-隣の特等席-

雨の日は憂鬱。

それだけで気分が落ち込む。

2番線のホーム。

まもなく電車がやってくるのを告げる。



通勤のサラリーマンたちと通学の中高生達。

電車を待つ人波の中に、あの人とその彼女がいる。

そして私はいつものように二人の後ろに並び、会話に耳を傾ける。

……

やがて、電車が到着し、人の波に押し込まれる。

雨のせいか、湿気と熱気を帯び、車内はじっとりとしていた。

あの人を見つめていたい……のだけれど。

まりか

ちょ……見えない……

……

彼の彼女が視界を遮る。



思わず、その髪を引っ張って無茶苦茶にしてやりたくなった。



二人の会話に耳を傾けたくても、その低くて小さな愛の語らいは電車の音にかき消される。



……時折聞こえる笑い声が、私の胸を掻きむしった。

……?

……!

電車が大きく揺れたとき、体を張って彼女を守るあの人は格好良かった。



……羨ましかった。










おはよ!

まりか

お、おはよ~

昨日のあのドラマ、観た?

まりか

うん、観たよ!

まりか

まさか犯人があの「猫耳親父」だなんて思わなかったよ

だよね……これで展開が全く読めなくなっちゃったよ……

教室に入って来たあの人は、私に笑いかけ、隣の席に座る。



あの人は――田原 司クンは、私の隣の席。



他愛もないことを話すこの瞬間が私の宝物。

しかしすぐにチャイムが鳴り、授業が始まる。



……本当はもっとたくさん話したい。



でも、それは無理な話。



だって、司クンは授業が始まる寸前まで、彼女の教室にぎりぎりの時間までいるのだから。



そして、司クンは授業が終わるとすぐに、彼女の教室に行っちゃうから。

まりか

……

人生には役に立つとは思えない公式を教えるセンセイ。



私は数学が大の苦手だ。



教え方が悪いのか、私のおつむが弱いのか。





<67ページ、練習問題(3)を解け>





数学の問題を解くように、恋の方程式も解ければいい。



もし解けるなら、この割り切れない想いも全部、白黒つけられるに違いない。





……数学の答えのように。





でも、解けないのはどうしてだろう?



やっぱり数学が苦手だから?





……それとも、恋に臆病だから?

まりか

はぁ……

まりか

あっ!

シャープペンを弄んでいると消しゴムを弾いてしまった。



コロコロと司クンの足下に転がる。



それに気付いた司クンが拾ってくれた。

はい

まりか

あ……ありがと

微笑んだあと、真面目な顔で数学の問題を解き始める司クン。

まりか

……

私は消しゴムに残された温もりを感じたくてキュッと握った。



司クンの温もりに触れた気がして、胸の奥がキュンとした。





――隣を見ると司クンがいる。



――手を伸ばせばそこにいる。





でも、私は一クラスメートでしかなく、それ以上でもそれ以下でもない。





……こんなに近くにいるのに、こんなに遠いんだね。





でも、隣の席に司クンがいるということ。



私にとっての特等席で……嬉しいんだ。










-数日後-









急激な勢いで人気を博した俳優が主人公の、ありがちなラブストーリー。

その映画館の指定席に座る、司クンと私がここにいる。

……

ちらりと隣を見るとどこか投げやりな、虚ろな目をした司クンがあくびをした。










ごめんね、無理矢理付き合わせて

土曜日なのに、制服姿の司君は言った。

午前中は生徒会の仕事があったからだ。

私も本来、割り当てでない園芸部の水やり当番に手を挙げた。



……結果、お昼も一緒にすることが出来て、映画も一緒に観ることが出来た。



そして、今は一緒にお茶をしている。

まりか

ううん、全然そんなことないよ

優しいね

本当のことなのに、そう言ってすまなさそうに、困ったように笑う。

まりか

……

私が優しい?



……それはきっと違う。



本当の優しさは見返りを求めないものだと思うから。



私は見返りを求めた。



司クンといられる時間、こうして話していられる時間。



私は優しくなんか、ない。



そう思っていても言葉にしない私は……卑怯者だ。

コーヒーにミルクを一滴、拡がる波紋。



たぶん、周りから見れば私たちは恋人同士に見えるだろう。



事実、昼下がりの喫茶店にはカップルと思わしき人達が大勢いる。



その中にいる司クンと私。



意味もなく誇らしかった。

これからどうしようかな……

独り言とも、私に言ってるとも取れるような微妙な声の大きさで言う。



たぶん、今日これからの司クンと私の予定じゃなくて、司クンのこれからについて。



そう思ったから、

まりか

あ、諦めるしかないんじゃないかな?

私は言った。

……

まりか

……

無言のまま、司クンはコーヒーカップを口に運ぶ。



無言のまま、私もコーヒーカップを口に運んだ

映画館の指定席には私じゃなく、本来なら司クンの彼女が座るはずだった。



でも、その彼女は彼女ではなくなった。



つまり、司クンとは別れた。



その彼女に熱を上げていた司クンが落胆するのは見ていて、少し心苦しいものがあった。



でも、それよりも「ラッキー」という気持ちが湧き起こっていた。



……つくづく恋っていうのはエゴなんだと思った。



きれい事は言わない。



今だって彼女が司クンに別れを告げなかったら、パラレルでしかなかったわけで。

ねえ?

まりか

うん?

……彼氏とか、いるの?

まりか

い、いないよ

ふーん

まりか

なに?

いや

まりか

……

何か言いそうになった司クン。



代わりに私をじっと見つめた。

まりか

……っ!

私の頬は熱くなる。



気恥ずかしくて俯いた私の目の前には熱を失った二つのカップがある。



そのカップにウエイトレスがおかわりを注ぎに来た。



蕩々(とうとう)と湯気を立て、熱を帯びる二つのカップ。

……

顔を上げると温かい湯気の向こう。



私を真っ直ぐ見つめる瞳があった――。









-さらに数日後-

私は隣の特等席に憧れていた。



そして手に入れた。



……堂々と司クンの隣を歩ける、恋人という名の特等席を。

まりか

英語の宿題やった?

え? そんなのあったっけ?

まりか

もしかして、やってないの?

あ、その……あとで見せてくれる?

まりか

うん、いいよ!

ありがとう

まりか

きゃっ!

大丈夫?

まりか

うん……ありがと

大きく電車が揺れても、司クンが守ってくれる。



こんな場面をずっと夢みてたんだ。



司クンの恋人。



私だけの特等席。



私の肩を掴んだ手から、司クンの温もりを感じる。

……と、次の瞬間、その手に力が籠められた。

まりか

痛いっ!

驚いて見ると司クンが見ている方向に……いた。



その方向には司クンが付き合っていた彼女がいた。



……男の子と楽しそうに話している。

……?

……!

もう一度司クンを見るとすごく怖い顔をしていた。

……

私の肩には変わらずに力が籠められていた。



私はその時、何かを悟った。



この痛みは司クンの胸の痛みなんだと思った。



そう思うと優しい気持ちと、ほっと何かが抜ける気がした。



……別に、涙は出なかった。

あ、ごめん。痛かった?

気が付いたように慌てて私の肩から手を離す。

まりか

うん、少し……

本当にごめんね

まりか

大丈夫だよ

うん

まりか

……

……

お互い黙ったまま、電車に揺られ続ける。



その間、私の気持ちは激しく揺れていた。



そして、いつも降りる駅の一つ手前の駅で、やっぱりどうしようもなくなってしまった。

ドアが閉まる直前に、人をかき分け、ホームに飛び出した。



司クンの呼び止める声がした。



……後ろは振り向かなかった。










空からは……涙雨。



まるで、私の心を映しているかのよう……。

まりか

……ふふ

まりか

うふふ……あはは……

司クンの心の中には、彼女がいる。





きっと私なんかより、彼女のことが今でも大好きで……。





そんなこと、分かり切っていたことなのに……。

雨は強さを増し、制服がベッタリと体に張り付く。





もういっそ、何もかも流して欲しかった。

まりか

うう……

まりか

うわーーーん!!!




















――まりかの恋の行方は?





――司は過去への未練を断ち切れるのか?





次週「隣の特等席」最終回。





お楽しみに♪

大和

さぁて、来週はどうなるのかな?

佳苗

うん、見逃さないようにしないとね

私は大和君と昨日のドラマの話をしていた。



私は「まりか」に自分を重ね、「司」には大和君を重ねてドラマを観ている。



……なぜなら、置かれている境遇が全くの同じだからだ。

大和

今日も頑張ろっか!

佳苗

うん、がんばろ~!

もし、大和君が彼女と別れたら……私はどうするだろう?





私と大和君の関係はどうなるのだろう?





……絶対、来週の最終回は見逃せない。

佳苗

……

大和君の横顔を見詰める。





いつか……。





いつか、本当の「隣の特等席」に座れる日が来ますように……。











-FIN.-

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