明日はアイドリズム界で人気があるアイドルたちの合同ライブが行われる日だ。今日はそのライブの最終チェックのため午前中から現地入りし、各ユニットでリハーサルをしている。
そんな中俺は、明日のライブに出演する代わりにこなさなければいけない大学のレポートに楽屋で励んでいた。幸いまだRadishとしての出番も、コラボであるWhite Windとしての出番も先ということなので早く済ませてしまおうとパソコンを開いた。アレクシス達は気を使ってくれたのかわからないが、部屋にはいない。男子用の部屋は俺一人で、かちかちと俺が使うパソコンの音が響いている。

一斗!


ばん、と扉が突然開き、振り向く間もなくどすんと重いものが背中に飛びついてくる。その行動だけで誰か分かった俺は、ぽんとその頭に手を置いた。

どうした、ナディファ。飛びつくのは危ないだろ

あ、ごめんなさい……一斗、大丈夫?

ああ。次から気をつけろよ

うん!


にこっと笑ってナディファがうなずく。それを見るとそれ以上怒る気にはどうしてもならなかった。怒るほどのことでもないが。

それで、どうしたんだ?

あのね、ナディファ、さっきリハーサル終わったの。それでね、アンコールの練習まで自由にしていいよって言われたから一斗のところに来たの


そう言ってナディファは俺に持っていた本を見せてきた。

一斗、お星さまの話して!

ああ……この前のやつか


そういえばとこの前ナディファに事務所で待ち時間ができたとき、神話を語って聞かせたことを思い出す。その時は最後まで話す前にプロデューサーさんが来たから、結末まで話せなかったのだ。結末を知りたいとナディファが言うのでたまたま持っていた本を貸し現場に行ったはずだ。

ナディファ、この本読んだけど、漢字がいっぱいでよくわからなかったの……だから一斗にお星さまの話してほしいの! だめ?

ああ……そういえばそうだったな。分かった


確かに俺が貸した本はナディファには難しかったかもしれない。今度は絵がついている本でも持ってこよう、と心の中で思った。
レポートはまた後でやろうとパソコンの文章を保存してナディファに向かい合う。するとナディファは俺の膝にぴょんと乗ってきた。そして自分で本を開いて文字を指でなぞった。

ここで聞く! 一斗、ヘラクレスのお話だよ! このお話!

そうか、分かった


まあこのほうが本も見やすいしいいだろうと、俺はページを開きながら話を始めた。

すみません。一斗くん、いますか……ってナディファちゃん?

あ、深春!


ひとしきり話を聞かせ終わったころ、ノックとともにひょこっと深春が現れた。

どうしたんだ? 俺たちの出番はまだだろう?

あ、はい。そうなんですけど……


俺と深春は現在『Chara』というユニットを組んで期間限定活動を行っている。先日ようやくシングルがリリースできたので、今回はそれもサプライズとして披露することになっているのだ。だがそれも後半のほうでリハーサルをするため、Radishなどの出番と同様にまだ時間には早い。

深春、一斗に用事? ならナディファ、七海のところに行くね!

え、ナディファちゃんがいても全然大丈夫で

ばいばーい!


俺が首をかしげているとナディファがそう言って俺の膝の上から退いた。そして有無も言わせずに楽屋から出て行ってしまう。残された深春は困ったように俺を見つめた。

そ、そんなに大した用事じゃなかったんです……ごめんなさい……

いや、大丈夫だ。話は終わっていたからな

ならよかったです……


ほっと深春が胸をなでおろした。そして少し視線をさまよわせてから、俺を見つめた。

えっと、それでですね……要件はこれなんですけど……

……コーヒーか?


部屋に入ってきたときから気になっていた、お盆に何個ものせられたコーヒーカップを深春はおずおずと俺の前に差し出した。中にはコーヒーが並々注がれており、部屋にはコーヒーのにおいが充満している。

はい。一斗くん、前コーヒーが好きって聞いて……最近忙しいのに私とのユニットもあって大変なのでちょっとでもリラックスできたらいいかなって……。でも一斗くんがどんなコーヒーが好きかまでは分からなかったので、味見してもらえませんか?

そうなのか、わざわざすまなかったな

いえ! 日頃本当にお世話になってるから何かしたくて……むしろこんなに味見してもらうことになっちゃって申し訳ないです……

いや、問題ない。むしろ気をつかわせたな


そう言うと深春はぶんぶんと首を振った。

いえ、本当に私がしたくてしたことなので! というわけで味見、お願いしてもいいですか?

ああ、分かった


何個もあるコーヒーカップの一つに手をつける。すべて味見させてもらったが、深春のいれたコーヒーはどれも優しい味がした。素直にそう伝えると深春は嬉しそうにほほ笑んだ。

(後にアレクシスにこの話をしたら

深春さんはなんで本人に味見を頼んでるの……?

と言われた。確かにその通りだ、と後から思った。)

ようやく静かになった楽屋で、そろそろレポートを再開しようとパソコンを開いた瞬間、また楽屋の扉が開いた。

一斗!

光流? 陸まで……どうしたんだ?

ちょっと今いいか?

ああ、構わない


ひとつ頷いて二人を招き入れると、二人は座布団の上に座った。

一斗もレポートやってるから、なるべく二人で頑張ったんだけど……


しょぼんとしながら光流がノートを差し出す。陸も困ったように頭をかきながら同じようにノートを出してきた。

本当に申し訳ないんだけど、この問題を教えてください! あとこっちも!

俺も……この数学の最後のやつだけどうしても解けないんだよ……悪いけど頼む


そういえば俺と同様に学生のアイドルたちは今回のライブに参加するにあたり、学校から課題を出されたものが多いと聞いた。それは光流や陸も同様だったらしい。
少しノートを見ると二人ともわからない問題をずいぶん試行錯誤して考えたが駄目だった様子が伝わってきた。消しては書いた跡が何行にも残っている。確かに問題も応用問題であり、苦手な人は中々解きにくい問題ではある。

わかった

え、本当にいいの!? 一斗も課題大変なんでしょ?

俺のは最悪来週で構わないから問題ない。二人は明後日までなんだろう? なら優先事項はそっちだ。見せてくれ

一斗……ありがとなっ!


ぱあっと顔を輝かせた陸が抱き着こうとしてくる。それを察知した俺は本能的に後ずさった。陸は転びそうになったところを何とかこらえる。

だ、大丈夫か?

平気平気。にしても相変わらずガード固いんだな。ちょっとくらいいいじゃん

いや、その……すまない

すごい後ずさり方だったけど……大丈夫?

あ、ああ……陸、きちんと教えるから距離は保ってもらえないか……


前にリッケーくんとして『お仕置き』されたことが頭によぎり、体が震える。だが二人とも気づいてない様子で了解、と笑っていた。

じゃあ一斗先生、よろしくお願いします!

よろしく、一斗先生

先生ではないが……はじめようか


そう言うと二人はまるで生徒のように元気のいい返事を返してくれた。

ありがと、一斗先生! おかげでよくわかったよ!

サンキューな。またわかんないとこあったら聞きに来ていいか?

ああ、このくらいなら問題ない

ありがとう! じゃあリハで会おうね! 今日明日はよろしく!

うちの光流をよろしく頼むなー。反対にアレクのことは任せとけよ、じゃな!

また後でな


二人がひとしきり手を振った後ぱたんと扉が閉まった。
さて、そろそろRadishのリハーサルの時間が近づいてきている。本格的にレポートを進めないと、と思ったときまた扉が開いた。

一斗! そろそろリハーサル始まるぞ!

アレクシス?


走ってきたのだろうか、息の上がったアレクシスがそこにはいた。

リハーサルの予定時刻はまだだろう?

ちょっと早まってるみたいなんだ。早く衣装着て準備して!

そうなのか、分かった


結局ほとんどレポートには手を付けていない。まあリハーサル後にも時間はあるだろうと俺はいつもの黒いジャケットを羽織った。

Radish、春名一斗です。よろしくお願いします

同じくRadish、岬アレクシスです。お願いします

じゃあまずBeauty or the Beastから行きまーす

はい

お願いします!


舞台の上でポジションにつく。目を閉じてポーズをとり、音楽が鳴るのを待つ。
しばらくして流れた曲は、俺たちの歌ではなかった。
軽快なメロディ。誰もが聞いたことのある曲。
これは――。

ハッピーバースデートゥーユー♪


ゆっくり腕を下す。

ハッピーバースデートゥーユー♪


そっと、目を開ける。

ハッピーバースデーディア―…


そこには、ライブに出るアイドルと、スタッフと。

一斗ー!


横から抱き着いてくるアレクシス。

ハッピーバースデートゥーユー!


わあっ、と大きな拍手が鳴り響いた。口々にみんながおめでとう、と笑ってくれている。
思わずぽかんとそれを見つめて、それからぎゅうっと抱きしめてくるアレクシスを見つめた。

一斗、びっくりしたか?

びっくりしてるでしょ?

へえ、あの無表情な一斗もびっくりするんだな

一斗?

……ああ、とてもびっくりした


やっとそう答えるとみんなが嬉しそうに笑った。アレクシスがゆっくり俺から離れて誇らしそうに笑う。

……アレクシスか?

……うん。今日、誕生日だったから。前々からみんなの連絡先は知ってたし、手伝ってもらって。あと、二人には特に


そう言うと、からからとりゃなそんの二人がワゴンを引いてきた。

これは私たちからね

一斗にはいつもなんだかんだお世話になってるから。お世話してる時もあるけどさ

だからアレクシスがこれ提案してきたときに、私たちはこれをプレゼントしようって決めてたの


ワゴンにはケーキが乗っている。そこには不格好ではあるがメガネの青年がデコレーションされていた。淵には金平糖が飾られ、プレートは三日月型だ。ろうそくの光がゆらゆらと揺れている。
俺は二人の手を片方ずつそっととった。

……これはどういうことだ?

あー……ちょっと失敗しちゃったんだ

……恥ずかしい話、ケーキは初めてで、ちょっとね


二人の手は何個か絆創膏が貼ってある。それを見て俺が思ったことは一つだった。

りゃなそんはアイドルだろう。ましてや明日は大事なライブだ。影響が出たらどうする

……ごめんなさい

でも、すごく嬉しい。理名も七海も、俺のためにありがとう


二人の手をぎゅっと握る。そうすると二人は頬を赤くして、りゃなそん同士で顔を見合わせてから笑った。

ありがたく食べてよね!

ほら、早く火を消して。ろうそくが垂れちゃうから

男なら一気に、だよ?

ああ


二人の手を離してケーキと向かい合う。大きく息を吸い込んで、ふうっと息を吹きかけると、ろうそくはたちまち火を消していった。ぱちぱちと大きな拍手が響く。
またおめでとう、と様々な人たちから声がした。
隣に立つアレクシスを見つめる。彼は俺に微笑んでからまた抱き着いてきた。

一斗、誕生日おめでとう


耳元でそっとアレクシスがつぶやいた。

僕は一斗がパートナーで、相棒でよかった。君と一緒にユニットを組めてよかった。……君に出会えて、本当によかった。君がいなかったら僕はきっとこうしてここに立ってないと思うんだ。だから一斗、生まれてきてくれてありがとう

アレクシス……


ゆっくりアレクシスの腰に手を回す。そうするとアレクシスは俺の肩口に顔をうずめた。

僕がトップアイドルになりたいのは、Radishだからだ。一斗と一緒に僕はアイドルの頂点に立ちたい。だからこれからも一斗と一緒にアイドルをやりたい。だからこれからも……よろしくお願いします


だんだん恥ずかしくなってきたのだろう。語尾が小さくなっていく。そんなアレクシスを俺もぎゅっと抱き返した。

アレクシス、ありがとう。……うまく言えなくて申し訳ないが……俺の相棒になってくれて、ありがとう

一斗……十分だよ。改めて誕生日、おめでとう

ああ、ありがとうアレクシス


二人で顔を見合わせ微笑みあう。普段あまりアレクシスとはこういった話や、スキンシップを取らないのでなんだか照れ臭かった。

……お前ら本当に仲いいよな

いいなー。僕も混ぜてっ!

ずるい! ナディファも!

あ、じゃあ俺も


横からそんな声がして、振り向こうとするとまたどすん、どすんと体が重くなる。
どうやらナディファ、光流、陸も来たらしい。陸、と聞くといつもなら逃げたくなる状況ではあったが今日は普通に抱きとめられていた。多分何人も来ていてよくわからないからだろう。
するとまた何人か抱き着いてきたらしい、どんどんと体が重たくなって苦しくなってくる。

皆急にどうしたんだ……?

一斗が生まれてきてよかったって思ってるのはアレクだけじゃないってこと!

そうそう! 一斗に会えてよかったって証拠だよー

そうですね、いつも一斗くんにはお世話になってますし……なんだかお兄ちゃんみたいで相談しやすいんですよね


そう深春が言うと何人かがそれだ、と騒ぎ出す。

そう! 一斗は皆のお兄ちゃんなんだよ! 実際このメンバーだと男子で一番年上だし、誕生日はいい兄さんの日だよ?

本当だ、いい兄さんの日だ! うんうん、確かにみんなのいいお兄ちゃんだと思うな。まあ生活力は足りないからそこは心配になるけど

でも肝心な時はちゃんと決めてくれるし

今日だってみんながあんなに勉強の邪魔したのに何にも言わないで全部請け負ってくれたものね

? 一斗、忙しかったの?

ナディファは気にしなくていいよ。あと一斗は兄みたいかもしれないけど僕の相棒だからね

はいはい。アレクは本当に一斗が好きだよなー

っ、陸!

ははっ、わりーわりー


アレクが陸に向かって大きな声を出したときも、誰も俺から離れずに抱き着いていた。
皆に言われた兄のようだ、という言葉は今までの人生の中で一度も言われたことのない言葉でなんだか意外だった。思わず言葉が出る。

……俺が兄のようなものでいいのか?

うん! というかもうお兄ちゃんだよね

一斗はナディファたち皆のお兄ちゃん!


皆が大きくうなずいている。
皆にもみくちゃにされて苦しくはあったが、体も心もあたたかい。
自然と口角があがっていくのが分かった。
これがきっと、幸せということなんだろう。分かっていたつもりではあったが再認識した。

……今日はいい日だな


そうつぶやくと皆がまた笑った。

Happy birthday Ichito Haruna!!!

いい兄さんの日に生まれた君へ

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