それは過去の記憶。
それは過去の記憶。
1人の少女は、小さな小屋で震えていた。
まるで何かから怯えるように、両手を重ねて祈っている。
神様、神様……
怯え、怯えて、その者が近付いていることに少女は気付かない。
愛佳? どこにいるんだ?
神様、神様……
男の声はまだ遠いい、まだ少女の居場所がわかっていないようだった。
しかし、足音が次第に小屋にまで近づいていく。
少女は何度も祈っていた。
ここかな。愛佳、ここにいるんだろ?
ゆっくりとドアが開かれる。
ほーら、ここにいた
神様、神様……!
まったく、俺から逃げるなんて悪い子だ。躾が必要だな
男は強引に少女の髪を引っ張る。
さぁ帰ろう。ここはお前の部屋じゃない。俺の部屋に来るんだ。
いやッ! 離して! 痛い痛いよッ!
その痛みは誰のせいだ? お前が俺を困らせたから? なら痛いのはお前の責任じゃないか
ごめんなさいごめんなさいッ!もうしません!だから許して!
いいか愛佳。人間はいつだって愚かだ。同じ失敗を何度だって繰り返す。だからな、俺は別に謝ってほしくて愛佳にこんなことをしているんじゃない。学習してほしいから酷いことをするんだ
そういって優しく微笑む。しかし、その微笑みは少女にとって、悪魔のようないびつに歪んだ笑みに見えた。
さて、どんな罰を与えようか。爪剥ぎはこの前やったし、鎖でも付けてやるか
ケタケタ。
そんな汚い笑いを溢す。
少女の顔は、みるみると真っ青になっていった。
い、嫌……嫌嫌ッ! 嫌ぁぁぁあぁぁ!
どうしようもない現実。どんなに残酷な現実だとしても、逃げ出すことは不可能であり、だから受け入れるしかしかない。
今頃、兄も同じ苦痛な思いをしているに違いない。
現実は残酷だ。
過ちとは未来になってみなくては分かりようがない。
必然と、間違いは後から気付き、気付いた時の大抵がもう遅いのだ。
はたして、そんな現実を残酷と言わず何と言う。
少女に残されているのは、絶望と後悔。
誰か……!
助けてと叫んでも、助けられた覚えがない。
どうして? どうして誰も助けてくれないの?
やがて感情には悲しみが芽生え、憎悪が激しく渦巻く。
そう、少女が、人間を憎むことは時間の問題だった。
月が赤い……
ぽつりと愛佳は呟く。
過去の記憶。それは毎日のように思い出し、その度に思うのだった。
あの頃の自分はただ愚かなだけだった
赤い月も悪くない。明るいし、なにより綺麗だ。
ここに酒があれば、月を見ながら酒を味わうのは気持ちいかもしれない。
酒なんて飲んだことないけど。
兄様……
そろそろ自分の兄に会いたくなってきた。
戻るとしよう。あの生意気な女もきっと居ないに違いない。
そう思い、香りを辿ろうとした矢先―――
み~つけた。ヒヒッ
怪しげな男だった。物騒なことに、その目は今にも愛佳を殺そうとしている
はぁ……
なんだろう。ひょっとして自分には絡まれる体質でも持っているのだろうか。
なんて迷惑な体質なんだ。
みつけたって、私はあなたと知り合いになった覚えはないんですけど
ただならぬ気配に警戒する。
隠しているナイフはいつでも抜ける状態だった。
お前を占ってやろう
手に持っているのはトランプ。
男は目にも止まらない早さでシャッフルを始める。
やがて、一枚のカードをめくった。それを愛佳に見せる
カードは呪いさ。呪いであり、それは現実となる!
なんだかよく分からない言葉を吐く奴だ。
きっと頭にウジでも湧いているに違いない。
ヒヒッ
恍惚とした目でその紙を破った。
……ぃッ!
刹那、右の脚に激しい痛みが走る。
脛に打撃を負ったような生半可な痛みじゃない。
脚の骨が折れた痛みと等しい激痛だ。
立っていられなくなった愛佳は、その場で右の脚を庇うように押さえる。
何を……した……!
占いって言ってんだろ。それにしてもお前は運がいい。見ろ、選ばれたカードこれだからな。運が悪い奴だと、初っ端から心臓を当てる
それは絵だった。悪魔のような存在が、倒している人間の方脚を折れてはならない方向へと折っている。
カードに描かれているものは現実と共感覚する。足が折れたんならそう言うことだろう。せいぜいジョーカーを当てないことだな!
一体どうして何が起こっている。
状況を理解するにも、現実と掛け離れていて到底理解が追いつかない。
……カードと私が共感覚しているだと? ばかばかしい
俺のギフト、占い師は絶対だ
ギフト、そういえば吸血鬼もそんな言葉を言っていたような気がすると愛佳は思い出す。
吸血鬼だろうと占い師だろうとどうでもいい。お前は私を怒らした
ほほう! 怒ったか? それはいい。しかし聞かざるを得ないな。一体その脚で俺をどうするつもりだ!?
あまり調子に乗ってくれるなよ人間。たかが脚が折れた程度だ
そう、愛佳にとって脚が折れた程度。苦しみ貫いた過去があり、ゆえに立ち上がることになんの支障もない痛みだった。
死ね
立ち上がり、鋭いナイフで男に斬りかかる。
うおっ!?
しかし、危機一髪に避けられた。
嘘だろおい、……折れた脚で立てるのかよ。なんて凶暴な奴だ
あなただけには言われたくないんですが、死ぬ前に答えてください。どうして私を狙うんです?
おいおい、人を唐突に襲うことに理由なんて必要なのかよ。生憎さまお前が期待しているような答えはねぇよ
だがまぁ、敢えて答えを言うなら、自分の力が一体どの程度のものか確かめたいから、だろうな。ヒヒッ
ギフト。それが彼のいう力そのものなんだろう。
さてさて余談もここまでだ。存分に俺の実験対象として役に立ってくれよ!
カードシャッフルする。
当然、そんなスキを愛佳は見逃すはずもなかった。
……っ!
しかし、ナイフは空振りする。
目で捉えていた筈の男の姿がぼやけたせいだ。
ぼやけるどころか、男の姿が見えない。見えないどころか、視界が真っ黒。なにも見えてはいなかった。
残念、一歩遅かったな。おいおいどうした? フラフラだぞッ!
ぐっ……!
お腹を蹴られた。吹き飛ばされて、家の壁にぶつかる。胃からなにか出てくるものをなんとか耐えた。
案外お前は運が悪いのかもしれないな。一発で死ねるなら楽な方だが、苦しみながら死ぬのは辛い
愛佳が当てたカードは、悪魔が人間に対し、十字架に縛り、目隠しをしている様子だった。
傷を負わされていないカードを当てたのは幸い、否、男の言う通りじんわりといたぶられるのは苦しみ以外にない。
一種の拷問とも言える。
動けないか? 当然だろ、カードは呪いだ。呪いの通り人を操る。さぁ次だ。何が当たるか、ドキドキタイムの始まりだぜ!?
カードをシャッフルする。
男はカードめくった。それを確認して破る。
ぃッ……あぁぁぁぁぁぁぁッ!
堪えるような痛々しい叫びが辺りに響く。
カードに映す悪魔は、5本の包丁を人間の胴体に刺していた。
ケタケタ。
そんな愉快そうに笑う声が聞こえる。
さらにカードはシャッフルされた。
確認して破ると、愛佳は再び叫んだ。
地獄を味わうような光景。拷問のような光景。もしここに二人以外の人がいるならば、目を背けてしまうだろう。
それほど過激な光景だった。
しかし、愛佳は倒れない。身体が震え、寒気すら感じている。
それでも愛佳は倒れない。痛いながらも考えていた。
この男を殺す算段を。
そしてあることに気付く。
自分の身体から血は流れていない。カードの呪いとやらは、あくまでも感覚を与える程度。
血が流れていないなら、出血死することはない。
それはつまり、痛みさえ堪えればいいだけのこと。
愛佳はそれを気付けたことに不敵に嗤う。
ふふ、ふふふ……
あン?
ぺっ!
唾を男のくつに付けた。
……
男は唖然した。
恐怖の前に唾を付けられる余裕を見せたから。
それもそうだが、なにより、もうとっくに限界のはずのダメージを喰らって尚、余裕をみせる彼女の精神力に驚かされた。
何故泣いていない。どうして命乞いしない。
それらの疑問が、男をイラつかせた。
調子に乗るなよ……
男は愛佳の首を絞める。
呪い、十字架のカードのせいでそれすらも抵抗できない。
苦しめ、泣け、喚け、面白可笑しく笑う男だが、しかし、愛佳は嗤っていた。
首を絞めつけられていて尚嗤う。
まるで、今この状況を楽しんでいるかのように。
なんなんだよ、お前……
こんなのは異常だ。何かがおかしい。どうして余裕な態度でいられる。
お前には恐怖がないのかよ。……死ぬんだぞ?
誰が?
お前だよ! 余裕ぶっこんでるんじゃねーぞ!
なら試してみればいい。殺せるかどうか
ハッタリだ。そんな状態で一体何ができるんだ。お前は目が見えない。身動きすらできない。憐れに死ぬんだよ!
だから試してみろと言っている。いい加減うるさい奴だ。それとも口だけなのか?
……ろす……お前だけは絶対に殺す!?
カードをシャッフルする。
当てたカードは、今までとは違った。悪魔も人間もいない。
その代わり、チェンソーらしき道具が映していた。
それを破ると、男の手にソレが現れた。
これでお前をバラバラに裂いてやるよ!
どうしたものか。本当に洒落にならない代物がでた。あれでは本当に死んでしまう。
彼を激情させ、スキを作らせる算段だったが、もはや逆効果だったらいい。
首から上はなんとか動かせるようだ。ソレで私の身体を裂くのは自由だが、タダでは死ぬ気はない。あなたの首を噛み砕いてやる
やれるならやってみろよ!
エンジンが作動して、うるさい騒音が響く。
死。
そう、私はここで死ぬ。殺される。弱かったから殺される。ただそれだけの話。
兄様、ごめんなさい……
後悔といえば、死んでしまえばもう兄に会えないことだ。
それは悲しいことだし、悔しいこと。
責めてこの男を道連れにしようと、愛佳は覚悟を決める。
死ねッ!!
騒音が耳元まで近づいた。
終わる、決着する。そう思えた。
キーンと鳴り響く金属音。
チェンソーは弾かれ、重さと重力には抗えず男はよろける。
愛佳は目を疑った。
それは男も同じで、狼狽えるようにその者に指を指す。
お、お前、誰だッ!
剣が燃えていた。肌が熱を感じさせ、それは紛れもない本物だと証明できる。
聞いたことがあった。
剣を燃やすギフトを持った少女がいると。
燃やすだけではない。時には冷気を操り、時には雷をも操るという。
ギフト名、剣神。
桐里朱音という少女は、目の前に立っていた。
まったく、こんなところでドンパチしてんじゃないわよ。近所迷惑でしょうが! 少しは考えなさい!