平成28年度診療報酬改定により、かかりつけ薬剤師制度が開始し、患者に「かかりつけ薬剤師」として選ばれると算定が取れるようになった。
薬局経営者は患者をどうやって囲い込むかを考えた。

多くの薬局では、内装、外装をすべて改装し、居心地の良い空間を作り集客しようとした。

薬剤師も「かかりつけ薬剤師」に選んでもらおうと考え、見た目の印象を少しでも良くするために、プチ整形をする者も出てきた。

ここ、「クローバー薬局みなとみらい店」でも、店舗をリニューアルし、かかりつけ患者を一人でも増やそうとしていた。
薬剤師は続々と指名を獲得していったが、一人だけ指名を取れない薬剤師がいた。

はぁ…。

どうしたの?
朝からため息ついちゃって。

休憩室の壁にはかかりつけ「薬剤師指名件数表」が貼られてある。
入社した順に上から名前が記載されており、名前の横には赤い●シールが貼られていて「指名」を表している。

今年で入社4年目になる朝倉春香の名前は下から2番目に記載されている。

久美子先輩・・・。

春香、あなたまだ指名取れないの?

はい…。

あなた今年ももう8月よ?
同期の相田も横松も指名とってるじゃない?

久美子の指差した「薬剤師指名件数表」の先は、春香と同期入社した3人の名前がある。
あいうえお順で、上から「相田」「朝倉」「横松」とかかれている。
相田は若手にもかかわらず、シールが列をなしている。
しかも、7月にはシールが6枚貼られ、月間mvpを示す金色王冠シールがその上に貼られている。
その下の横松も奥田を追うように、8月のかかりつけ患者件数が急上昇しており、月間MVPを取る勢いだ。

間に挟まれた朝倉春香の名前の横にシールは一枚もなく、上下に挟まれた分余計に惨めに見える。

春香、どうして指名取れないの?

わかりません…。

あなた、知ってると思うけど、うちの会社厳しいから、半年指名とれないボーナスないわよ?

クローバー薬局のボーナスは9月と4月に支払われる。
上半期と下半期の「かかりつけ患者数」の結果を反映し、ボーナスとして支払われるのだ。

それに、一年指名取れなかったら、どうなるかわかってるの?

・・・。

クビよ。

はい…。

あなたこのままだとマズいわよ。

でも、私どうしたら良いかわからなくて・・・。

春香…。

・・・。

あなたの得意な分野って何?

得意な分野、ですか?

そうよ、何か得意な分野はないの?
糖尿病とか、呼吸器疾患とか。

・・・。

・・・。

ありません。

無いの!?

はい…。思いつきません。

すっかり自信を失っていた春香に自分の良いところなんて思いつかなかった。

じゃあ、あなたのできる事って何?

できる事…。

・・・。

・・・。

あなた、3年間何やっていたのよ。

・・・。

わかったわ。

春香、今週は目の前の患者に100%の力をぶつけなさい!
いい?100%よ!

は、はい…。

そういうと、久美子は颯爽と休憩室を出ていった。

わたし、このままクビになっちゃうのかぁ…。
久美子先輩は100%の力でやれって言ってたけど、一体何をやればいいんだろう。

クローバー薬局は、創立10年と、薬局業界では新しい会社だ。
しかし、たった10年で売り上げ業界4位までのし上がってきた。
その方法は徹底的な効率化と社内における激しい競争にある。

総店舗数は100を超すが、売り上げ下位5%店舗は一年以内に閉店させ、指名の取れない薬剤師は減給させ、一年指名が取れなければクビを切る。
徹底的にダメなものは排除。
その代わり、できる者にはしっかり評価をする。
「かかりつけ薬剤師」の算定件数もその評価項目の一つだ。

かかりつけ薬剤師算定は一人につき70点、つまり700円が支払い基金より薬局に支払われる。
その算定が開始となった時、薬剤師へのキックバックについても議論された。
そもそもキックバックなんて不要とする会社も多かった。キックバックするにしても、会社に50%本人に50%、金額にすると350円までが限界ではないかと言われた。

しかし、クローバー薬局は、かかりつけ患者一人あたり、算定を大きく上回る2,000円という異常とも言える数字を提示したのだ。

1人のかかりつけ患者を持つ事で、2000円、10人で2万円、20人で4万円のキックバックが入る。
さらに、ボーナスはかかりつけ薬剤師の人数×20,000円だ。

これを狙って多くの薬剤師が入社をしてきた。
春香もその一人だ。
しかし、多くの薬剤師が入社した後、クローバー薬局の算定要件3か条が発表された。

クローバー薬局「かかりつけ薬剤師3か条」
・患者の年齢、性別、連絡先、薬歴、受診病院、病歴を即座に言える。
・患者の性格、家族構成、社会的背景を言える。
・24時間笑顔で対応できる。
この3か条だ。

患者から同意を得ても、その後所属長より試験があり、それをクリアしないと算定はできない。
ただ、指名だけもらえればよいというものではないのだ。

クローバー薬局の経営方針は批難される事も多いが、これがなければ業界4位まで急成長する事はできなかった。
春香もこの出来高給料制と、経営方針を理解して入社したはずであった。
しかし今、春香の指名は、ゼロである。

9時になると、いつものように業務が始まる。
病院の受診を終えた患者が、ぞくぞくと処方箋を持って薬局にやってくる。

おーい、風邪薬頼むよ!

誰か行ける〜?

春香、あなた行きなさい。

は、はい…。

風邪薬の服薬指導は誰もやりたがらない。
なぜなら、風邪薬をもらいに来る患者はその場限りの来局の事が多く、ほとんど指名が取れないからだ。

また、ベテラン薬剤師はたいていの場合、指名患者の服薬指導に出払っている事が多く、風邪薬の指導に入れない状況もある。
そのため、風邪薬の指導は若手に回されることがほとんどだ。

はぁ、また風邪薬かぁ。

春香、あなた風邪薬をバカにしてるの?

え?そんなことは…。

これも大事な仕事よ。
全力でやりなさい。

はい…。

あなた、風邪薬で指名取れないと思ってるの?

・・・。

この患者さん、あそこに座っている人よね。

久美子の視線の先には、日焼けした小太りの男性が座っている。

あれ?あの人…。

春香にはその顔になんとなく見覚えがあった。

あの体型なら、必ず併用薬があるわ。
今回は無理かもしれないけど、次来た時には指名がとれるわ。
チャンスよ!

そう言って、久美子は春香の背中をポンと叩いた。
それに押し出されるように、春香は投薬カウンターまでゆっくりと進み、患者の名前を呼ぶ。

岡昌司さーん。

おぉ!

小太りの中年男性は右手を上げて、春香の元まで近寄ってくる。

やっぱり春香ちゃんじゃねぇか。

え?えっと…。

春香が思い出せずにいると、小太りの中年男性は、続けて言った。

俺だよ、お菓子おじちゃんだよ。

あっ!お菓子おじちゃん!!

お菓子おじちゃんというのは、春香が幼稚園の時につけたあだ名だ。
岡は、春香の叔父にあたる。
「岡昌司さん」と春香の父が紹介したときに、春香が「お菓子おじさん」と聞き間違えたため、そのまま「お菓子おじさん」と言われたままだ。
春香の父とは本当に仲良く、同じ会社に勤めているうえ、近所に住んでいたため、家族ぐるみで付き合っていた。

春香がすぐに思い出せなかったのは、最後に会ったのが10年前になるからだ。

春香ちゃん、大きくなったねぇ。

おじさん…。ご無沙汰しています。

ご無沙汰だねぇ。
あっ、春香ちゃんお菓子あげるよ。

岡のカバンから出てきたのは、最近めったに見ることのなくなった、昔懐かしいお菓子だ。お菓子おじちゃんは、いつもあだ名のとおり、お菓子をくれたことを春香は思い出した。

ありがとうございます。
あっ、エリンギの森だ!

春香ちゃん、これ好きだったよね〜。

私、これ大好きなんです!
覚えててくれたんですね。
でも、これ・・・。

エリンギの森のパッケージには、英語と中国語で文字が記載されている。

シンガポールで売っているやつだ。
もう、日本じゃほとんど売ってないだろう?
いやぁ、懐かしいなぁ。

おじちゃん、いつ帰ってきたんですか?

先週帰ってきたばっかり。
シンガポールは熱いね。いろんな意味で。
ちょっとの出張のつもりで行ったんだけどさ、結局10年も暮らしちゃったよ。

やっぱさぁ、シンガポールが、アジアの中心になっちゃってるんだよ。
日本がいかに世界に相手にされてないかってのを痛感するね。
それでさ、なんのためにシンガポール行ったかっていうと、この「エリンギの森」売ってたわけ。
って、お父さんから聞いて知ってたよね。

春香の父は元禄製菓の医療部門で抗生剤の研究をしている。岡は春香の叔父で、元禄製菓の製菓部門の営業マンだ。

エリンギの森って日本じゃ全然売れなかったじゃん?

でも、私は好きですよ。

そう、そう!
ほんと売れなくて困ってたんだけど、春香ちゃんが好きだった事を思い出してさ。
そうだ、見てよ!このキャラ。

そう言って、岡はエリンギの森の形に目をつけただけのキャラがついたボールペンを春香に差し出した。

これ・・・。

かわいくねぇだろ?
これが、なぜかウケたんだよ。
わかんねぇよな。

あの・・・

でも、このキャラのおかげで、エリンギの森が流行っちゃったから、そのまま売ってろって言われて、シンガポールに10年だよ。
まいっちゃうよなぁ。

あのね、おじちゃん。

えっ?なんだい?

あの、今日はどうされたんですか?

あっ、そうそう、昨日から熱出ちゃってさ。バカは風邪ひかないと思ったけど、風邪って誰でもひくものなんだな。

あはは。

それでな、

おじちゃん、お話聞きたいのはやまやまなんだけど、そろそろ薬の説明しても良い?

おう、そうだったな。
薬をもらいに来たんだから説明してもらわなきゃな。頼むよ、先生。

今日出てるのがPL顆粒っていう薬で総合風邪薬。
それと、これがカロナールっていう解熱剤。
あれ?PL顆粒とカロナールが一緒に出てる。

それじゃいけないのかい?

絶対ダメってわけじゃないんだけどね。
あっ、ちょっと待って。
おじちゃん、熱は何度だった?

昨日の夜は38.5度まででたけど、病院で測ったら37.5度まで下がってたよ。

そっか、じゃぁカロナールは必要ないかな。
この二つのお薬はアセトアミノフェンっていう成分が入ってるの。
あっ、それとお薬手帳持ってる?

持ってるよ。ほら。
一昨日、腰痛くて病院かかったんだ。その時の薬だけだよ。
飲み合わせ大丈夫かい、先生?

トラムセットかぁ。

あぁ、腰痛くてな。

そっか。
おじちゃん他にトラムセットって薬飲んでるでしょ?
今日のPL顆粒もカロナールも、アセトアミノフェンっていう同じ成分が入っててね、重複しちゃうんだ。
だから、薬変えてもらおうと思うんだけど、良いかな?

おぅ、先生の言うことは何でも聞くぜ。

じゃぁ、ちょっと待っててね。
先生に電話で確認してくる。

お世話になります。
クローバー薬局の朝倉春香です。
本日おかかりの、岡昌司さまなのですが、先日、受診しておりまして、その時よりトラムセットを内服しております。

え?うちの病院?

そうです。

あっ、本当だ。
全然見てなかったよ。
えっと・・・。
じゃぁ、今日の薬やめて、「ナイキサン」を3錠分3で7日分に変更しておいて。
熱下がったら飲まなくていいから。
よろしく。

はい、わかりました。

おじちゃん、薬かわったからやり直してくるね。

おう。

おじちゃん、お待たせ。
「ナイキサン」って薬に変わったよ。
これは、腰痛の痛み止めと作用が違うから、大丈夫。

おぅ、わかった。
春香ちゃん、さすがだね。

それとね、熱が下がったら飲まなくていいって言ってたよ。

そうか。わかったよ。サンキューな。しかし、春香ちゃん大したもんだよ。

いえ、これくらいみんなやってる事ですよ。

ところで、このかかりつけ薬剤師ってなんだい?

岡は薬局内に貼ってあった、かかりつけ薬剤師を推進するポスターを指さして言った。

かかりつけ薬剤師っていうのは、患者さんの担当にならせてもらって、お薬の事なら24時間・365日責任を持ちますよって事です。

ヘぇ〜。じゃあ、春香ちゃん、俺のかかりつけ薬剤師になってくんねぇかな?

えっ?えっ!?

ダメなのか?
この前行った薬局の薬剤師さん、いっちゃ悪けど、イマイチでさぁ。
それを春香ちゃんのお父さんに話したら、ここ紹介してくれたんだよ。

そうだったんですか。
わざわざ、来てくれてありがとうございます。
ぜひ、おじちゃんのかかりつけ薬剤師にならせてください!

いやいや、お願いするのはこっちの方だからよ〜。
頼むよ、先生。

はいっ!
でも、そのためにはちょっとした問診票みたいのにいろいろ書いてもらわなきゃいけないの。
おじちゃん頼んでもいい?

もちろん。

じゃぁ、これに必要事項を記入してね。

おぅ。

よし、書けた。
これで良いか?

うん。ありがとう。

これからよろしく頼むよ。
じゃあ、また来るな。
あぁ、体痛ぇ。

岡はそう言うと腰を押さえながら薬局を出て行った。

1週間後、岡はタルセバという抗がん剤が記載された処方箋を持参し来局した。

つづく。

かかりつけ薬剤師物語第1話 初めてのかかりつけ患者

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