初めてのキスは大好きなあの人と――なんて、人並みに乙女な夢に憧れていた。そんな幼き日を今ではすっかり懐かしく思う。
夢と現実、という言葉がある通り、やはり夢は夢でしかなかった。だからといって、初めて付き合った相手が血の繋がった弟だなんて、あの頃のわたしは想像もしなかっただろうけど。
とはいえ、あれから陸との交際は順調だ。何度かデートを重ね、これといった喧嘩もない。しかし、それは当然のこと。わたしはただ演じているだけなのだから。
初めてのキスは大好きなあの人と――なんて、人並みに乙女な夢に憧れていた。そんな幼き日を今ではすっかり懐かしく思う。
夢と現実、という言葉がある通り、やはり夢は夢でしかなかった。だからといって、初めて付き合った相手が血の繋がった弟だなんて、あの頃のわたしは想像もしなかっただろうけど。
とはいえ、あれから陸との交際は順調だ。何度かデートを重ね、これといった喧嘩もない。しかし、それは当然のこと。わたしはただ演じているだけなのだから。
わたしたちは偽りの絆を深めていく。全てが思い通り――上手く行きすぎて、怖いくらいだった。
ちょっと、紗己子! 私、すごいもの見ちゃったんだけど!
その日、泉は朝から異様にテンションが高かった。
ホームルームが始まる前に、今日の予習をするわたしの机にやって来て、興奮したように言った。
椎名くんって、天ちゃんと付き合ってるの?
声を落として、わたしの耳元で囁くような泉の言葉はそれなりに衝撃だった。
天ちゃんとは、旅行研究同好会の三人の一年生部員の一人――天童美咲の愛称だ。その彼女が、陸と付き合っている?
あまりにも馬鹿げた質問だ――わたしはそう思って、つい答えてしまった。
……そんなわけないでしょ
だよねぇ。椎名くんは紗己子が好きなんだと思ってたし
……それは、知らないけど
真顔で言った泉を冷静にかわす。未だに、陸と付き合っていることは周囲には秘密だった。
それで、何を見たの?
付き合っているのかと勘違いするほどのことだ――多少の予想はしていたけど。
それがね……キスしてたの! 校舎裏で!
……へえ
なんかショックだなぁ。私、椎名くんと紗己子がくっついたらいいなって思ってたのに
そんなんじゃないってば。弟みたいなものなんだよ
何度か繰り返した言い訳を無意識に口にしながら、衝撃の余韻がいつまでも消えない。
陸が――浮気?
まあでも……椎名くんって、同級生の間で人気あるらしいしね。告白されたら、付き合っちゃうのかもー
泉からもたらされた知らせは、授業が始まった後もいつまでもわたしの頭の中を支配した。
浮気なんて、あり得ない……と思う
そういう器用な男には見えないし、昨晩の電話でも普段通りだった。
彼は今も、わたしのことが好きなはず。
だけど、キスするなんて――外国人じゃないんだから、普通じゃない。もし、もしも本当に浮気だったら?
わたしは彼女として、どう振る舞うべきなのか。
もやもやとした感情が、ぐるぐると巡り続ける。
そんな思考の中に、わたしを呼ぶ声がした気がした。
……菅原さん、聞いていますか?
我に返って顔上げた時には、数学の教師の不機嫌な顔と、クラス中の好奇の目がわたしに向けられていた。
黒板には数学の問題。どうやら――たぶん、当てられている。
菅原さん? 体調が悪いの?
……いえ、大丈夫です
なら、前に出て問題を解いて下さい
視線を下に落とすと、ノートに書いた文字が途中で止まっている。一体いつからこの状態なのかも思い出せなかったが――仕方ない。
……はい
わたしは小さく返事をして、立ち上がった。途中、泉が心配そうにこちらを見ていたから、大丈夫と笑ってみせる。
予習をしていて良かったと、この時ほど思ったことはない。
無事に問題を解いて席に戻れば、一気に安堵感がやって来た。
一応、わたしは推薦も狙っている。
受験まではまだ一年以上あるとはいえ、手を抜くことはできない。
陸なんかに気をとられてしまうなんて。
わたしらしくもない……
とりあえず、何も知らないふりをしておけば良い。知らなければ、問いただす理由もない。
別にわたしは、陸のことが好きで付き合っているわけじゃないんだから。
彼がどこで誰と何をしていようと、気にすることじゃないんだから。
わたしはそこできっぱりと考えるのをやめた。
おかげでその後は、授業中に集中力を失うこともなく済んだのだけど――それも、放課後になるまでのことだった。
紗己子ごめん! 今日、部活行けなくなっちゃったの。先輩に伝えといてもらえる?
いいけど、どうしたの?
最近では日に日に暑くなり、夏休みも近くなってきた。
夏休みに行われる旅行は、旅行研究同好会最大のイベントといってもいい。泉とは、そのプランを一緒に考えるという約束をしていた。
委員会の仕事、今日までだったの忘れてたの。本当にごめんね
気にしないで
手を合わせて必死に謝る泉に微笑んで、わたしは一人で部室に向かった。
泉は今年度から美化委員会に入っている。
わたしはいつも忙しそうにしている泉を呑気に眺めているだけだったけど。
推薦を狙うなら委員会にでも入った方が良いのかな……
それか、生徒会活動とか。どうせ、暇な部活だし――時間ならある。
そんなことを考えなから部室の前に着いて、わたしはいつものように扉を開けた。
あっ! 菅原先輩、こんにちは!
瞬間――弾けるような笑顔がわたしを迎える。
……天童さん、早いね
陸のキスの相手が、そこにいた。