――長い通路の先、無表情な少女は一つの扉の前まで来ると立ち止まる。幅広な通路に比べればややこじんまりと感じる木製の戸。白のドアノブに同じく白い指先を少女は絡めると静かに押し開く。
人気は無し、まぁ当然ね
――長い通路の先、無表情な少女は一つの扉の前まで来ると立ち止まる。幅広な通路に比べればややこじんまりと感じる木製の戸。白のドアノブに同じく白い指先を少女は絡めると静かに押し開く。
扉の奥は一つの部屋となっていた。
温もりを感じさせない人為的な魔光によって部屋は照らし出され、自然の純粋なオレンジの夕日がさ更にその上を塗り潰す。
差し込む夕焼けの元である天井付近の小窓を少女は目を細めて見つめ、ややすると音にもならない程の小さな溜め息をこぼした。
圧倒的に時間が足りない……力を見せるだけなら私一人で十分だろうけど、そもそも見られる基準点すら超えなかったら意味がない
一人となり、この日初めて揺れた少女の表情は僅かに感傷でも含んだように苦々しく揺れ……そして次の瞬間室内のある一点を見つめて静止した。
……
見つめるというよりも睨むと表現した方が近くなった視線。向かう先は何の変哲も見い出せないただの壁であるはずなのに、その『向こう側』に仇敵でもいるように、呟く言葉には若干の棘と苛立ちとが混じり合う。
死にたい奴が居るのね
う、うわ、うわわわ……か、くぁいい子が
………は?
自分の友人……だと今までは思っていた奴が目の前で奇行に走っている。壁へと張り付く姿はまるで芋虫のように、人一人がどうにか通り抜けられるかどうかという程度の窓を軽く覗き込み一人でブツブツと繰り返す。
……変質者だ、絶対に変質者だこれ。
しかも今は急にテンションが上がりでもしたのか全身から滲み出すワクワクオーラが止まらない。
帰りたい。
ジョ、ジョッシュ?あの、なんかな、若干……
あー、ちょっと待ってちょっと待ってガラ、静かに、静かにな!
……絶対にお前の方がうるさいと思うよ?
――ジョッシュもそうだけど、さっきから見え隠れする魔力の方も少しだけ気になった。暖かみのようなものが感じられない透明感の強い色。薄い青。
しかも単純に漏れていただけの先程と比べてわざと抑えているようにも感じられた……中に人でも居るんだろうか。
わかってた、わかってたよオレはー、やっぱ魔術科生の服装はいいなー、しかも可愛くてお淑やかっぽくて、ああー、心が浄化される……願わくばどうかその下の下まで
……は?服?
あ!ふぁ!ふあああ!ゆ、指が!指が上がった、その迷える白き指先は一体どこに向かうのか、服の袖か、襟か!?ま、まさかいきなりそんなとこも
お、おいジョッシュ……さっきから何言って
はー?何って決まってるだろう友よー、オレの憧れにして桃源郷でもある魔術科生の――
ッ!?
……ジョッシュのバカな言葉に混じって一瞬、視界を暗くさせるように『フィルター』が濁った。
明るい色、自然の陽、影。
従来通り規則正しく並んでいた景色を全てぶち壊すような気分の悪さがばらまかれ、突如生まれた青の絵の具が空に壁に地面を這う。
繰り返す鳴動は人のように――気持ち悪い。
幾重もの重なる線は血管のように――気持ち悪い。
線は列に、列は鎖に、鎖は本当の『人』のように変わっていく。
血管、血肉、さっきまで薄く儚い存在だった青が嘘のように濃密さを増したどす黒い色は僕自身の胃液の逆流を促し、嫌な記憶が頭痛のように頭を締め付ける。
これは……僕のよく知っている現象だ。
自意識の無い『力』が意思を持って統合され、やがて操作者の願う通りに世界に顕現する。
才能というチケットに左右される不自然な物。
不愉快さは留まる事なく加速し、脈動する青の神経は一つの塊を作り上げる。
これが僕だけの幻覚かどうかは知らない……だってそれを誰かに相談出来た事が僕にはないから……
僕には、ソレは人の腕に見えた。
いえいえいえいえー
この世ならざる存在は友人の胸を貫く。
まだ形とはならない力だけの現象……やがてそれは確かな形を持って現実となるだろう。
ジョッシュ!
僕が大きく声を上げたのは何か考えがあったからじゃない、単純に気持ちの悪いものを友達から遠ざけたかったから。
壁に張り付くジョッシュを後ろから引きずり落とす形で下ろし、見えない腕が完全な物となる前にその場を少しでも離れる。
あ、なんだよガラ、お前も待ちきれなかった――
……能天気なジョッシュの声は最後まで続かずに
――青白い光が駆け抜けた。
……
無表情だったはずの少女は少しだけ目を見開く。
それは予想外な事が起きた時の少女の癖であったが、誰一人として他に人のいない部屋の中では誰も気付かなかった
避けた……まさか
な、なんだ今の!?
引きずり下ろしたジョッシュは僕に対して文句を言うでもなく目の前で起きた現象に声を上げた。
青白い線の通り抜けた後に、地面の草場が焼け焦げた嫌な匂いが辺りを覆う。これが『電気』と頭で想像する事は簡単だ、だけどそれが実際に初めて、『魔術』なんて馬鹿みたいな体系を持って現れたら信じる事は出来ないだろう。
魔力は人に見えない。
だけど魔術は人に見える。
驚いた様子で壁に背中を貼り付けたジョッシュに僕は危機感を持ったままで声を続ける。
魔術師!?一体何を見てたんだジョッシュ!とにかく走って!逃げるんだ!
お、おう!あーでもなんでもないぞ!ただちょっと更衣室を見てただけだからな!
ああ!
って、はあああ!?
ッ、また……ああもう話しは後だ!壁にぶつかる位の気持ちで左に跳ねるんだ!そしたらすぐに頭を下げ!
腕が、来る
そう、これでもダメ……なら
う、うおわ!?
ジョッシュ!
だ、大丈夫なんともないぞ!あー、なんでこんな、逃げるぞガラ!
なんではこっちのセリフ……ッ!?
……身体能力で言えばジョッシュは僕より遥かに上だ。続けて走り出そうとした僕を置いてぐんぐんと先に行く。
気分の悪さが後方で弾けた。
正常じゃなくなった僕の目に、今や赤く綺麗な夕日は見える事はなくなり。変わりに見たくないもので溢れた。
うそ……だろ
無数の手が、落ちてくる
………
部屋の外からいくつもの落雷にも似た音が響き渡った。
立ち上る煙が夕日を迎え入れる小窓を隠し。光の乱反射が中を駆け巡る。
室内にいる少女は一人、動かし続けていた指を下ろし息を吐いた。
………
深く閉じた瞳に少女が何を見ていたかは全く分からなく、今までは無かった大きな変化がその口元に現れる。
ふふ
僅かな笑みだ。
やるじゃない……貴方はもしかして使える人間かしら
一瞬だけ覗いた笑みはまるで蜃気楼のように引っ込み、少女はその場で回れ右をすると部屋から飛び出すように走り出す。
元々この場に一体何をしに来たのか、今の少女の頭の中には欠片程も残っていないだろう。
逃げたのは……そっちか。あの人達にも追い掛けるのを手伝わせないとね、逃がさないわよ
し、死ぬかと思ったクソ。あんな魔術人にいきなり撃ってくるなんて魔術科生はどんな教育受けてるんだ
――かなり、ギリギリに近かったけど何とか全部の魔術を避け切ってみせた。反動で捻った手足や腰が痛い。
………
心配になって走りながら後ろを確認してみると追い掛けて来るような気配はない……そもそも顔も見えない室内に居たはずの相手がどうして僕達の様子が分かったのか、うまい答えは見つからないけれど、今はそれどころじゃない。
……何せ何をとち狂ったのか諸悪の原因たるジョッシュは全く的外れな方向へと走り、僕達が通ってきた地下通路とは真逆の方向へと進んでいく。
え、お、うおっと!?
キャ、なに!?
あ、えーと……大丈夫?
うん、はい……って、だれ貴方?
見慣れない服だけど……もしかして
え、あー……チガウチガーウ、ワターシ、侵入者トカジャナイヨー、イイ人!基本イイ人!
………
………
ね?
きゃ、きゃーー!!
ええええええ!?
だ、だれかーーー助けて!変質者です!
な、なにやってんだージョッシュー!?
ジョッシュは魔術科生らしき誰かとぶつかっていた……明らかに大きくなっていく騒ぎ。
まるで襲われでもしたかのように声を上げる女生徒。
的外れな友人の奇声。
ち、違うぞ!確かに侵入はしたけどオレはあくまでどノーマルな愛を求める一般人!決して変質者なんて存在じゃ!
いいから!走ってくれジョッシュー!
阿鼻叫喚とし出す中、僕らは夕日差す魔術科校区内を多くの生徒に指を指されながら走る。
生まれて初めて味わうまるで犯罪者のような(ジョッシュは間違いなく犯罪者だ)気分。
……出来れば一生味わいたくなかったと強く思う。
なんでこうなったー!
ははは、でもちょっと楽しくなってきたなガラ
バカーー!
僕の声とジョッシュの笑い声は……後ろから遅れながら迫ってきた多種多様な魔術の音によってかき消されていった。