておきながら、自分のものになったとたんに捨てて、お金が必要になったとたんに売り物持って押しかけて来るって、

志乃

どういう神経をお持ちになっていらっしゃるのかしら?

吾助

これでも緊張しながら来たんだよ。

志乃

めちゃめちゃリラックスしているように見えるけど?

吾助

心臓バクバクしてるんだけど。
聞きたい?

志乃

けっこうです。

吾助

そう?
残念。

メイドが紅茶を持って入ってきたので、反物を片付けて志乃はそれを飲みました。

志乃

三年前、与兵が明美さんとお付き合いをはじめたと聞いて、心配したのよ。

吾助

あいつ、危なっかしいからな。

志乃

与兵じゃなくて
あなたの方。

吾助

…………。

志乃

あなたは、与兵を守るためなら、
どんな危ない橋でも渡るもの。

志乃

ヤクザと対立して、そいつらから命を狙われてるって聞いたときは血の気がひいたわよ……。

吾助

悪かったね。

志乃

寿命が縮まったんだからね……。

吾助

キミは優しいから。

志乃

……。

志乃

だからって、この仕打ち、
ひどいんじゃない?

吾助

ん?

志乃

ものっすごく心配してた時は音沙汰もなかったじゃない。

吾助

ごめん。
そうだったか?

志乃

そうよ。
幹部連中を追い出して、ヤクザ組織も解体したって聞いたときはほっとしたけど……

志乃

それでも
連絡くれなかったものね。

吾助

後始末がけっこう面倒でね。
残った奴ら、仕事がなくなったわけだし。

横暴な振る舞いをしていた明美の旦那に嫌気がさしていた銀次のような人たちは、吾助の味方になってくれましたが、ヤクザ組織がなくなった後、彼らの収入もなくなってしまいました。

吾助はそういう人たちの生活を、診療所で働きながら援助していました。

志乃

それなら私にもお手伝いできたわ。
遠慮しないで来てくれたらよかったのに。

吾助

だから遠慮しないで来てるし。

志乃

来るのが遅すぎます。

志乃

不器用にも程ってものがあるのよ。

吾助

そういうことを言ってくれるから、キミのことは今でも好きなんだ。

志乃

わかってます。

吾助

強くなったね。

志乃

なりたくてなったんじゃないわ。
もっとなよっとして男の人から愛される女の子になりたかった……。

吾助

キミは十分に男から愛される女だよ。

吾助

俺はキミのこと愛してるし。

志乃

あなたの愛情、歪みまくってて普通じゃないもの。

吾助

普通の愛情が欲しいなら
他を当たりなさい。

志乃

当たらないわ。
私にはこれで十分。

吾助

キミは素敵なんだから、
もっといい相手がいるよ。

志乃

私、ひねくれてるから。

吾助

そう?

志乃

じゃなきゃ、あなたのこと、
好きになりません。

吾助

たしかにひねくれているね。

吾助は席を立ちました。

吾助

反物はお父君に渡しておいてくれ。
値段交渉はキミに任せるよ。

志乃

安値で買いたたいちゃうわよ。

吾助

キミがそうしたいなら。

志乃

…………できるだけ
高く買ってもらうわ。

吾助

金は銀次に渡してくれ。

志乃

あなたが来るんじゃないの?

吾助

俺は他の用事があるから。

志乃

銀次が来たら、
渡さないで追い返すわよ。

志乃

私、優しくなんてありませんからね。とってもひどい性格をしているんだから。

吾助

それならますます好みだよ。

志乃

もう……。

吾助

集金には来れないけど
また来るよ。

志乃

何年後かしらね……。

吾助

そんなに待たせないよ。

吾助は帰っていきました。

志乃

ほんと、面倒くさい人なんだから。

志乃はそう思いながら、反物を持つと部屋を出ました。

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