第7話
第7話
狐の嫁入り。
私が
「止まない雨はない」と言ったせい
ではないと思うけれど
どこか薄くぼんやりとした
色ではあるけれど
今日の空は
厚い雲に覆われてはいない。
そのせいだろうか。
フォグが
妙におとなしかったのは。
お前は本当に
雨のほうが好きなのね
茶化してみても
我関せずとばかりに
私の頭の上に腰を据えている。
あの時
聞いた羽音は
フォグのものだったのだろうか、と
ふと思う。
聞いても
答えてはくれないけれど
傘、買わないとね
白い傘もピンクの傘も
失くしてしまった。
今日の帰りにでも
新しい傘を見繕いに行こう。
私が、私のために選ぶ
1本の傘を。
バイト
行けなくなっちゃうもんね
ピュイッ
そう
一連の出来事をマスターに話すと
彼女は少し悲しげに頷いた後で
……無事でよかったわ
と、微笑んだ。
もっとなにかあると思ったけれど
彼女は保護者でもなんでも
無いのだし
もともと
感情を出すような人ではないから
これでも
本人にしてみれば
喜んでくれているのかもしれない。
あの後、家に戻ってみたけれど
誰もいなかった。
誰かが帰って来た形跡もなかった。
蘆屋が帰って来たのは、
あの女とのやりとりは、
私の想いが生み出した
幻だったのだろうか。
……でも
同じ着物とかんざしの
あの人、は……
蘆屋やあの女のことは
私の心が生み出した幻だったとしても
納得できる。
蘆屋が帰って来ないのは私を捨てたせい。
あの女が妙に明るいのは
私の後釜を狙っているせい。
そうやって疑うことは
いくらでもできたから。
そして、
紅い番傘の彼女も
誰かを待ち続けている彼女も
ネコ耳の彼女も
最初の出会いや
その時に交わした会話の不思議さは
ともかくとして、
あの夢の中での言動は
私が見知っていたことの
延長に過ぎない。
でも
あの、彼女は?
会ったこともない。
見たこともない。
お付きの侍女も
烏帽子の男性も知らない。
古典にだって詳しくはない。
あんな言葉づかいは知らない。
そんな誰かを
夢の中だとは言え
具現化させることはできるのだろうか。
……わからない
とにかく、
温かいものでもお飲みなさい
マスターはいつものように
珈琲を注いでくれる。
チョコレートシロップの甘い香りは
私だけの特別で
いつもなら
その香りだけでほんのりと幸せに
なれたけれど……
ああ。
今日は日照雨(そばえ)ね
窓の外を眺めていたマスターが
ぽつりと呟いた。
日照雨?
聞きなれない言葉に
私はオウムのように聞き返した。
日照雨。
狐の嫁入りと言ったほうが
わかりやすいかしら
彼女はそう言いながら
外の傘立てに
彼女は数本の傘を置きにいく。
番傘によく似た骨の数の多い傘。
朱や紫の中にひとつ
白い輪が描かれているそれは
蛇の目傘、と言うらしい。
その古風なデザインは
どう見ても安物ではないけれど
傘を持たずに訪れたお客様が
濡れずに帰れるように、
という配慮から。
返って来なかったら? と
そんなことを心配する私は
客商売には向かないのかもしれない。
あ、狐の嫁入りなら知ってます。
お天気雨のことでしょう?
やっぱり今日も雨は降る。
それはそうだろう。
私の心境ひとつで
天気まで変わるはずがない。
でもお天気雨が他の雨より
重い気分にならないのは
お日様が出ているから
なのかもしれない。
どうして狐の嫁入りと言うか
……知ってる?
この店は
雨が降ると来客が増える。
でも今日はまだ降り始めだからか、
閑古鳥が鳴いている。
だから。
マスターの言葉に
私は首を縦に振ることで答える。
その狐は人間の元へ
嫁いだのよ
サイフォンに火を入れながら
彼女は語りだした。
むかぁし、むかし
それは何日も日照りが続いた
とある村でのこと。
雨乞いには娘を生贄に、というのは
当時の一般常識だったのか
その村でも娘を贄に
雨を乞おうとしていた。
しかしどの家でも
自分の娘を
贄に差し出したいはずがない。
話は平行線を辿っていた。
ええい! 埒が明かぬわ!
こうしてうだうだと不毛な
言い争いをしている間にも、
苛立ちの声をあげた男を横目に
別の者が口を挟む。
どうだろう。
この際、狐の娘を人間に仕立てて
贄に差し出したら
狐……だと?
人間の、
それも同じ村に住んでいた娘を
殺すとなると沸き上がって来る良心も
獣相手にはおきないのだろう。
さして反対意見も出ないまま
話は当事者の狐抜きに
とんとん拍子に進んでいく。
それがいい。
悪戯ばかりしよる狐がいただろう?
あれを捕まえて
それはいいかもしれん。
うちの畑にもよく来る
……やってみるか
うっふふ~
最近野菜少ないと思ってたけど
あるとこにはあるのよねぇ
村の畑が不作なように
山の木の実も日照り続きでは少ない。
狐はその日も
こっそりと村にやってきては
畑の野菜を盗んでいた。
ホント言うと
油揚げも欲しいけど~
……おい
!?
……油揚げ
……?
くれる、の?
ああ
どうして?
他の者なら
「悪い狐め」と鍬や鍬を振り上げて
追いかけてくるところだ。
そうでなくても
今年は野菜の量が少ない。
畑の野菜を盗んだ狐に
さらに油揚げまで寄越す男の真意を
汲み取れず、
しかし油揚げは魅力的で、
狐は立ち止まると
男をしげしげと見上げた。
……
……食いもん……
足らんだろ?
……
そんな餌付け作戦が功を奏したのか
やがて狐は男に懐き
いつしか共に暮らすようになった。
男が、なにを考えて
近づいたのかも知らずに。
雨乞いをせにゃならん
しかし雨乞いには
生贄が必要なんだが……
頃合いを見計らうようにして
男の家に村の男衆が集まった。
口々に日照り続きで困っていると
訴える。
ああ、どうしたらいいのだろう!
村には若い娘など居やしない!
男が狐に近づいた頃から
少しずつ、少しずつ
若い娘を持つ親は
娘を連れて村を離れていった。
それは全て
「村に若い娘がいない」という
演出のため。
ただ、狐の前でそのことを告げる日に
他の娘がいなければいい。
それだけのことで、
彼らは住み慣れた土地と
やせ細った畑を置いて出て行った。
……生贄になる娘がいないと
どうなるん?
障子の向こう側で
こっそりと話を聞いていた狐は
夫を捕まえて問う。
日照りで……
作物が枯れるな。
最悪、飢えて死んじまう
それも全て
自分ひとりを騙すためとも知らずに。
与平も?
……そうだ。
俺だけじゃない、村のみんなが
今、村に残る娘は
狐娘ただひとり。
……
ああ。もう村は終わりじゃ!
終わりだ!
……
……俺が行く
こん……
それで与平が助かるのだろう?
雨が、降るのだろう?
……
……ああ
一抹の罪悪感。
狐を親しくなるのは村のためなのに。
なのに。
そんな男の心中を知る者は
誰もいない。
そうして狐は村のために
花嫁装束に身を包み、
男衆が担ぐ輿に乗せられた。
……じゃあな
……こん……!
すまねぇ!
せっかくの花嫁衣裳だってのに
思わず泣き崩れる男に
狐は笑いかける。
泣くな与平
これもお前のためだ
こん、俺は……俺は……!
(俺は、お前を騙……)
俺は……!!
……楽しかったぞ
偽りの夫婦でも
!!
そうして狐は雨乞いの生贄になった。
こん――!!
村に雨が降った。
恵みの雨。村の誰もがそう思った。
だが、違う。
その雨は
狐の娘が
その夫だった男が
流した涙。
彼らの想いを表すように
雨は
ただ……降り続けた。
……というお話
……そんな悲しいことが……
晴れた空から降る雨は
狐娘と男の想いが詰まった涙雨。
ああ。まただ。
溢れる「想い」がこの街に降る。
この街は、そんな「想い」の
吹き溜まる街だから
ここは
そういう街だから
ここにいたらあなたも
雨に閉じ込められてしまう
そうだ。
私はバイトのたびにこの街にやって来て
終われば帰っていくけれど
お客様も何処からともなくやって来て
何処かへと去っていくけれど
あなたも
あなた「も」というのは
てっきり彼女と同様に私も、という
意味だと思っていたけれど
よく考えてみれば
彼女はこの店から出て行って……
あの夢が真実かどうかは
わからないけれど
決してこの街に
この雨に
閉じ込められていたわけじゃない。
でも、マスターは……?
ずっと此処にいるのだろうか。
ずっと
閉じ込められているのだろうか。
この、雨に。