食事を終えたわたしたちは、予定通りに映画を見た。流行りの恋愛映画はどこか陳腐な結末で共感はできなかった。
けれど、陸や周囲にいた客の何人かは泣いていたようだったから、やっぱりわたしがおかしいのかもしれない。
そして――映画を終えたわたしたちは、遂に陸の家へと向かう。
食事を終えたわたしたちは、予定通りに映画を見た。流行りの恋愛映画はどこか陳腐な結末で共感はできなかった。
けれど、陸や周囲にいた客の何人かは泣いていたようだったから、やっぱりわたしがおかしいのかもしれない。
そして――映画を終えたわたしたちは、遂に陸の家へと向かう。
二人手を繋いで歩いて、まもなく陸が住むマンションに到着した。
見上げると二十階以上はあるだろうかと思った。そう、ちょうど、わたしが母と住んでいたのもこんなマンションだったような気がする。
多分母さんがいますけど、あまり気にしないで下さい。どうせ、夕方から出かけるって言ってたし
そんな、ご挨拶しなきゃ。付き合ってるんだもの
いや、なんか、恥ずかしくて
二人きりのエレベータの中、陸は気恥ずかしそうに視線を逸らした。
お父さまはいらっしゃらないの?
さあ、多分。あんまり帰ってこないんです。会社に泊まっていることが多いみたいで
陸の言葉は意外なものだった。
てっきり、あの男はこの家に入り浸っているものと思っていた。仕事というのは本当だったのか、それとも、他にも女がいるのか。
いや、それはないはず。あの男のいく先々は全て調べたのだから。
ただいまー
陸が持っていた鍵で玄関の扉を開ける。その声と音に反応したかのように、奥からパタパタとスリッパの音が聞こえた。
あら、お客さまなの? 陸
廊下からわたしたちを迎えた陸の母親は、息子から何も聞かされていなかったみたいだ。驚いたように目をぱちくりさせながらわたしを見、そして陸へと視線を移した。
父親の愛人――目の前の女のことは、以前から一方的に知っているが、間近で見るのは初めてだ。
ふわりと柔らかな雰囲気のある、見た目はおっとりした女。
どこか母と似ている、そう思ったのは気のせいではないかもしれない。
そう、部活の先輩
陸は少しぶっきらぼうに言った。
まあ、嘘ではない。
菅原紗己子です。お邪魔します
わたしは軽く頭を下げ、目の前の女を見た。正直言って、父がこの女にどんな風に話しているのかまでは分からない。
もしかしたら、父の娘だと気づくかも。
…………まあ、可愛らしい。どうぞあがって下さいな。たいしたおかまいもできませんが
一瞬、間があった、ような気がした。
けれど陸の母親はそれ以上何も言わず、陸の部屋へと向かうわたし達を微笑みながら見送っただけだった。
まるで絵に書いたような、優しい母親。
その実態は、ただの愛人に過ぎないというのに。
お母さまに言ってなかったの? 付き合ってるって
だって誰にも言わないって、先輩との約束だったから
……ああ、そっか。そうだったね、ごめん
陸の部屋は八畳くらいの、普通の部屋だった。きちんと整頓されていて、フローリングの床に物が落ちているなんてこともない。部屋のまん中に置かれた低いテーブルの前に腰を下ろしながら、わたしは自然と笑みをもらした。
そういえば、そんなことも言った。親にまで律儀に守ってくれているなんて、本当に可愛い。
一方で陸は、少し落ち着かない様子だった。初めて彼女を部屋にあげて、緊張しているのだろうか。そんなことはお構いなしに、わたしは陸の部屋を眺める。
初めて入る男の子の部屋は、当たり前だが、自分の部屋とは違う匂いがする。陸は男の子なのだと、今更ながらに思い出した自分に内心苦笑してしまう。
ゲームでもしますか?
沈黙に気を遣ったかのような陸の言葉に、わたしはゆっくりと首を振った。
もうすぐ終わる偽物の時間。それはすぐそばに迫っている。無知で愚かな可愛い弟は、その時どんな顔を見せてくれるだろう。
不思議だ。いつのまにか、息苦しさは小さな胸の痛みに変わっている。緊張している時に、こんな風に胸が痛むなんて知らなかった。
わたし、あれが見たいな。アルバム
チクチクとした正体不明の痛みに気づかないふりをしながら、わたしは本棚を指差した。
本や漫画が並べられる棚の中で、差し込まれるように無造作にアルバムが置かれている。
え? いいですけど、別に面白くなんかないですよ?
そう言いながらも、陸はアルバムを持ってきて、わたしの前で開いてくれる。
それは思った通り、幸せな家族の写真が詰まっていた。
七五三、入学式、運動会、家族旅行。
その中にわたしの父親と同じ顔をした男を見つける。
分かってはいたけど、自分の父が他の子供の父親のような顔をして写っているのはやはり気分のいいものではなかった。
これ、水泳の大会? 優勝したんだ、すごいね
家族写真の他に多かったのが、陸が水泳をやっていた時の写真だ。まだ幼い陸が優勝トロフィーを持ってはにかんでいる。
……可愛いな
わたしは、無意識に呟いた自分に気づかなかった。
せ、先輩!? 大丈夫ですか!?
え? 何が?
何って……
目の前で狼狽する陸を見た時、自分の顔に違和感を覚える。不思議に思って手を伸ばすと、触れた指が濡れていた。
あれ、わたし……変だな。ごめんね。なんでも、ないの……
泣いている? わたしが? 分からない。理由なんてない。
自分で自分に戸惑って、心配そうに覗きこむ陸から顔を背けた。
とりあえず落ち着かなきゃ……
こんなところで意味不明に泣いている場合じゃない。わたしは今から目の前の男を傷つけるために、そのためだけに、今までやってきたのに。
先輩、泣かないで
だけど、陸の言葉と共に、わたしは彼の方へと引き寄せられる。
ごめんなさい。俺が無神経でした、お母さんを亡くしたばかりだったのに
違うよ……違うから……
後ろから抱きすくめられた腕の中で、わたしは必死に言う。
同時に、遠くで玄関の扉が閉まる音が聞こえた。
好きです、先輩。お母さんの代わりにはなれないかもしれないけど、俺がそばにいます。これから先も、ずっと
……違うの。わたし
わたしは、あなたのことなんか好きじゃない。
だけどそれは、言葉にはならなかった。
陸の唇が、開きかけたわたしの口を塞いだからだ。
……っん
――それは今までで一番荒々しく、わたしの奥を揺らした。
何もかも、全部、忘れそうになる。
彼がわたしから奪ったものを、わたしの罪を。
し……なくん、待って
陸の手がわたしの胸へと伸びる、そこでようやくわたしは彼を制止した。
なに?
ダメだよ。これ以上は
俺じゃダメってことですか?
陸は少しショックを受けたように言った。
そんな彼から身体を離して、真っ直ぐに見据える。
何故か、嫌な汗をかいている。息苦しくて、胸が痛む。
……そうだよ
それでも、精一杯の笑みを浮かべた。
この失恋が、陸にとって一生の傷になるように。
わたしのことをずっと、忘れないように。
だって、わたしたち血の繋がった姉弟なんだもの
なんでも持ってるきみが、ずっと憎かった。
だからこれは、当然の報いなの。