酷くかび臭い匂いが鼻を突き、目を覚ます。いつもなら、見慣れた自分の部屋が目に入るはずだった。
・・・しかし、そこは全く見覚えのない場所であり、また、異様な場所だった。


というのは、視界を埋め尽くすおびただしい量の本、本、本・・・どんなに見上げてもてっぺんが見えない無数の本棚には、今まで見たことのないような数の本が、隙間なく収まっていた。
今の人類の技術では到底なせる業ではない。

そして、その場所をさらに異様なものにしていたのは、先ほどより目の前に立っている、笑い顔のような仮面を被った男だった。
全身黒づくめの長身ーー白いところと言えば、燕尾服の襟元から覗くシャツと手袋だけだろうーー、手袋をはめた手には、薄暗く光を発するカンテラが引っかかるようにして、ゆらゆらと揺れていた。

×××

おやおや、こんなところに人間とは・・・どこから入って来たのです?

×××

ここは華緒須学園の書庫・・・そのもっと奥にある、「禁書」を保管する書庫です。

×××

・・・・・・ほう、気がついたらここに居た、と・・・。

×××

なるほどなるほど、そうでしたか!
なかなか面白い冗談ですね!!

×××

そんな顔しないでくださいよ!
ジョークですよジョーク!!

×××

ふむ・・・でもしかし、ここで会ったのも何かの縁でしょう。

×××

普段入ることのできない禁書庫に来たわけですし・・・何か面白いお話でもして差し上げましょう!

×××

何がいいですかねえ・・・そもそも禁書というのは・・・はい?私の名前、ですか?

ベリアル

いや申し訳ない・・・申し遅れました、私、この禁書庫の管理をしております、ベリアルと申します。以後お見知りおきを・・・

ベリアル

・・・さて、まず禁書についてですが・・・

ベリアル

禁書とは、現在に至るまでに人間の歴史家や思想化によって改変させられた歴史、神話・・・

ベリアル

それらの、闇に屠られた真実が書かれたものです。

ベリアル

・・・実感がわかない?
まあ、そうでしょうね。あなたにとっては、伝えられたことのみが真実ですから。

ベリアル

・・・そうですね。
では、一つ例を出しましょうか。

ベリアル

ふむ・・・これ・・・いやでもこっちの方が・・・おや、これは・・・

ベリアル

ふふふ、ちょうどいいものを見つけましたよ?
あなたも知っているのではないでしょうか。

ベリアル

「天界戦争」・・・かつて神に最も愛された天使が起こした、最悪の大戦です。

・・・そもそも、堕天使ルシファーには、この天界戦争以外の堕天理由があることをご存知でしょうか?

それは、「人間に知識を与えた代償」
・・・いやぁ、泣けますねぇ・・・自らを犠牲に、人間の繁栄を願うなんて・・・

そして実に・・・愚かでございます。

いや、すみませんね。
すぐに終わりの来る種族に、何故そんな肩入れをしたのか。という意味であって、決してあなた方が知識を得るに値しない種族であるという意味ではないのですよ。

ただ・・・それが発端でこの大戦は起こったのですよ。

ただの土塊にうつつを抜かしたのは、神だけではないのです・・・

ねえ、ミカエル。お前はーー

赤く染まる空が、俺は好きだった。
天気がいい日は、特に。

この時間になると、忙しい主さえも引っ張って、第七天の展望エリアに向かうものであった。

空の赤が紫に変わって、やがてちらほらと星が輝き始める。
辺りが真っ暗になるころには、そこに一面の星が広がっていた。

その中の、一際明るい星。それが、俺たちの星だった。俺は、それが一番きれいに見ることができる、この時間が大好きだった。

本当は、その星が俺の星になるまで、もっと時間があった。でも・・・

光の消えかけた自分の星なんて、見たくなかったのだ。

ヤーウェ

・・・ルシフェル、今日呼ばれた理由、わかっているな?

ルシフェル

・・・・・・・・理解しがたいですが。

ヤーウェ

これはまた・・・随分反抗的になったもんだ・・・

ヤーウェ

まあ、あんなことすれば・・・さすがのルシフェルでも・・・だが・・・

ヤーウェ

彼らのことを考えた上での行動だったんだろう・・・だが、あの知識はまだ彼らには早すぎたんだ。

ヤーウェ

頭のいいお前なら、考えればすぐにわかることだっただろう?

ルシフェル

ええ、そうでしたね。確かに、あの選択は軽率だったと思います・・・でも。

ルシフェル

それは私の過ちであって、彼女の過ちではなかったはずです!
どうして、どうして彼女を殺したのですか!!

ヤーウェ

・・・ルシフェル、エグリゴリの事件を覚えているな?

ルシフェル

ええ、もちろん。
酷い事件でしたからね・・・ですが、それが何か?

ヤーウェ

なら、わかるはずだ。
お前があのようになってしまう事を危惧しての処置だ。

ルシフェル

私が、あいつらのように・・・?

ルシフェル

・・・・・・・

ルシフェル

主、それは私が堕天することを危惧して、ということでしょうか?

ヤーウェ

ああ、そういうことになるな。

ルシフェル

そうですか・・・

ルシフェル

では主、何故エグリゴリの時は今回のような処置を下さなかったのです?

ヤーウェ

そ、それは・・・

ルシフェル

おかしいですよね?
今回、私の心が少しでも人間の方に傾いていたとしましょう。いえ、傾いていたのでしょう。
あなたはそれを察知して今回このような処置を施した・・・

ルシフェル

もしそうなら・・・たった一人の心の傾きに気付けていたのなら、エグリゴリの時にわからなかったはずがないでしょう?
だってあの時の方が確実に数も時間も多かったのだから!!

ルシフェル

なのに・・・あなたはあの時、それを見逃し、挙句集団堕天という、言ってしまえば暴挙に出た・・・

ルシフェル

何故です、主。何故、私が堕天するまで放っておかなかったのです?
私とエグリゴリの天使たちに、どんな違いがあったというのです?

ヤーウェ

・・・・・・

ヤーウェ

ああ・・・違うよ。根本から違う。

ヤーウェ

ルシフェル。私が初めて創った三人の天使・・・忘れてはいないね?

ルシフェル

ええ、もちろん。
ミカエル、私、そして・・・

ルシフェル

・・・・・・ベリアル。

ヤーウェ

その通り。そして今、その中で天界に残っている天使はお前とミカエルだけだ。

ルシフェル

・・・・・・そうですね。

ヤーウェ

いわばお前たちは、ベリアルも含め、私の初めての子どもたちなんだ。

ヤーウェ

ベリアルが堕天したとき、私は酷く心を痛めた・・・彼を止めるために、兄弟同然だったお前たちを戦わせなければいけなかったことにも・・・

ヤーウェ

また、今回も同じようなことになってしまったら・・・そんなのは嫌なんだ。

ルシフェル

主・・・

ヤーウェ

わかってくれるかい、ルシフェル。
私はお前たちを平等に愛している。しかし、

ヤーウェ

お前は「特別」な。

ルシフェル

は・・・はあ・・・?

ヤーウェ

お前は最初に創った三人の中で、最もうまく出来たんだ。容姿も一番美しく、能力も飛び抜けて高い・・・おまけに、忠誠心も。

ルシフェル

・・・・・・

ヤーウェ

その忠誠心の高さのせいで、ほとんど迷いなくベリアルの翼を切り落としたときは、正直肝を冷やしたがな・・・

ヤーウェ

だが、神の右腕としてなら申し分ない。
お前は、私たちにはなくてはならない存在だ。

ヤーウェ

こんなところで、人間や魔族たちに奪われては、たまらない存在なんだ。

ルシフェル

・・・・・・そう、ですか・・・

ヤーウェ

ああ、だからこれからも誇りをもって――

ルシフェル

優れた容姿、飛び抜けて高い能力、忠誠心・・・考えたこともなかった・・・私は、普通ではないのか・・・?

ルシフェル

それをもってしての神の右腕なんて、まるで・・・

・・・操り人形(コマ)のようじゃないか

ルシフェル

やあ、ミカエル。
来ると思ってたよ。

ミカエル

ルシフェル・・・どうして・・・!

ミカエル

もう、こんなのは嫌だと、言ってたじゃないか・・・!
あれは嘘だったのか?それとも・・・!!

ルシフェル

嘘じゃないさ。今だって嫌だよ。私はお前を愛しているからね。

ミカエル

だったら!!

ルシフェル

だから、さ?
私と一緒に来てよ、ミカエル。

ミカエル

な、にを・・・

ルシフェル

あのベリアルだって、二人で倒したんだ。だから、神だってきっと倒せる。

ルシフェル

神は・・・あいつは私たちを勝手のいいコマとしてしか見ていないんだよ。

ルシフェル

優秀なものは手元に残し、そうでないものは切り捨てる・・・酷いものじゃないか。

ルシフェル

あいつが全てを平等に愛しているなんて嘘だ!
あんなの、愛なんかじゃない!!

ミカエル

ルシフェル・・・

ミカエル

ああ、もう、彼は・・・

ルシフェル

な、ミカエル。二人一緒なら、何だってできるハズだ・・・天使たちを守ることも、人間たちを愛することも・・・!

ミカエル

・・・狂ってる・・・

ルシフェル

ねえ、ミカエル。お前は、私の自慢の弟だ。
だから・・・わかるだろう?私の言いたいことが、私のやりたいことが・・・!

だから・・・

ベリアル

さて・・・これにて「天界戦争」ひとまず完結です。

ベリアル

・・・はい?肝心の天界戦争の内容について、一切触れられていない・・・ですって?

ベリアル

あはは!それも聞くつもりだったのですか、あなたは!!すべて話し終えるのに、一体何年かかると思っているのです?

ベリアル

今回だって、これでも色々端折ったのですよ?
それでこの長さなのです・・・プロローグと決戦前でこの長さですよ?

ベリアル

まあ、そんなに興味があるというのであれば、いっそここを私とあなたの愛の巣として、ゆっくりお茶でも飲みながら・・・あ、いいですかそうですか。

ベリアル

さて、ではそろそろお暇した方が・・・

ベリアル

・・・はい、ルシフェルが人間に与えた知識は何で、「彼女」とはだれか。エグリゴリの事件について詳しく・・・ですか・・・

ベリアル

そうですね・・・あなたがまたここに来る気があるのなら、そのときお話ししましょうか。

ベリアル

ただし、私がその禁書を見つけることができたら、ですがね!!

ベリアル

ああ、ハイハイわかりましたよ。ちゃんと探しておきますから。

ベリアル

・・・・・・は?私が堕天使・・・?

ベリアル

何を言っているんですか!私はただのしがない悪魔ですよ!!

ベリアル

同名の、全くの別人なのではないですか?

ベリアル

ミカエルとルシファーのように、そっくりな見た目をした天使と堕天使がいるなら、同名の堕天使と悪魔がいたっておかしくないではありませんか!いや本当に・・・

ベリアル

・・・・・・はあ、ごちゃごちゃうるさいですねぇ・・・そんなに詮索してると・・・

ベリアル

いつか身を滅ぼしますよ?

ベリアル

ふふ、冗談ですよ!
さあ、あなたのあるべき場所に帰りなさい。

ベリアル

ああ、また禁書に載っている話を聞きたくなったのなら、いらしてください。いつでも待っていますよ。

ベリアル

ほら、目を閉じて・・・

瞼に手が重ねられ、半ば強制的に目を閉じられる。
今まで感じていなかったはずの強い眠気が襲い掛かり、意識がだんだん薄れてくる・・・。

安らかにお休み、愛しい人の子よ

意識が途絶える前に聞こえたその声は、ベリアルのものではなく、どこか哀しさを感じさせる若い男の声だったーー。

目が覚めたらまったく知らない場所で不審な仮面男と二人きりだったなんて、とんだ悪夢ですね(笑)

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