ランニングから帰ってきた優真は、早々に朝食を食べて、学園に行く準備をしていた。

優真はどうしてそんなに慌てているのだ?

そう、優真は急いでいた。
まるで祭りの時間に遅刻を気にする少年のように。

まぁちょっとね

昨日の件でなにかいい案が思い付いたのか?

ある程度の考えはまとまりました。あとは実行するだけです

そんな少年に良いことを教えてあげよう

……?

良いこととはなんだろうと首を傾げる。

実は昨日伝え忘れていたことがあったんだよ。ずっと悩んできたのだが、優真に部下を与えようと思う。そしてその部下が学園に転校生として訪れる手続きは既に済まされている

今日にも部下が優真の顔を見に来るだろう。
千尋はそう言った。

俺に部下ですか? それは嬉しいですが良いんですか? まだ若輩者の俺がそんな大それた役引き受けて

そうだ。お前はまだ若い。だからこそ若い間にいろいろと経験させておきたいのだ。

いいか優真、大人になって未だに失敗するのは恥ずかしいことだ。だから今のうちに失敗しとけ。そして学習するんだよ。何が駄目だったのかをな

……わかりました。ありがとうございます

うむ

話は終わったようで、千尋はトーストで焼けたパンを一口かじる。
優真は行ってきますと言って、玄関のドアを開けた。

時刻は7時半頃。
荒木鉄平は学園の屋上にいた。

まだ学園にいることは早いハズだった。
しかしそれでも、鉄平はどこか嬉しそうに笑っている。
まるで祭りまでの時間が待ちきれないと言わんばかりに。

それは昨日の深夜のことだった。
鉄平のメールに一通のラインが届いた。
送り人の名前は優真、驚くことに挑戦状だ。

時間の指定は7時半。
もうとっくに来てもいい時間帯。鉄平はこの時間が長く感じる。
早く来いと、心の中で踊る。

待たせたね

風見佑真が屋上に姿を見せた。
その瞬間、どうしようもない高揚感が身体から溢れるように爆発する。

よう、一体どういうつもりだ。お前から俺に喧嘩を誘うなんて初めてだろ?

うん、いつもは逆なんだよね。その度に断ってきたけど、まぁいいかなって。別に殺し合いをする訳じゃないし

はは、あはは、ははははははッ!

笑いが止まらない。この日をどれだけ待ったか。
優真の実力は知っている。
なにせ初めて出会って早々鉄平は優真に喧嘩を吹き込んだのだ。

その当時、どちらも互角という判定で決着がついた。
この噂が流れた後日に二人とも謹慎になった訳だが、しかし、気付いていたのだ。
その時は本気を出していない。優真は手加減をしていたことを。

拳をぶつけ合い、相手の実力を知るからこそ気付ける。
そして、その頃から執拗に喧嘩を吹き込んで断られるのが当たり前の生活になっていたのだが、今ここでようやく夢が叶おうとしていた。

ただし条件出していいかな?

かまわん!

……まだ内容言ってないんだけど

まぁ、いいならいっかと納得する。

そんなことより優真! 本気でぶつかって来いよ!

それは鉄平の実力次第かな?

……おもしれ、なら嫌でも本気にさせてやるよッ!

先手は鉄平。
拳を握り、優真の顔面を狙う。

しかし、何事もなかったかのようにそれを避けられ、その瞬間に感じた嫌な気配により鉄平は全力で身体を曲げる。

頬をかすった。ゆっくりと赤い血が流れる中、追撃はさらにやってくる。
優真は姿勢を低くして、鉄平の足を払う。

くッ!

地面に倒された鉄平は、転がるようにその場から離れた。
その判断は正しい。
あのまま倒れていた場所に居たなら、彼は無事では済まされなかっただろう。

実際にその場を見て、優真が拳で地面を叩きつけていた瞬間を見て、まるで花火でも上がったかのような轟音が響いたのだから。

俺を殺す気か!? どう見たって普通のパンチじゃないだろが今の!

安心していい。死にはしない。キミが望んでいたのはこういうのだろ?

ポタポタと落ちる血。
優真の手は酷く荒んに皮がめくれていた。

ははは、お前イカれてるぜ!

そんな大けがを負ってなお平然な顔をしている様子に、はたしてイカれていると言わずなんて言うのだろうか。

今ので分かったぜ。やっぱりお前は俺より強い。なにより、人を傷つけることに躊躇いすらねぇ

初めてを経験する時、人は何らかの躊躇いをする。
例えば面接を受ける時とか、知らない外国人に話しかける時とか、そう状況に対面した素人は緊張し、逡巡する。

そして、その経験を一度二度経験したところで慣れるものじゃない。
だから、優真が躊躇いなく鉄平を病院送りにしようとした言動は異常であり、故にイカれているという表現は正しい。

つまりはそういう言動に慣れているんだということになってしまうのだ。

まぁこの際お前が何者でも構わん。今は喧嘩を楽しもうぜ!

楽しいの? 俺はあんまり荒事が好きじゃないからご免だね

今さらそんなこと言ったところで説得力ねぇよ

さて、お喋りはここまでにしよう。もうじき生徒達が登校してくる時間帯だ。

楽しい時間っていうのはあっという間だ。残念だぜ

来いッ!

優真ぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!

鉄平の拳が優真の顔面に襲う。
その威力は素人が受けたらひとたまりもない。
しかし、それでも優真の敵じゃなかった。

両手でガードをしてその拳を受け止める。
すると優真は言った。

何をしている。何故攻撃を止める。もっと責めて来い。キミの実力はそんなもんじゃないだろ!

く……!

まるで子と大人。
圧倒的な強さの前に、鉄平は手も足もでない。
やがて疲れを見せ始めて、連撃の勢いはなくなり、優真はしおどきかと悟った。

楽しかったかい?

屈辱だ……まさかここまで実力の差があったのかよ

それは悪いことをした

そんな可愛そうなキミに更にプレゼントがあるんだ。貰ってほしい

空高く上がった踵は、鉄平の後頭部に直撃し、強く地面に叩き付ける。
容赦のない一撃。躊躇いのない技。
そうして彼はノックダウンした。

ふぅ、疲れた

優真は携帯を手に取る。
すぐさま知人に電話を掛けた。

はい、アクセラです

おはようございます。すぐ出られるなんて、宇佐美さんは早起きなんですね

時間は貴重ですので。それでご用件は?

彼女と優真は仕事柄の仲だ。
便利屋という生業は、例えば、依頼主の大切な荷物を運んだり、追手からの護衛だったり。
時には死体なんかを隠したり。

とにかく、金さえ払えば何でもするとのことらしい。
そんな便利な人を利用しない訳がなかった。

うん、依頼を頼みたいんだ。ちょっと待って、写真を送る

この男は?

送ったのは鉄平が写っている写真。
当然、アクセラが知るわけがなかった

憐桜学園の屋上で彼が気絶している。人目に付かないよう回収して病院に届けてほしい。そうだな、目撃者は俺だと広めてくれ

わかった、要件はそれだけか

うん

プツンと電話が切れた。
相変わらず冷たいなと思いながら携帯を眺める。

さて、と

本番はこれからだ。
これから忙しいことが待ちうけている。
失敗する訳にはいかない。
それは部活が無くなることを意味するから。

優真は次の相手に電話を掛けた。
しかし、コールは長く続き、相手が電話に出ることがしばらくかかった。

初めまして、突然の電話に出ていただきありがとうございます。実はあなた様にお話がありまして―――

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