それから一晩経過して、翌日。
それから一晩経過して、翌日。
当たり前だ
一晩経過して翌日じゃないほうがおかしい。
さておき。
金曜日の授業は、実に心安らかに過ごすことが出来た。
これはひとえに、《明日が休みだ》という安心感が生み出す心の余裕ゆえなのだ、やはり人間は常にゆとりを持って生きねばならないな、などと全くとりとめのない思索をしながら歩いていると――気づかぬ内に俺は部室の前にいた。
ええ…………。
ドン引きである。
本校舎にある《一年B組》の教室から、ここ――《meme研究部》の部室までというと、徒歩にして十分近くの距離がある。流石にこれは無意識で歩いて良い距離じゃあない。もはやここまでくると、白昼夢、かつ夢遊病だ。
ううむ、参ったな。
昨日の晩、「てんこが休眠中だから何かあっても良くないし、暫くは活動休止にしよう!」みたいなやりとりを、キリとメールでしたばっかりなのに。
というか、それ、俺から提案したことなのに。
昨日の今日でこんなトコに居るのをキリに見られたら、記憶力を疑われるどころの話じゃないぞ……。いやはや、慣れっていうのはホントに恐ろしい。
これが生活習慣病ってやつか……
呟きながら、折角だからメールチェックだけでもしておこうと扉の引き手に手をかけたところで、
いや、生活習慣病ってそんな習癖みたいな意味合いじゃないからね
と後ろから声を掛けられた。
少し驚いて振り返ると、俺が歩いてきた廊下にキリが立っていた。
お、おぉ……キリか。何でこんなとこにいんの? 今日は活動休止だろ
いやまあ、俺に言われたくはないだろうけども。
アンタに言われたくないんだけど。玄関出たらアンタがのろのろ部室棟に向かうのが見えたから、後をつけてたのよ。その分じゃ気づいてなかったみたいね
うわぁ……。お前、暇だな……
すぱーん。
と、頭をはたかれた。
それもアンタに言われたくないっつの。……で、何しに来たの?
うぐ。
いやなに、休みとはいえメールチェックくらいはしておこうと思ってな。副部長兼庶務のタシナミというやつですよ
うん。
やろうとは思ってたから間違いではないはずだ。
まあ、今さっき思いついたことだけど。
ふーん……まあいいけど
非常に胡散臭そうにコチラを見るキリだったが、面倒だったのか深く突っ込まずに話を流した。
じゃあさ、ぱぱっと終わらせてゲーセンでも行かない? 最近行ってなかったしさー
出し抜けにそんな提案をするキリ。
いいけど、また98だろ? おまえの大門強すぎて勝てる気しねえんだよな……
アンタが毎回ブライアン先鋒に据えるからでしょうが
なんでだよ! いいだろブライアン!
大体、俺は2000以降の方が好きなんだよ。なんたって2000からはクーラがいるからな。クーラがいるというだけで、多少のゲームバランスの悪さに目をつむってでも2000をやる価値があるというもんだ。
そんな俺の懊悩を知ってか知らずか、キリは鼻歌(98のオープニングデモ曲)交じりに俺を押しのけて部室の扉を勢い良く開け放ち、PCが設置されている机の前に陣取った。
席に座ると同時にキリはPCの電源スイッチを押した――が、その後ログオン画面が立ち上がるまでには、実にオープニングデモが二周するほどの時間を要した。正直これ、そろそろ買い替えを希望したい。
なお余談だが、オープニングデモだけで論ずるならば俺も98が一番好きだ。特にラップパートの終わりと同時にアップになった庵が微笑むシーンなど、最高にクールだと言えよう。
勿論2000にも映像や曲としてのかっこよさは充分にあるのだが、個人的な意見を言うと、ラップパートが無いという点が少しばかり物足りなく感じてしまうのだ。
余談おわり。
ログオンが完了すると、キリは早速インターネットブラウザを立ち上げ、我が部の公式HP《meme》を開く。そのまま新着コメント欄を一通り確認すると、
うん、特に大事なコメントは来てないみたいね
と言った。
そっか。メールの方はどうだ?
ちょっと待ってねー
キリはそう言って、素早くメールクライアントを立ち上げた。
言われた通り少しの間待っていると、程なくして受信トレイを確認していたキリが「あ、一件メール来てるね」と言った。
ちなみに、ウチはメールアドレスをHPに直接載せてはいない。主な用途が学内活動の為だからアドレスを公に広める必要がそれほど無いということもあるし、単純に迷惑メールの類を防止する意図を兼ねてでもある。
つまりこのアドレスにメールが届くということは、《アドレスを知っている関係者から直接送られてきている》か、または《HPに設置されているメールフォームを通して送られてきている》かのいずれかということだ。
あ。
いや、訂正。
以前にもう一パターンあった。
もうあからさまに、この世のモノじゃないって感じの奇怪なメールが届いたことが。あれは恐ろしかった……。
とはいえ、そんな特殊なケースを除けば先に挙げた二通りのどちらかだ。俺はPCから少し離れた席に座っているが、遠目に見たところ今回は後者の例であるようだった。
どんな内容? 調査依頼の類ならちょっと申し訳ねーけど、昨日話した通り暫くは控えておこうぜ。急ぎじゃなさそうなら、だけど
なんかあってもてんこが動けないんじゃ怖いしな。
そうだねー。ちょっと中身読んでみるわ
そう言ってキリは暫しメールを読み進めていたが、やがて読み終えるとこちらに向き直って俺に声をかけ、こっちに来いとばかりに手招きした。
ん、なんかヤバそうな話だった?
ヤバいかどうかはまだ断言できないけど……少なくともそれなりに急ぎではありそう
ふうむ……? よく分からないな。
まあとにかく、読んでみてよ
わかった
俺はジェスチャーに応じてPCの側に寄り、キリの肩越しにモニターを覗き見た。
突然のご連絡すみません。
当方、中学三年生の女子です。
《meme研究部》さんにどうしても調べていただきたいことがあって、今回メールさせていただきました。
調査をお願いしたいのは、わたし達の学校で流行ったある降霊術についてです。
その降霊術とは、わたし達の間で《煤払いの奇跡》と呼ばれているものです。
それは、《煤払いの日》である十二月十三日にある手順を行うことで、亡くなった血縁者を呼び出すことが出来る、というものでした。
その手順は、以下のように伝わっています。
一、事前にお風呂に入り、体の隅々まで綺麗に洗って身を清めておきます
ニ、日付が変わる前に、大きな合わせ鏡がある部屋に一人で移動します
三、その部屋の扉や窓を閉め切ります
四、合わせ鏡の中央に、水を半分ほど入れたコップを置きます
五、日付が変わったら、会いたい故人の名前を三回呼んでから、コップに自分の血を数滴垂らします
六、合わせ鏡に背を向けて、その状態で気配がするまで待ちます
七、背後に気配を感じたら振り向き、向かって右側の鏡を覗きこみます
八、故人が鏡に映り、朝までの間話すことが出来ます
手順は、以上です。
それで、
わたし、この手順をやってしまったんです。
去年の十二月十三日に。
本当に、ばかなことをした、って思ってます。
でもどうしても、死んだお祖母ちゃんに会いたくて、会ってもう一度話したくて、そう思うと、止められませんでした。
家にある大きな合わせ鏡を使って、試したんです。
正直、半信半疑でした。
でも、本当に降霊術は成功したんです。
成功してしまったんです。
鏡には確かに、人影が映り込んでいました。
ただそれは、生前のわたしのお祖母ちゃんとは似ても似つかない、醜悪な化物でした。
この世の何もかもを呪うような、そんな表情をしていました。
わたしは、その霊からわたしに向けられた明確な敵意を感じ取って、同時に気を失いました。
そこから先は、記憶がありません。
気付いた時には既に夜は明けていて、心配そうな顔を私に向ける両親と兄の姿がありました。
長くなってすみません、本題に移ります。
この事件があった後、わたしなりにこの降霊術について調べてみたんです。
でも、《煤払いの奇跡》なんて降霊術はどこを探しても見つかりませんでした。
ネットでも図書館でも全く調べがつかず、途方に暮れておりました。
それで、《meme研究部》さんに調べてほしいことはひとつです。
あの化物は、本当にわたしのお祖母ちゃんだったのでしょうか?
もしかして、本当は、もっと別の恐ろしい何かを呼び出す為の術だったのではないでしょうか?
信じたくないんです。
《あれ》がわたしのお祖母ちゃんだったなんて。
あの時《あれ》は確かに、わたしに敵意を、殺意を向けていました。
きっと、間違いなく、わたしを恨んでいました。
あの化物がお祖母ちゃんじゃないという確証がほしい。
ただもし、もしも《あれ》がお祖母ちゃんだとしたら……。
……この一年、何度も忘れようとしました。
でも、だめでした。《煤払い》が近づくにつれて、どんどん、後悔が膨らんでいくんです。
このままでは、わたしはおかしくなってしまいそうです。
今年ももうすぐ、その日が来てしまいます。
不躾は承知でお願いします。わたしを、助けて下さい。
信じがたい話とは思いますが、ここに書いたことは全て事実です。お礼は、わたしに出来る範囲なら、なんでもさせていただきます。
もしご承諾いただけるようでしたら、以下のアドレスにご返信ください。連絡、お待ちしています。よろしくお願いします。
…………
……成程。確かに、急ぎではあるな。
今日は、《十二月十一日》。
猶予はあと二日……いや、十三日に日付が変わると同時に行わないといけないなら、実質あと一日半か。それを逃すと次の機会は一年後になるって訳だ。
が。
メールの内容を額面通りに受け取れば、この子が来年まで平穏無事でいられるとは思えない。だからそれを考慮すると、やっぱり今年の解決がマストか。
それにしても――《十二月十三日》、ね。
何の偶然かは知らないけど、随分な因果だ。
何の運命かは知らないけど、随分な応報だ。
全く――
くだらない。
……どうする?
受けよう
あはは、即答だね。まあわかってたけどねー。的、困ってる人ほっとけないもんね
そんなつもりじゃねえって。……自分で首突っ込んで自分で霊障受けてるんじゃ、文字通り自業自得だぜ。因果応報、身から出た錆だ。そんな奴わざわざ助けるほどお人好しじゃないよ、俺は。ただ――
ただ、死んだ家族にもう一度会いたいって理由なら。
その理由なら――
俺にも、解らないでもない。
ただ?
……いや、ただ女子中学生が何でも言うことを聞いてくれるってのは、なかなか悪くない条件だと思って
瞬間、振り向きざまのキリの手刀が俺の顔面を強襲し――ダメージを負った目が再び視界を確保するには、その後数分を要した。
メールの最後には返信用のメールアドレスが記載されていたから、依頼承諾のメールをキリに送ってもらうと、すぐに返信が来た。
その返信には大層な感謝の念が込められており、未だかつてこれほど人に感謝されたことのない俺(自慢にはならないが)としては、かえって恐縮してしまう程だった。
尚そのメールには、今後の連絡用として携帯の電話番号も記載されていた。
が、これに浮かれて「JCのケー番ゲット~!」などと喜々として言おうものならまた視力を失うのが目に見えていたので、聡明な俺は心の中に留めるまでとした。
とまあ、冗談はさておき。
キリが依頼者のJCとメールしている合間に、俺も調査に向けて一つ布石を打っておいた。それによって俺の財布の中身が軽くなることは確定したが、まあ已む無しというやつだろう。
……いや、これ、已む無しなのか? 果たして本当にそうだろうか。冷静に考えたら俺が金を出すのはおかしいのではないだろうか。何故に他人のために行う調査の費用を俺が出すのだ。うん。やっぱり、よく考えずともこれはおかしい。
いっそのこと、調査費用として依頼者に請求してしまうのが筋なのではないだろうか、とか《年上の男》としての尊厳を捨てた葛藤をしていると、PCに向き合っていたキリがこちらを振り向いて言った。
よし、とりあえず連絡はこんなもんでいいかな。そっちはどう?
あぁ……うん。こっちも大丈夫だ。なにも問題なければ、明日には情報が得られると思う
そかそか。それなら、今回はドンパチやらずに済みそうだねー。依頼主はあくまで退治じゃなくて正確な情報を求めてるだけみたいだし
キリはそう言うと、指を絡めるように組んだ両手を天井に向けてまっすぐに伸ばし、椅子ごと仰け反りながら大きく伸びをした。しばらくそうした後「ふっ」と息を吐きながら徐ろに腕を下ろすと、今度は椅子上で器用に腰ひねり運動を始め、そのまま目だけを俺に向けて言った。
いやー、それにしても、スゴイよね。仮名さん、だっけ? ホント、足を向けて寝れないね、アンタ
身体の動きに合わせて途切れ途切れになりながらも言葉を継ぐキリ。どうでもいいけど、あんまり関節パキパキ鳴らすなよ。体に良くないらしいぞ、それ。
なんで俺だけだよ、お前もだろ。て言うか俺はちゃんと見返りを払ってんだから、足を向けて寝れないのはお前だけだ
と言ったら、露骨に目を逸らされた。
コイツ……。
まあでも、確かに。
素人同然の俺やキリが今まで活動を続けてこられたのは、勿論てんこの助力あってのものだが、それと同じくらいアイツ――仮名出雲の手腕によるところが大きいのは間違いない。
今回のような一般に調べあげることが出来ないような情報を易々と持ってこれるアイツがいてこそ解決できた事件が、過去に何度もあった。だからこそ俺は、まだ出会って四ヶ月足らずのアイツを本心から信用できるし、信頼していた。
まあどんだけ信頼関係があろうと、金は減っていくんだけどな……
ボソリと呟く。
ん、なんか言った?
いやこっちの話。とにかく、明日にでも出雲が情報を持ってきてくれれば今回の件は無事解決するっていうわけだ。お前の言った通り、しっかりとしたソースを提示してあげればJC3も納得するだろうし。今回は危険は無いと思うよ
なんだJC3って。いやらしい呼び方をすなっ。……でもまあ、そうなるといいね
キリはそう言うと、運動を終えて勢い良く立ち上がった。
でもさ
と言いながら振り向いたキリは表情を一変させており、先程までとは異なる真剣な面持ちでこちらを見据えていた。
もし仮名さんの情報が明日中に間に合わなかったら――アンタ、降霊術試す気でしょ?
…………。
やっぱり
……仕方ねーだろ、受けちまったら出来る限りのことはしなきゃなんだしさ。そりゃやらねーに越したことはないけど、やらなきゃいけねーんならやるだけだよ
それに。
会えるというなら。
遭えると、いうなら。
《アイツ》に、逢えるというなら――
それは俺にとって、満更悪いことばかりでもない。
はぁ……。アンタから暫く活動控えようって提案してきたくせに。まったくもー。……でもまあ、しょうがないか。それに今回なら霊が鏡に映るだけって話だから、危険も少ないだろうしね
キリは半ば呆れ気味ではあるが、そう言って承諾の意を示した。
ただもしやるってんなら、その時はアタシも同席するから。もしも何かあった時にアンタだけじゃどうしようもないんだからね
いやいや、あの降霊術一人じゃないと出来ねえじゃん
部屋の外で待機するなりなんなり出来るでしょ。そもそもやるかどうかも分かんないんだから、その辺今考えたって仕方ないって
言いながらキリはPCをシャットダウンし、手早く帰宅の準備を始めた。
ほら、今日はもう帰って早くゲーセン行こーよ。ゲーセン
わかったよ。……コラ、押すな押すなっ
ああもう。
相変わらず楽観的だなあ、コイツ。
その辺、ちょっと俺に似てる気もするけど。
まあでも俺の場合は《根拠の無い楽天主義》で、キリのそれは《自信と実力から生まれる精神の余裕》なのだろうから――やっぱり似て非なるものか。
とは言っても、《人間は常にゆとりを持って生きねばならない》という俺の主義主張に沿う精神構造である以上、なんだかんだ言って俺とコイツは相性が良いんだろうな。
俺はそんなことをぼんやり考えながら、キリに引きずられるままに馴染みのゲームセンターへ向かったのだった。
――しかし俺は、今回の件で改めて認識することになる。
主義主張とは、遵守することが困難だからこそ、声高に主張するモノなのだと。
不安定な、モノなのだと。
精神構造なんて、外的要因によっていとも容易く揺らいでしまうモノなのだと。
不定形な、モノなのだと。
そんなアタリマエのことを――この時の俺は、忘れてしまっていた。