この数日間、生きている実感がなかった。いつもどおり学校に行って、いつもどおりの授業を受けて、いつもどおり部活をし、いつもどおり帰宅する。
そこには輝きなんて一つも存在しなかった。
明の好きな人を、守ると約束したお母さんを殺した火は、私のお母さんが放った火だった。
もしかしたら、お母さんに限らず、みんな死にたかったのかもしれない。
どうして気づかなかったのだろう。小5の春、今まで仲が良かった子たちが急によそよそしくなって、一ノ瀬灯に深く関わるな、という雰囲気が生まれた時に既に気がつけばよかったのに。
自分が気づいていれば、何か運命が変わったかもしれない。あの時パニックを起こさなければ。あの時突き飛ばしたのが莉子ちゃんじゃなければ。仮説と共に出てくる後悔が、私をますます負の方向へと押しやる。これは五年前明の身に起こったことと同じかもしれない。
当の明は、お墓参り以来五年前の彼に戻ったように明るくなった。ついでに今一番仲がいいのは高島くんだ。何故。

なーんか、白沢から灯に人格が乗り移ったみたい。


花が私の前の席に座って口を尖らせる。

そう?

そうだよ!喋っても抑揚ないし、笑顔も全然ないし。

えー、そんなことないよ?笑ってるよ?


私は精一杯の笑顔をする。

そんな棒読みで言っても説得力ないですー。灯、それ笑ってるつもりなのー?


まじか。花が私のほっぺたをぐにーっと引っ張る。
高島くんと明が私達の様子を見てやってきた。

灯、笑わなくなったの?


明が心配そうにきいてきた。表情も抑揚も豊かだ。なにこれ。

高島くん

マジで俺、最近一ノ瀬のこと心配してるんだからな?様子変だし、暗いし、顔も青白いし。


高島くんは今日も優しい。でもいつものキラキラは見えない。二人の言葉に花がさらにほっぺたをぐにぐにしてくる。

ほらー、こんなに心配されてるんだからちゃんと笑えるようになんでも吐き出しなさーい?体調悪いなら悪い、嫌な事があったら愚痴って!

ひゃな、ひたいよ、ふぁなして!


花、痛いよ、放して!と言いたかった。みんなの言葉に泣きそうになる。しかし一向に涙が出てくる気配はない。
やっと花が手を放してくれる。

自分でもなんでかわからないんだ。でもみんなが心配するようなことは何も無いよ。ありがとう。


私は、微笑みを頑張って返したつもりだ。

それより、次移動教室だよ?行こう?


立ち上がる私に三人は慌てて各々の席へ向かう。私が教室を出ようとした時だ。

高島くん

一ノ瀬!


高島くんに呼び止められた。
振り返ると、教室にはほとんど人は残っていない。後ろで花が明にちょっかいを出す声が聞こえる。
風が吹いてカーテンが膨らむ。電気が消されて逆光になっている高島くんの顔は、真剣だった。

高島くん

本当に、何があったか教えて。俺は本気で一ノ瀬が心配なんだ。言いづらかったら少しずつでいい。人に伝える事で何か変わるかもしれないだろ?炎の時みたいに、俺も手伝うから、頼むから一人で貯めこまないでくれ…!


光が足りないモノクロの世界で、高島くんの声は響いた。私の耳は、その響きを受け入れる。私は何故か、高島くんに弱い。

明後日の土曜日、空いてる?


今日は水曜日だ。
高島くんが頷いてくれる。

良かった。その日、この前の場所に来てほしい。時間は今度言うね。この前連れて行ってくれた喫茶店にもう一回行きたい。


私の言葉に高島くんは笑顔で答えて、頭をくしゃっと撫でてきた。
すごく、驚いた。
慌てて移動教室の準備をして教室を出ると、教科書の間から一枚の紙切れがはらりと落ちた。
『今日、部活休んで俺の家にきて。by明』
どうやら拒否権はなさそうだった。

赤坂くんに体調が優れないから帰ると連絡を入れて、私は帰路についた。
高島くんに撫でられた感覚を反芻する。驚いた。そしてまたデートの約束をした。
でも、前みたいに気分がふわふわしたり顔が熱くなったりはしない。そんな気持ちが込み上がる前にさらさらと崩れてしまう。
校門を潜り、学校から帰り道が見えなくなった時、後ろから声をかけられた。

あーかーり。


明だ。

良かった。メモ、ちゃんと見つけてくれたんだね。


へへ、と笑う明。誰だお前と言いたくなる変化だ。

今の灯を見てると、この前までの俺ってこんな感じだったんだなーってわかった。確かに、これは元に戻って欲しいや。


綺麗な笑顔で笑う。
今なら、私に元に戻って欲しいと言われた明の気持ちがわかる。
自分では笑っているつもりなのだ。精一杯の感情を出しているつもりなんだ。
だけれど、まるで伝え方を忘れてしまったみたいに伝わらない。
明は仲良くなった高島くんや周りの男の子たちの話をする。楽しそうだ。私は相槌を返して、ゆっくりと歩いた。
明の家が見えてくる。急に明が口をつぐんだ。無言のままドアまで歩いて行く。深呼吸をして、明がドアをあける。どうぞ、と私を先に入れて鍵を閉めた。

俺とお墓行ったあと、火憐姉ちゃんについて探ったでしょ。


ドアに顔を向けたまま、明がぼそっといった。

火憐姉ちゃんが何を守っていたか知っちゃったんでしょ。その先にあるあの日の原点も、知っちゃったんでしょ。

なんで、明が、知ってるの…。


明が涙をこらえるようにふるふると震えている。ドアにもたれかかって、こっちを向く。

あんなの、少し探れば分かること。どう思った?灯は事実を知って、どう思った?


そう言うと、明は私の返事を待たずに荒々しく鞄を投げて、靴を脱ぎ、私の手を引っ張って明の部屋へと連れて行った。

ずっと、ずっと火憐姉ちゃんが何を守っているのか知りたかった。知ろうと思えば知れた。だけれど、知れば知るほどどうしようもない、気持ちの悪い苛々が起こるんだ。いつか、いつか灯がこの事実を知ったら、聞きたかった。


へたり、と座って明は力なく笑った。
私は、一生懸命言葉を探した。

一言で言うとしたら、ゆるされたい。あの時、何も気付けず、のんきに過ごして、無知で生きていた私の存在が恥ずかしい。この五年、何の疑いもしないで悲しみにくれていた自分に嫌気が差す。二人に、いや三人に、ごめんなさいとありがとうを言いたい。


言葉の響きはひたすらに無機質で単調だったけれど、字列は明を十分に満足させるモノだった。また、綺麗な笑顔を見せる明。

灯は、許されたい?


私はこく、と頷く。

二人に、知らなくても仕方がない、灯は悪くないって、言ってほしい?

それも、そうだし、思いっきり叱ってほしい。


ああ、あの時泣きじゃくっていた明の言葉の意味がわかる。もう何を言っても、優しくかえしてくれる声も、私を叱ってくれる声も届いてこない。
唇を噛む私を見て明はそっか、と笑って私を抱き寄せた。私は驚いて身体が強張る。けれど、明の腕は優しかった。

灯も俺も、お揃いだね。俺も許されたい。


ああ、明は私よりずっと長くこの苦しみに耐えていたんだ。
明は私の耳もとで囁いた。

一緒に、許されよう…?


翌朝、昨晩暗くならないうちに帰った私は特に眠れないわけでもなく、今日も淡々と生きている。
教室にはまだ二、三人ほどしかいない。
今日の授業の準備を広げていると、花がやってきた。

おはよー、灯。

おはよう。

んー、相っ変わらず笑わないねえ。


ほっぺたをまたぶいぶいと引っ張られる。

あれ、今日って漢字のテストだっけ?


ぱっと手を離されてヒリヒリするほっぺたをさする。

そうだよ。

灯、範囲教えて!

はいはい。


二人で漢字を見ながら他愛もない話をする。私がこんな風になっても、花はいつもどおりだ。

白沢、お前それどうしたんだよ!


クラスの誰かが大声をあげた。私と花はぱっとそちらを見る。ドアの前に、左手を包帯でぐるぐる巻きにした明が立っていた。私と花は同時に立ち上がって明のそばに駆け寄った。

白沢、どしたのこれ!?

昨日の夕方まで何も無かったよね?何があったの?


私達二人の他にも明の周りに人だかりができる。

お湯をかけちゃった火傷をばあちゃんが大げさに巻いただけだから、火傷自体は大したことないよ。大丈夫。


にこっと綺麗にわらった明は、周りの女の子たちの心を掴んだ。
何か困ったことがあったら言ってねと、口々に言われるも、明は困った顔もせずありがとうと言っていた。
花が訝しげにその様子を眺めている。そうしているうちに、高島くんが来た。明の左腕にぎょっとして、さっき私達が受けた説明を受ける。高島くんが心配そうに何かをきくと、明は口に人差し指を当てて、ひみつ、と答えた。
高島くんは心配そうに一言かけて、こちらにやってきて私達の隣に座った。

おはよう、高島。

高島くん

はよ。一ノ瀬、明のアレの理由きいた?

お湯かけて火傷したってきいたけど。


高島くんは焦るように貧乏揺すりをした。

高島くん

あいつ、昨日か一昨日くらいに、火は熱いのか聞いてきたんだ。


まだ囲まれている明の方を見ながら苦い顔をする高島くん。

もしかして、自分で確かめて火傷したかもしれないってこと?


花が顔をしかめる。

高島くん

そうかもしれない。俺もだけど、一ノ瀬も少し気にかけたほうがいいかも知れない。なんか、今の明は何をするかわからないような、そんな感じがする。


高島くんはよく人を見ていると思った。私には出来ないことだ。
明に目を移すと、にこにこと私達の方を見ていた。

一緒に、許されよう…?


何故かあの時の言葉が頭の中に貼り付いていた。

次の日。高島くんとの二度目のデートだ。服は可愛くしてきたけれど、相変わらず笑う気は起きない。
そんな私を先についていた高島くんは笑顔で待っていてくれた。挨拶を交わしてそのまま言葉もなく喫茶店に向かう。それでも高島くんは上機嫌な様だった。
例の可愛い喫茶店に入る。それぞれ飲み物を決めて注文する。どうでもいい会話が続く。

高島くん

俺、この前部長たちのキスシーン見ちゃってさ…。

それはお気の毒に…。

高島くん

うん…普段仲良い奴のそーゆーとこ見るとなんか、複雑…。

わかるよ…。なんか罪悪感とかいろいろでいたたまれなくなる…。


私は笑えないだけで、もっとたくさん話したいしいつもどおりのつもりだ。それを高島くんは感じ取ってくれている。それが嬉しい。

高島くん

てゆーかあいつらオープン過ぎるんだよ!もっと隠せって言いたい。


そう言ってふくれっ面をする高島くんも可愛い。
その時、私のスマホが鳴った。明からのLINEの通知だ。

今日の18:50、俺の家の前に来て。


なんの話だろうか。スマホを見て固まった私に、高島くんが不思議そうな顔をする。

高島くん

どした?

ううん、ちょっと友達からLINEがね。


何故か誤魔化してしまった。
そんな空気を感じたのか、高島くんはふっと真剣な顔になる。

高島くん

一ノ瀬、今日、ホントにききたかった話していい?


高島くんが優しい顔をする。

高島くん

一ノ瀬にはもっと周りに頼って欲しい。何かが苦しかったら、辛かったら、俺らもしっかり受け止めるから、だから話してほしい。


すごく優しい声。私にはもったいない言葉。

高島くん

もう辛そうな一ノ瀬は見たくないよ、俺。


高島くんの言葉は私にはとても温かくて顔の周りが熱くなった。いつの間にか温かい涙が流れていた。
私は絞りだすように、お姉ちゃんの話や明のお母さんの話、そしてお母さんの日記の話をした。

私、何も知らなかった。私が気づいていたなら、お母さんの嫌がらせも火事も、明がああなることも無かったのに、私は何も知らずに楽しく生きていたの!気がついたのが遅すぎたの。もうどんなにごめんねって言いたくても、お母さんとおねえちゃんには届かない!


悔しくて、悲しくて、どうしようもない罪悪感が言葉になって吐き出される。そんな私を、高島くんが優しい笑顔で見つめている。涙でボロボロになっている私をなだめながら喫茶店を出て近くの公園に移動した。
高島くんは優しく言う。

高島くん

一ノ瀬は悪くないよ。だってお姉さんもお母さんも一ノ瀬を傷つけないために一生懸命だったんでしょ?知らなくてもしょうがないよ。それはお母さんたちの優しさだよ。

違うよ!高島くんは、鋭いからわからないんだよ。私が嫌がらせを知っていたら、どんなにお母さんが救われてたか!


ああ、ダメだ。高島くんに八つ当たりしてしまってる。こんなにしてくれる高島くんを傷つけてはいけない。
思わず口をつぐんだその時、視界が真っ暗になった。高島くんの胸の中にいた。腕は優しく背中に回されている。

高島くん

確かに、俺にはわからないことだらけだよ。だけど、今一ノ瀬がすごく悲しくて辛いことはわかる。もう何も言わないから、落ち着くまで泣きなよ。どんな言葉も、一ノ瀬も、俺は受け止めるから。


耳もとで囁かれた言葉に涙が溢れる。

どう、して。高島くんはそこまでしてくれるの?

高島くん

それぐらいは、いくら鈍くても気づいてほしいなあ。


そう言って強く締められた腕に胸が飛び跳ねた。

私が落ち着いた頃には、すでに日は落ちかけていた。近くの自販機でコーヒーを買って二人でおしゃべりをする。
そして、はたと明のLINEを思い出した。

今日の18:50、俺の家の前に来て。


どうしてか、この連絡は行かなくてはならない気がした。暗くなった空に、大きな月が居座っている。

高島くん、今何時かわかる?

高島くん

今?6時20分…位だよ。門限とか、あるの?


急に焦りだした私に驚く高島くん。

ううん。ただ、約束してたのを忘れてて。


なんだか帰るための言い訳みたいだ。

高島くん

約束って…誰の?


高島くんが不思議そうに聞いてくる。明と答えてはいけない気がする。

お父さんと、夜、どこか食べに行こうって言ってたの。


とっさに嘘をついてしまった。罪悪感で胸が締め付けられそうだ。

高島くん

そっか。じゃあ急いだ方がいいよ。

ごめんね、今日はありがとう。今度何かお礼させて?

高島くん

大丈夫。俺が好きでやってるんだから。


優しい笑顔を向けられる。どうしてこの人に本当の事を言えなかったんだろう。
二人で立ち上がる。振り返ると、大きな月が燃えるように夜空に横たわっている。

高島くん

今日は満月か…。


高島くんがつぶやいた。
月明かりに照らされた笑顔にばいばい、また明日と手を降って、公園を出る。
走れ、間に合え。
月は走る私を見つめている。その光は私はあの火事を思い出させた。怖い。あの光が、私にはとてつもなく怖い。
私はいつまで過去に囚われているのだろう。いつまであの火事から離れられないのだろう。どうしたら許されるの。どうしたら悲しまずに、嘘もつかずに、真っ直ぐに生きられる?
また涙が溢れてくる。高島くんの優しさを、花の明るさが、私には目が痛くなるほど眩しい。どうしたら二人みたいになれるの?
息が詰まるような感覚がする。
泣いているような、声にならない叫びを響かせて私は住宅街を走った。
息を切らして、明の家の前に着いた。
18:48。明は、家の前に立っていた。気持ち悪いほど綺麗な笑みを浮かべて。

灯、来てくれたんだね。良かった。高島と話してたの?

うん。明はどうしたの?


なんだか鼻の奥をくすぐるような、全身がぴりぴりするような臭いが辺りを包み込んでいる。

灯が許されたいって言ってたから、俺も一緒に許される方法を探してた。やっと見つけたよ。灯のおかげだ。謝るのは一人じゃ勇気がいるけれど、二人だったら大丈夫でしょ?


嬉しい。明がそんなことを考えていてくれていたなんて。

灯は、まだ許されたい?お母さんたちに会いたい?

もちろん!


今までに無い程の明るい声が出た。そんな私を見て、明は満足そうに笑った。ポケットからマッチ箱を取り出してなれた手つきで火をつけて、足下の水たまりに落とした。
瞬間、ブワッと火が広がる。炎は木造の家を一気に飲み込み、オレンジ色の月を更に燃やしていく。
怖くない。キャンプファイヤーの時の炎のように、暖かさを感じる。
明は嬉しそうに笑って、炎の中へ足を踏み入れる。そして、振り返って笑った。

灯!やっぱり灯の言う通りだ!心頭滅却すれば火もまた涼し!苦しみぬいた俺達なら熱くない!向こうで母さんも姉ちゃんも笑ってるよ、灯も行こう!


真っ赤な炎の中で明の笑顔が輝いている。月は燃える。私は、人差し指に炎が灯る差し出された手を握って、引っ張られるままに炎の中へと入っていった。
心地良いほどの温もりが全身を包み込んだ。お姉ちゃんの嬉しそうな笑い声がどこからか聴こえる。
明に手を引かれて、私達はどこまでも歩いた。人影が見えてくる。

それが、お姉ちゃんでありますように。

地方新聞の隅に小さな記事があった。
木造一戸建ての火事を知らせる記事だった。
高校生の男女二人が犠牲になったと言う。
二人の遺体を回収した消防士はこう語る。
丸焦げになった姿からでもわかるほど幸せそうな顔をしていた、と。

明かりは灯らず 了

灯と炎.最終 アキラとホノオ

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