天正十年 六月五日

三河 岡崎城 天守閣

明智秀満

家康様。まずは、突然あの様なものどもを連れて三河に参ったこと、お詫び申し上げます

徳川家康

いや、それは構わないよ…それよりも、信忠くんをよく無事に…!

明智秀満

はっ…我々が駆けつけたときにはすでに二条御所は敵方の手中。なんとかこれを取り戻したのですが、そのときにはかなりの者が討たれており…

徳川家康

…そうだったのか…

明智秀満

信忠様は、たいそう、そのことを口惜しいと申されておいででした

徳川家康

さもあろう…それで、本能寺の方はどんな状況だったの?

明智秀満

はっ。本能寺は完全に焼け落ちました。こちらでも、信長様が手勢が半数弱討たれたと伺っておりますが、信長様、濃姫様ともにご無事にございます

徳川家康

そっか…よ、良かった…(ヘナヘナ)

明智秀満

ご報告が遅くなり申し訳ございませぬ。京においても情報が錯綜し、目下、我々を敵視する勢力ばかりとなり…
   伊賀や甲賀に明るい家康殿も、この闇討に加担しているやもと杞憂を揉んで二の足を踏んでおる始末で…

徳川家康

この状況だ…仕方ない。信康と築山のこともあるだろう

明智秀満

は、い、いや、それは、その…

徳川家康

いいよ、別に。いやぁ、ここだけの話しさ、武田に通じる間男がいて医者の減敬ってやつだったんだけど。信康あれ、いわゆる托卵で

榊原康政

ととととと殿!それ言っちゃダメ!

徳川家康

あっ…

明智秀満

某は、なにも…

徳川家康

…悪いね、気使わせて…えぇと、そうそう、それに、おそらくは最初から俺に罪を着せるつもりでいたんだから。長谷川っちから事情は聞いてる?

明智秀満

っち…?

明智秀満

はっ。正確に申せば、長谷川殿からの伝を聞いた蒲生殿から、ではありますが…

徳川家康

蒲生殿か…安土を捨てたと聞いたが、さすがに伝令は残しておいたんだな

明智秀満

光秀様の話では、何事にも確かな手腕を振るわれる方であると

徳川家康

状況的に、蒲生殿は光秀殿の謀反には懐疑的だったんだろうな。そうでもなければ、安土に火を掛けずに逃げ出たなんてことをするはずがない

明智秀満

あるいは、安土は信長様が帰還を想定して?

徳川家康

それは分からないけど…個人的には、明智殿に使ってもらうつもりだったんじゃないかと思ってる…ま、今はその話はいいや。で、秀満殿

明智秀満

はっ

徳川家康

敵は?

明智秀満

…羽柴殿にございます

徳川家康

…やっぱり、か。あの折で援軍要請があったってところは俺も確かに引っかかったけど、ここまでを含めて全部計略の内だったってわけだ

明智秀満

聞くところでは、羽柴軍はその規模をさらに膨らませながら京へと近づきつつあるとのこと。すでに亀山城に残っていた観測兵がその軍勢を目視しております

徳川家康

その亀山城は?

明智秀満

放棄し、京周辺での迎撃を予定しております

徳川家康

そっか…ならまぁ、十分間に合いそうだな

明智秀満

…家康様?

徳川家康

明日早朝に、三河の全軍を京へ送るよ。もちろん俺も着いていく。それで数的にはトントンくらいにはなれるんじゃないかな

明智秀満

…家康様…実は、私が参ったのは信忠様をお送りするためだけではございません

明智秀満

信長様、光秀様連署の文にございます

徳川家康

先輩たちから?

明智秀満

はっ。簡単に申し上げさせていただければ、ひとつに、この戦、援軍は不要

徳川家康

不要!?

明智秀満

はっ

徳川家康

なんでだ!?相手は羽柴殿なんだろう!?それなら、三万以上にもなるはずだ!

明智秀満

…お二人が、そう決められました

徳川家康

…なぜ、そんな…

明智秀満

…家康様、しばし、人払いを願えませんか?

本多忠勝

榊原康政

殿!それは危険です!

徳川家康

分かった…

榊原康政

殿!

徳川家康

いいからここは退いてくれ。頼む

榊原康政

…殿!

本多忠勝

ふすまの向こうに、人を集めるのはよろしいか?

徳川家康

聞き耳を立てないでくれるなら。なにかあれば、声を上げる

本多忠勝

ならば…康政殿、ここは退こう

榊原康政

しかし!

本多忠勝

殿が頼まれておるのだ…聞き届けるべきでござる

榊原康政

くっ…あい、分かりました

徳川家康

すまんな

本多忠勝

しからば…

明智秀満

わがままをお許し下さい

徳川家康

構わない。聞かれてはまずい話なのか?

明智秀満

某には判断がつきませぬゆえ

徳川家康

…先輩のこと、か

明智秀満

はい。家康様は、信長様が戦国の世をお嫌いになられていることをご存じでありますか?

徳川家康

あぁ、よく知ってる。本当はもっとくりえいてぃぶなことをしたいと何度も言ってた。もっとも、そのくりえいてぃぶがどう言う意味の南蛮語か俺は知らないけど

明智秀満

信長様は…この度のことを良い機会と考えておられます

徳川家康

まさか…!隠居を?!

明智秀満

はい、そのようです

徳川家康

待ってくれ。でも、光秀殿は羽柴軍と戦をするつもりでいるんだろう!?

明智秀満

はい、仰せの通りです

徳川家康

どういうことなんだ…?

明智秀満

光秀様も、信長様も、今回の羽柴殿のやりようは腹に据えかねていらっしゃいます。故に、信長様が家臣の方々の仇討ちもその思慮にはあるかと思います。
しかし、もう一つ重要な点は羽柴殿に天下を渡さぬ、というお気持ちもお持ちであるということです。
光秀様も、信長様も、此度の戦、勝つつもりでいらっしゃいます

徳川家康

ならばなぜ、援軍を断るんだ!

明智秀満

先のことを見通していらっしゃるようです…負けたとき、我ら家臣団を引き受けてくれる武将を残したいという、その書状にあるとおりのこと。
それと、これは口には出されておりませんでしたが、勝った暁には、おそらく好意の国守に謀反人、明智光秀の首を刎ねさせようとしておられるのだと思います。
謀反人が天下を取ったというのはあまりにも求心力がございません。早晩、同じく謀反にあい滅びるが世の常でしょう。
光秀様にしても天下取りに興味を持っておりせぬ故、それを誰かに、おそらくは、家康様にお渡ししたいと考えていることと存じます

徳川家康

…後半は君の想像だろうから、まぁ、今は聞かなかったことにする。でも、そうか…負けたとなると、光秀殿に加勢した者は逆賊、か

明智秀満

はい。こと、この事態です。家康様が三河の総力をお貸し頂いたところで、羽柴殿は信長様が軍、さらには各所の軍勢を取りまとめる大義名分がございます。
数からして、簡単な戦ではございませぬ

徳川家康

だけど、それならなおのこと!

明智秀満

…家康様は、今川は、駿河守義元殿の元におられたのでしたな?

徳川家康

そうだけど…

明智秀満

桶狭間の戦いに、光秀様はいらっしゃいませんでした。我ら明智家が信長様にご奉公にあがるようになったのはもっとあとでございます

徳川家康

…!

明智秀満

『奇襲に夜討ちに攪乱戦法…寡勢での戦は儂の領分じゃ』と、信長様が…

徳川家康

先輩は、負けてやる気なんてこれっぽっちもない、と?

明智秀満

明智家家臣団やその家族の行く末をご心配召されておりましたが。そのために、こうして文をお届けにあがった次第です。
もちろん、信忠様の身柄の保護も、という事もありましたが、私も戦に挑む者として、その点、かしこみお頼み申しあげたく、参った次第です

徳川家康

…そうか…

明智秀満

徳川家康

明智秀満

…どうか

徳川家康

…はぁ、分かった

明智秀満

家康様!

徳川家康

…先輩の言うことなんだろ?聞かないわけにはいかないよな…。うちの伝令を何人か連れてってくれる?合戦の知らせを聞いたら、直ぐに出兵する。
安土、いや…清洲城の手前辺りまでなら羽柴軍を刺激しないで済むだろうな。光秀殿と先輩に伝えて。家臣団には、逃げるなら清洲へと暗に伝えておいてくれって

明智秀満

はっ…ありがとう、ございます!

徳川家康

もし可能なら、国の家族にもそう伝えてもらって構わない。対したことはできないかもしれないけど、田畑をやる土地くらいならいくらでも貸せるし

明智秀満

はい、必ず、伝えます!

徳川家康

うん。だから、くれぐれも光秀殿にも、先輩にも、家臣のやつらにも言っといて

明智秀満

はっ?

徳川家康

死ぬな、って、な

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