この空間が、所謂『普通』の人間には耐え難い場所であると、私は常常感じている。
特に無知な同年代にはさぞ辛いと思う。
正しく理解していても、扱いに困るのが私達だ。

まぁ、そうだろうとは思う。
この教室では、相性が全て。
『普通』の人間は基本私たちを嫌がる。
ここの空気は『普通』の人間の神経では堪えられないからもあるのだろう。
事実、よくくるここのメンツのクラスメートは、理解できない目でこちらを見ている。
優越感? 異物? 理解不能?
様々な感情がその目線には混じっている。
私はここにいるには少々半端モノで、何となくだが双方の気持ちが分かる、気がするのだ。
こんなことは声に出して主張することはできないが。

この教室はこの学校で『特別教室』と呼ばれている。
よくある、違う授業で使う教室のことじゃない。
通常クラスに馴染むことができない問題がある生徒が学年関係なしに通っている、本当に特別扱いの教室だ。

まぁ、もっとわかりやすく言おう。
色々な事情、又は自身に問題がある生徒が一ヶ所に集まっている場所だ。
それも、かなり面倒な部類だと私は思う。
そして私もここの一員であり、面倒な問題児の一人ということになる。
私はここに、去年から編入した人間。
それまでは『普通』の人間として生きてきた。
自分が異常であることに気がつかないまま。
気が付いたらその時点で既に手遅れだった。
逃げ場を求めるように転がり込んだ、どちら側から見ても厄介ものである。

…………

本当に、『普通』の人間からすれば、ここは問題のある人間しかいないと判断されて当然だ。
私達の行動は、一見すれば意味不明、理解不能の一言に尽きる。
当人しか理解できない理屈で動く人間を、集団で生きる現代社会がどう察してくれるというのか。
答えは、否だ。
同じ穴の狢である以上、私とて問題児の一員。
ここの生徒達を見下したり貶すなど、したくない。
私は所詮、最底辺の人間なのだ。
能力も、価値観も、見た目も、何もかも。

私は涼、という名前だ。
兄妹が上にも下にもいる。
ちょうど真ん中に当たる。
出来の良い兄妹で、正直劣等感しか私にはない。
家にいるのも苦痛でしかない今日このごろ。
私は現在俗に言う、苛められっ子という奴だ。
私は、どう見てもいじめられている状況にある。
……だからといって、仕方ないとは思うのだが。

…………

ここにいる大半の生徒はイジメを受けている被害者。
理由は様々だが、共通していることがどうやらあるように見える。
大半、何が原因かあまり分かっていないということ。

私は私なりに、いじめを受ける理由というのを自覚している。
だがこればかりは生まれつきだ。
先天的なものを、どうしろというのか。
振る舞いを意思一つで劇的に変えられたらそもそも、私はここにいない。

なんでこんな目に合わなきゃいけないの……
わたし、何もしてないのに……

静流

……………………

教室に戻ってきていた鈴(すず)が泣き出しながらそう何も言わない静流(しずる)に説明している。
あの程度で泣くのはここじゃあ、日常茶飯事。
動じるほどでもないし、当たり前の光景。
一応高校生という年齢になっている私たちだが、ここにいると本当に、年齢通りに生きている学生とは思えない人間ばかりだ。

…………

先生

えっと……準備してるところごめんね?
ねえ、涼さん? 
鈴さん泣いているけど……何かあったの?

授業の準備をしている私に、この異常空間を担当している大卒の若い先生がおずおずと声をかけてきた。
今年大学を出たばかりの新任教師で、いきなりここを担当させられることになったらしい。
先生には悪いが、勝手ながら気の毒だと思う。
ここに赴任してきた先生はよくノイローゼになってやめていくという話を聞いているから。
堪えられないのだろうと勝手に推測している。
知識があろうが無かろうが、人間は感情の生き物。
嫌悪感を持つ対象の近くにいれば、やがてストレスにおしつぶされて、倒れてしまう。
余程、相性が良くない限りは、こうして手を焼いていて対処に困る。
それが『普通』の人のマシな方の反応だ。

知りません
あいつ、戻ってきたらあの様子でしたし
大方、向こうでなんかされたんじゃないですか?

先生

そ……そっか……

本人があの様子じゃ聞くに聞けませんし……
強く出たりすると、ヒス起こすんですよ鈴の奴
そんでもって暴れだすらしいです
治まるまでほっとけばいいかと

私は私なりに対処の方法を知っている。
要は、ある程度放っておけばいいのだ。
何でもかんでも、あの手の状態の人間に関わればいいというわけではない。
言ったとおり、下手に刺激して興奮状態に陥り、ヒステリーを起こされたりしたら周りにも迷惑だ。
私と鈴は似たようなタイプだからああなると自分でもコントロールが効かない。
放置される方が自身もそれが一番楽だし。
距離をあけて監視してもらえれば、いざというときにもなんとかなる。
今は静流が相手してくれているからいいが、ここで先生が出しゃばって彼女をつついて神経を逆なででもしたらたまったもんじゃない。
前科があるらしいから、先生にもそうするように勧める。

先生

…………

過度な干渉は、周りに二次被害を出すと聞いています
これは先輩の受け売りですけどね
本当にやばそうだったら、何とかします
先生は戻ってていいですよ

先生

そ、そういうわけにもいかないの
私は、この教室の担任なんだから……!

……先生は、先生なりに頑張ろうとしている。
それは私にも理解できるし、良いことだと思う。
でもそういう感情が、私達には怖いのだ。
自分に過剰に接触してくる『他人』が、怖くてたまらない。
だから過敏に反応して、自衛のために暴れだす。

なら先生が怪我しますか?
今の鈴に責任能力はありませんよ

先生

うっ……

私がドスの効いた声で牽制すると、先生は怯んだ。
やはり、扱い方が分からないから、どうするか迷っているようだった。

いい加減、よく見て覚えてください
私達には、常識なんて通用しません
……こんなこと言いたくありませんけど

人それぞれ対応を変えていかないと、きっとダメだと思います
鈴のことは、静流に任せておけばいいんです
今はそれで事足りているじゃないですか

私が前髪で隠れた目で彼女――静流を見る。
彼女は視線に気がついたようだ。

静流

…………

振り返った静流は、笑顔で任せてと浮かべた。
事情は分かっている。
本気でまずいときは付き添いで、保健室に連れていくと言っている。
私は他の人に比べて、ここにいる月日は短い。
それでも、多少なりともコミュニケーションを取ろうとはしている。
他の完全拒絶の生徒は無理だが、一部の人とはもう友達、と呼べる仲にはなっているつもりだ。

静流が、本当に危険なときは保健室に鈴を連れていくと言っています
それで今のところはいいと思いますよ?

先生

……それは……

あと、私も既に相当イライラしています
これ以上私を刺激して、無駄に不安定にしないでください
しまいには、ここで怒鳴りますよ?

弱者の恫喝。
やりたくないけど、やるときは躊躇いなく使う。
自分の為なら、私は悪い意味でも正直になる。
私とて、似たようなものを持つ人間。
こういえば、自己申告で意思表示をした私は危険な状態にあると言うことになる。
事実、先生の態度にかなり苛立っている。
他の生徒のために私を隔離するか、落ち着くまで放置しておくか。
先生の選択は、今その二択だ。

先生

……分かった
今は、静流さんに任せておけばいいんだね?

はい

先生は鈴を刺激をしないために、去ることを選んだ。
その代わり、本当にまずくなったら私は自分から対処するように言われ、静流は視線で鈴の対処を任された。

先生

じゃあ、何かあったらまた言ってね

はい
……あの、先生
脅かすようなことを言ってすみません
苛立って失礼なことを言ってしまって

先生

いいよいいよ
人間生きていればそんなこともあるから
謝れるだけ涼さんは大人ってことだよ

大人……か。私の何処が大人なのだろう?
こんな中途半端な私が。
自分自身が何なのかも分かっていない、明日のことも決められない人間の何処が。
ただの先生の言葉が、悪意のある言葉に聞こえてくる。
ああ、ダメだ。
またこんなふうになる。
こうなると、もう手を付けられない。
ダメだ。駄目だ。だめ……だ。
待って、待ッテ……。ヤメテ、私……。
先生、ハ……。先生は……関係……ナい。

……っ
し、失礼します……

先生

あっ……

私は慌ててその場を後にした。
この状態になると私もまずい。
早く、一人になろう。
ある程度落ち着くまででいい。
全ての他人が敵だと、そう認識する前に。
妄想が、私を取り込んでしまう前に、逃げなければ。

逃げよう。
逃げよう。
逃げよう。

先生

……調子、悪かったのかな……?

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