そして時刻も進み、学校が終わって暫く。
学校を後にした鋼太郎は、雨に振られてどこぞの屋根を借りていた。
たまに真面目に登校したらコレだ。気持ちが良いくらいに晴れていた昼を思い出し、鋼太郎は気分を重く湿らせる。
……んで、本当に降るんだもんな
そして時刻も進み、学校が終わって暫く。
学校を後にした鋼太郎は、雨に振られてどこぞの屋根を借りていた。
たまに真面目に登校したらコレだ。気持ちが良いくらいに晴れていた昼を思い出し、鋼太郎は気分を重く湿らせる。
急いで何処かへ向かうという予定もなく、鋼太郎は街を眺めていた。
すると、街をゆく人々の流れが早く、多くの者が傘を持っていないことに気がつく。
どうやら、この雨は予定にないものだったらしい。それに気がつくと、鋼太郎は更に気分を暗鬱なものとした。
本当に自分が遅刻せずに登校したからだろうか。一瞬だけ、そんな気分になったからだ。
空を見上げると、雲は鋼太郎の気分のように重苦しい色をしていた。
雨は勢いも強く、暫く振り続けそうな空模様をしている。
折角バイトが休みだったのに、ツイてねぇなあ。友人を誘って遊びに行く予定が、誘うことさえも出来なかったことに、鋼太郎は溜息を吐く。
こりゃ暫く止みそうにねーな……仕方ない、濡れて帰るしかないか
だがここでこうしていても、既に見飽きてしまった光景が続くだけだ。
もしかすると道行く人々が傘を差し始めるかも知れないが、視界に彩りがあった所でそれが愉快な光景になるとは思えなかった。
意を決して、鋼太郎は雨の中を走る準備を固める。
だが──
おいおい……テメェここで何やってんだあ?
雨宿りに屋根を借りていた建物の中から、ガラの悪い男達がぞろぞろと出てくる。
この建物──今更だが、見ればゲームセンターだった──の持ち主には到底見えない。ここで屯していた『コロニー』の者達だろうと、鋼太郎は当たりを付ける。
うげー……面倒くさいことになりそうだな……
普段の鋼太郎ならば、あからさまに面倒くさそうな顔をしただろう。
鋼太郎がその表情を皮の下一枚に隠して、言葉を飲み込んだのは、友人である少女の影響だった。
いやー……そりゃまあ、雨宿り? みたいな……
このゲームセンターの持ち主でもなんでもない男達に返すには、その言葉は適切とまでいかなくとも、間違いとも言い切れないものだったろう。
聞かれた事に答えを返す。たったそれだけのやり取りだが──
なんだテメエ……生意気じゃねえか
男達にとってはそれでもなお、鋼太郎の態度が気に食わなかったらしい。
まるでこの建物が自分たちのモノだと思ってるみたいだ、と鋼太郎は嘆息する。事実その通りなのが、また救えない。
こりゃチョッピリ痛い目を見て貰わなきゃなあ?
その言葉は、まるで鋼太郎をこれから断罪するかのようだ。
ここにない正義を振りかざし、男達は鋼太郎を取り囲む。
……ああもう面倒臭え。やっぱりこうなるのかよ
こうなると、もう鋼太郎は思ったことを隠さなかった。
この街で『こう』なったら、後はどういう事が起きるか──悲しい事に、鋼太郎は知っている。
知っているから、割り切れる。それがきっと、鋼太郎がやよいになれない理由なのだろう。
もの分かりが良いじゃねぇか……それじゃ……死ねッ!
街の外の不良が、掛け声の様に使うそれでは無く。
男達は各々の『シンドローム』を発現させながら、本気で鋼太郎にその動詞を当てはめるべく襲いかかる。
いざこざがあれば、人死がある。それがここ──鳥海市だった。
──敵は三人。冷静にその数と戦力を分析しながら、鋼太郎はもう一つ溜息を吐き出す。
謎の病『シンドローム』。これについてはまだ二つの事しか分かっていない。そう述べた事があるが、これに補足しなければならないことがある。
それは──『町の外では』という一文である。
立証されていないという意味では、それは間違っていないのだが、街の人々──『シンドローム』罹患者達は、その経験則で街の外の者達よりもよほど多くのことを知っていた。
喧嘩とあればすぐ殺し合いに発展するのも、殺人が日常の一部として存在するのも、『経験則』として周知された事実が関係しているのだ。
『シンドローム』に罹患した者達は、特異な能力に目覚める他、その身体能力を爆発的に向上させる。
だがそれも勿論一定ではない。
どれくらい身体能力が向上するか、というのにはとある要素が関係している。
それは──『シンドロームウイルス』がどれだけ身体に巣食っているか。
身体の中にいる『シンドロームウイルス』が多ければ多いほど、罹患者の能力も、身体能力もその強度を増すのだ。
そしてそのウイルスの含有量は、後天的に増やすことが出来る。
その方法こそが『同族殺し』なのだ。
罹患者が死亡するとその身体も血液も、髪の毛一本残さず砂となり、風に吹かれて何処かへ消えていく。
だがその砂は、ただの砂ではない。
死亡した罹患者が変わる砂は──『シンドロームウイルス』の結晶なのだ。
宿主を失った『シンドロームウイルス』は、宿主の身体からあらゆるものを奪って、より優れたウイルス達に合流すべく移動を開始する。
そう──宿主を殺した罹患者の元へと、だ。
結果、罹患者を殺した罹患者の身体には更に多くのウイルスが住まうことになる。
『シンドローム』罹患者は、同じ境遇のものを殺せば殺すほど強くなるのだ。
このため、この街では殺人が当たり前のものとなっている。
それこそ、こんな些細なイチャモン付けから、殺し合いに発展するほどに。
中にはゲームのレベル上げ……程度の感覚で罹患者を殺して回るものも居るくらいだ。
『コロニー』の発足も、元はそのウイルスの習性が関係している。最初の『コロニー』は、罹患者が自衛の為に身を寄せ合って出来たものだ。
尤も、今では『罹患者狩り』をするコロニーが多く立ち上がってしまっているのは、皮肉な話であるが。
兎角。
この街で殺人が当たり前の事なのには、そういった背景がある。
ある種、それは生理現象と言っても良いかもしれない。競争本能がある人間にとって、明確に上を目指す手段があれば使わない手はないだろう。……そんな本能に負けたモノから身を守るためには──自分が『上』の存在になるしかないのだ。
かははっ! お前もエサになれやぁ!
だが、決して勘違いしてはいけない。
いくらネジ曲がった法則があるといっても、この世には決して覆せぬ不文律がある。
有史以前から受け継がれた、語るまでもない法則だ。
──弱肉強食。
弱い者は強い者に負ける。そんな当たり前は、この街でこそ当たり前に存在する。
……『刃』のシンドローム
己の『病』の名を呟く。その時既に鋼太郎の手には、紅い剣が握られていた。
鋼太郎に飛びかかる男の内一人が、何かに気付き、顔を恐怖に引きつらせる。
……言うまでもない、手遅れだ。
一閃。
赤より紅い血液の剣は、空気を切り分けるように、すらりと男達の胴を通過した。
──鋼太郎の『シンドローム』、刃血症。
それは、血液が『分子の結合を解除させる』性質を持つようになる病だ。
鋼太郎の身体を廻るうちはその血液は通常のものとなんら変わらない顔を持っている。だが一度鋼太郎の身体を出ると、その血液はあらゆるものを『切り開く』、水の凶器と化す。
分子さえも切り分けてゆくその血液は、あらゆる物質の硬度を無視して『通り抜ける』。水滴の形を持つのならば、鋭利な針のように。
そしてもしもそれが剣の形を持つのならば──
う……あああ……しに、がみ……
その血液は、空間さえも切り裂いてみせる。
生み出した空間の断裂は、剣の射程距離よりも遠くにいる男達の胴を捉えていた。
慣性から勢いに差が生じた上半身が、下半身からずるりと滑り落ちる。
防御不能。不可視の斬撃。
『刃血症』のステージ2は、血液を鋼太郎の意のままに操る能力だった。
現世の理を超えた幽世の斬撃は、血液が鋭利な剣の形を持って初めて顕現する。
──これが、『かけ離れた者』と称される者達の、『死神』の力だ。
……本能を人殺しの言い訳にするなら、相手選べよな。
それじゃ本能で相手を選べる動物以下だぜ。
鋼太郎が軽く剣を振るうと、その手から血液の剣は消えていた。
同時に、男達の身体が砂と化していく。
……男達の身体に巣食っていた『シンドロームウイルス』が、鋼太郎の持つウイルスの配下となるべく移動を開始しているのだ。
あーあ、嫌だねぇ。
結局『こう』なっちまう。
罹患者を殺せば、強くなれる。それはこの街の者ならばもう当たり前に知っていることだった。
シンドロームウイルスの数が罹患者の強さに結びつく以上、より強い者を倒した時のほうがその上がり幅は大きい。
それから言うとこの程度の罹患者を三人ばかり倒した所で、その恩恵は微々たるものだろう。
だが、鋼太郎はそれでもどこか自嘲的に、しかしはっきりと諦観のような表情を見せた。
……また一つ、彼の思う『普通』から──とある少女から、かけ離れてしまったから。
『ステージ2』の罹患者達は、その気になれば今すぐにでも歴史に名を刻む事を起こすことが出来る。
それが良いことか悪いことかは置いておくが、それほどの力を持つ者達だ。彼らが望めば、例えば金、例えば地位──大抵のものは今すぐ手に入ると言ってもいいだろう。
しかし彼らは、彼らだからこそ『普通』を手に入れることが出来ない。
強大な力を持つ彼らを倒して、その力を手に入れようとする者は少なくない。
常に狙われる彼らの平穏は、敵対者を倒すことでしか保てないのだ。
だがそうすれば、その力は更に強度を増していく。
強大な力を持っているからこそ、彼らは弱者であることが出来ないのだ。
狙われ続ける彼らは、生きている限り否応なしに強くなり続けていく。
──まるで、十字架を背負うように。
……フツーって、難しいな
ある種それは仕方がないと言える。言い換えれば──『普通』だ。しょうがないから、やって普通のこと。
ただしそれは、この街での話だ。
はは……なんてな。くだらねー。
……帰るか
雨の中、鋼太郎は歩き出した。その表情は、もう何時もの気だるげなものに戻っていたが──
空模様は、先程よりももっと暗く、重苦しさを増していた。