???

ネットゲーム、ですか?

 男は手元の紙に目を落としながら尋ねた。

 名も無いネットゲームの概要書。それに付随する資料の開発メンバー一覧の中には、橘 慎吾(たちばな しんご)、彼の名があった。

ああ。
橘君は遊んだことがあるかな?

橘 慎吾

いえ……ありませんね。

そうか。
でも、名前くらいは聞いたことがあるだろう。
最近は一般家庭にもインターネット回線が普及してきているからね。それに合わせて伸びてきている分野だ。

橘 慎吾

一応、名前ぐらいは。

橘 慎吾

しかし、どうしてうちなんですか?
専門じゃないでしょう?

まぁ、そうだ。
その辺は私にもわからん。営業の連中に聞いてくれ。

とにかく、この案件では橘君に主力として頑張ってもらうことになると思うから。よろしく頼むよ。

橘 慎吾

それは構いませんが……、本当に私でいいんですか?

君ももういい時期だろう。
これも経験だよ。

勿論、私達もサポートする。

なにより、私達オッサン連中はゲームというものに不慣れでな……。

橘 慎吾

それが本音ですか?

そうじゃない、といえば嘘になるが。良い経験になるはずなのは確かだよ。

ネットゲームという分野は、まだまだ黎明期にある。
君もまだ若い。新しい物に触れるということは、必ず今後に繋がるよ。

橘 慎吾

はぁ。

とはいえ、実際に開発が始まるのはまだまだ先だ。
とりあえず今は、気にだけ留めておいてくれ。

それじゃあ、私は帰らせてもらうよ。
時間を取らせて悪かったね。また明日。

橘 慎吾

はい。お疲れ様です。

橘 慎吾

ネットゲーム……か。

 会社からの帰り道、橘は1人電車に揺られながら思案した。

橘 慎吾

確かに、会社の先輩達よりは俺の方がゲームに詳しいだろうが、ここ最近は全然やってないからな……。

 彼も昔はそこそこゲームをプレイしていた。が、社会に出てからは次第にゲームをする機会も減り、今ではほとんど触れていない。

橘 慎吾

やってないというか、忙しくて出来なかったんだな。

ネットゲームも一応気になってはいたんだが、忙しさのせいで、結局やらず終いだ。

橘 慎吾

……思えば、働き始めてから、あまり遊んでいないな。ゲームに限らず。

不規則な仕事だから、誰かと会う機会も多くないし。元々、趣味と呼べるようなものも無かった。

橘 慎吾

……それこそ、ゲームくらいのもんか。

 彼の仕事は急な残業が多く、休日が変わることも少なくなかった。そんな生活では、休日に出来る事も限られる。

 そんな事情もあり、好きな時間に、その場に居る人とプレイできるネットゲームというものは、自分にとって相性がいいのではないかと橘は考えた。

 それを抜きにしても、自分が作るものに対する理解の度合いというものは、出来上がるものの品質に大きく影響するものだ。

橘 慎吾

趣味探し、兼業務の事前調査と。
悪くないな。

橘 慎吾

結構あるもんだな。

 帰宅した橘は、早速手頃なネットゲームを探し始めた。

 その数は決して多くは無いが、考えていたよりは多い。どれを選んだものか、迷ってしまう。

 そもそも、それぞれのゲームが、どんなものかもわからない。

橘 慎吾

各サイトで簡単な説明は見られるが。

それよりも……。

橘 慎吾

お、これなんか良さそうだな。

 そんなとき、1つのサイトが目に止まった。

 ゲームのレビューを載せているサイトらしく、ネットゲームに関するページも充実しているようだ。

橘 慎吾

これはいい。
さっき見かけたネットゲームはほとんどここに載っているな。

公式サイトの説明も必要だが、こういうプレイヤーの感想の方が参考になる。

 ここが素晴らしいが、この部分はイマイチ――面白そうな要素があるが、未実装のため様子見――このゲームは――。

 あらゆるゲームの感想、評価が事細かに記されている。

 レビューを参考に、橘はゲームを絞り込んでいった。

 そして。

橘 慎吾

これにするか。

 橘の選んだゲームは、サイトの主から言えば"そこそこ"なゲーム。

 "ネットゲームには珍しく、戦闘はエンカウント方式のターン制バトルを採用"
 "ネットゲームにおける基本的な要素は一通り充実"
 "ただし、ゲーム人口に難アリ――"

橘 慎吾

ゲームの評価は良すぎず悪すぎず。
出来の悪いものは参考にならないし、出来の良いものは粗に気づきにくい。
このゲーム独特の要素もあるようだ。
これぐらいがちょうどいいな。

 会員登録、ゲームのインストール等。

 一通り必要な事を済ませ、いよいよとゲームを起動した。

ようこそ、冒険者さん。

貴方の姿を教えて下さい。
貴方はどんな姿をしていますか?

- キャラクタークリエイト -

 ネットゲームは多くの場合、自身の操作するキャラクター(アバター)を作ることから始まる。

 性別、髪型、顔つき、髪の色、肌の色等の基本的な項目から、ゲームによっては身長や体つきまで自由に変えられるものもある。自分だけのキャラクターで遊べるのも、ネットゲームの楽しみの1つと言える。

 使用するキャラクターが決められているものもあるが、大抵は追加の服装やアクセサリーで差別化される。

橘 慎吾

ふむ。見た目か。結構種類が多いな。
髪の色はこう。瞳の色はこれで……。

なるほど。
次に、あなたの職業を教えていただけますか?

橘 慎吾

ゲーム内での職業か。
無難に、戦士辺りでいいな。

???

……よし。こんなもんだろう。

最後に、貴方の名前を教えて下さい。

???

名前? 全然考えてなかったな。

……。

???

駄目だ。パッとは思いつかねーや。
昔好きだったゲームから適当に……。

――なるほど。良いお名前です。

――それでは、行ってらっしゃい。
――旅の無事をお祈りしています――。

レグルス

お、動かせるな。

 ゲームが始まったらしい。

 橘――レグルスは、適当にキャラクターを動かしてみた。

 慣れない操作のためか、キャラクターはフラフラと妙な動きで進む。

レグルス

マウス操作ってのは変な感じだな。
でもPCでやる以上は慣れないとダメか。
この辺、何か手軽な操作方法を……。

レグルス

お、誰か居る。

 開始地点から少し進んだ辺り。いつの間にか、画面には大きな街の入口が映っていた。

 入口の側に、誰かが立っている。

 橘が目の前にキャラクターを移動させると、相手が橘の方を見た。

???

何か御用ッスか?

 相手の頭上に吹き出しが表れたかと思うと、画面下部にテキストが表示された。

レグルス

今表示されたのは、こいつのセリフか。

……これだけか?

 橘が何もせずに居ると、相手が続けて発言した。

???

なるほど。

???

チャットの有効化はエンターキーッスよ。

レグルス

チャット?

 言われた通りにエンターキーを押すと、相手の発言が流れている辺りに、文字入力が可能なエリアが現れた。

レグルス

そういうことか。
ゲーム内でコミュニケーションを取るためにチャット機能が

レグルス

……あ、やっべ。

レグルス

a

 適当にいじっている内に発言してしまったらしい。

 キャラクターの頭上に先程の吹き出しが現れ、チャット欄に"a"という文字が表示された。

???

そうそう。そんな感じッス。

???

さて、時間があればこの後手伝いとか出来たんスけど、生憎これから予定があるッス。

???

それじゃ僕はこれで。
また会う機会があれば、よろしく頼むッスよ。

 相手は一方的に言いたいことだけを言うと、そのまま街の中へ入っていってしまった。

レグルス

なんだよ……他のプレイヤーだったのかよ。
いきなり恥ずかしいところ晒しちまったな。

レグルス

本当に他の人間が一緒にやってんだな。

街にはどれだけのプレイヤーが居るんだ?

 レグルスも後を追うように、街に入っていった。

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