眠いわけではないのだ。




 ただ、どう時間を潰せばいいかわからないから、机に突っ伏して目を閉じてるだけなのだ。




 楽しそうなクラスメイトの雑談が耳の中に飛び込んでくる。




 楽しいはずの休み時間を、みんなはちゃんと楽しく過ごしている。





 一旦机にうつぶせてしまうと、チャイムが鳴るまで動けなくなる。


 目を閉じた暗闇状態で、なんの刺激も与えられない苦痛。





 変わりたい。

 充実した日々を過ごしたい。

 誰かと普通に遊びたい。

 あわよくば、彼女が欲しい。





 僕はいわゆる、ボッチというやつだった。


 それが数日前までの僕である。


ちょっと待ってろ

 今日から担任となった吉岡先生が、僕に向かってそう言った。




 だから僕は今、職員室の隅でつっ立っている。





 窓の外では枯葉がひらりと舞い落ちて、季節の変わり目を演出している。





 静かな風景を見ながらも、僕の心は落ち着かない。



 無意識に手足の指をモゾモゾ動かす。



 しばらく突っ立ってると、こそっと職員室のドアが開いた。



 ドアの隙間から、一人の男子生徒が僕に視線を向けている。





 その男子生徒は五秒ほど僕の顔を見た後、バタバタと走り去っていった。



 転校生を見に来たクラスの偵察隊かな。




「地味地味」




 手を左右に振りながら、クラスの皆に向かってそんなことを言っている彼の姿が目に浮かぶ。



 彼の足音を耳で送りながら、僕は深いため息をついた。

おう、待たせたな。
ほんじゃ、まぁ行くかぁ?

 吉岡先生が僕に声をかけた。




 もみあげと後ろ髪がちゅるっと丸まった天然パーマ。



 第三ボタンまでダルそうに空けたYシャツに、うなだれるようなやる気の感じない立ち方。


 年は三十代後半くらいかな。



 印象だけでいうと、あまり良い先生には見えない。

ついてこーい



 吉岡先生は僕のいるところとは反対側のドアから、のそりと職員室を出て行った。



 僕の方をろくに見もせず出て行ったので、少しおいてけぼりの形となる。


渡利昌也

マイペースな人だな。

 僕は急ぎ足で職員室を出て、吉岡先生を追った。




 前を歩く吉岡先生から二歩ほど離れて、黙って後ろをついていく。


 歩きながら、僕は転校前のことを思い返した。









 中学時代の友達とは高校でバラバラになった。

 だけど、友達なんて勝手にできるものだと思っていた。


 誰かに話しかける努力など一切しなかったんだ。



 気付けば、周りがワイワイ楽しそうにしている中で僕は完全に浮いた存在。


 僕の高校生活は最初からつまずいていたのである。









 僕はこの学校で変わる。



 引っ越す前。


 家族会議でお父さんの転勤を知らされた時から、ずっと心に誓ったことだった。



 自らの決意を復唱していると、胸の鼓動がどんどん膨れ上がってくる。





 緊張をごまかすため、僕は辺りを見渡した。
 廊下は色が抜け落ちたかのように真っ白だ。




 結構綺麗にしている。


 きっと、サボらずに掃除をする真面目な生徒が多いんだ。



 僕は少し安心した。



 右側に「アキオ」、左側に「ウ○コ」と書かれた相合傘の落書きを発見する。


 得たばかりの安心を僕に返してくれ。




 落書きから目を逸らし、今度は窓の外に広がっている中庭を見渡した。


 板でできた通路が芝生の間に渡してあり、その両サイドには等間隔で植木とベンチが配置されていた。




 おや?
 ここって高校の敷地内だよな。




 中庭でキャッキャとはしゃいでいる二人の子供がいる。




 少し距離があったので顔はよく見えない。


 一人は白いブラウスに紺のスカートを履いているので女の子。


 もう一人は、これまた白いシャツと紺のズボンを履いているから男の子かな。


 背丈は小学校の低学年くらいだ。


 まるで入学式みたいに小奇麗な格好をしている。


渡利昌也

あ……あの



 僕は、相変わらずダルそうに前を歩く吉岡先生に声をかけた。


ん?
なんだ?



 吉岡先生が僕の方を振り返る。

渡利昌也

この学校は敷地内に幼稚園でもあるんですか?

 吉岡先生は眠そうな目で僕をジーっと見て、口を半開きにした。



 何言ってんだコイツ……って顔だ。


渡利昌也

い……いや。
あそこで小さい子供たちが遊んでいるようだったので

 そう言って僕は子供たちがいた方向を指差した。

どこに?

 吉岡先生がめんどくさそうに言った。



 いない。



 さっきまでグルグルとベンチの周りを走り回っていた二人の子供が、いつの間にか消えていたのである。

渡利昌也

あれ?
さっきまでいたんですけど

 自分の目を弁護しつつ中庭を見渡したが、やっぱりどこにも見当たらない。

渡利昌也

いえ、なんでもないです

 僕がそう言うと、吉岡先生は頬を人差し指でかいた。


 そして再び無言で歩き出す。





まあいっか。


きっと校内に入り込んだ子供が、目を離した数秒のあいだにどこかへ行ったんだろう。



 僕はそう結論づけた。



 もうそろそろ教室へ着く頃合だろうか。



 僕は歩きながら自己紹介のイメージトレーニングを始めた。



 この学校で楽しい学園生活を過ごせるかは、最初の自己紹介にかかっている。


 なぜなら、最初に与えたイメージで自分の立ち位置が決まってくるからだ。




 僕の理想の自己紹介。

 それはオドオドせずに目立たなく、である。


 臆病な態度がよろしくないのは当然のことだが、かといって目立ちすぎはさらにダメ。


 ここで陽気に笑いでもとろうものなら、自分の本性とのギャップに耐えられず余計に喋れなくなってしまう。


 もっとも、笑いなんてとれませんけど……。






 うつむきながらイメージトレーニングを続けていると、吉岡先生がふいに足を止めた。


 そして吉岡先生は、そのまま流れるように教室のドアを開けて中へ入っていった。



 僕の頭上には、二年C組の表札がぶら下がっている。



 吉岡先生は中へ入ったあと、すぐさまドアをピシャリと閉めたので僕は廊下に取り残された。



ここで待ってろということなのか。


余計に緊張してしまう。



 優しさが足りない。

はいー、席につけー

 教室の中のザワつきに吉岡先生の声が覆いかぶさった。

今日はなんと、新しい仲間が遠路はるばるやってきましたよ。
張り切ってどうぞぉ

 吉岡先生が、古い歌番組の司会者のように言った。

どうした?
入ってこぉい

 この先生、嫌いだなぁ。


 そんなことを考えながら、教室のドアを開けて中へ入る。


 生徒たちが興味津々で僕を見る。




 僕は軽く会釈して、教壇前の吉岡先生に並んだ。

あぁー、ええー、あー

 吉岡先生はチョークで黒板に点を打った後、フリーズしたまま唸りだした。



 打った点を見るでもなく黒板に顔を向けたままだったが、突然、吉岡先生は僕にチョークを渡してきた。

自分で書いてちょ。その方が気持ち伝わるから

 先生……僕の名前忘れましたね。




 少し呆れてしまったが、おかげで緊張が緩和されたみたいだ。



 僕は黒板に『渡利昌也』と書いた後、皆の方へ向き直った。

渡利昌也

渡利昌也です。
熊本から来ました。趣味は漫画を読むことと、あと……絵を描くことです。
皆さん、よろしくお願いします

 とりあえず落ち着いた口調、柔らかな表情で言えたと思う。



 僕なりの無難な自己紹介を済ませて、軽くお辞儀をする。

はい、素晴らしい。
皆さん拍手

 吉岡先生のやる気ない声とこのセリフは、どうもカンに障る。

君の席は……あー、あれだ、あいつ

 吉岡先生は、中央の列の後ろから二番目に座っている男子生徒を指差した。




 職員室でこっそり僕を覗いていた男子生徒だっだ。


 人懐っこそうに軽く緩んだ目もと口もと。


 典型的なお調子者だということが顔面からにじみ出ている。

村上のとなりだ

アキオ

村山っス、先生

 思い出したように発した吉岡先生の言葉を、男子生徒が素早く訂正。


 今までどれだけ名前を間違えられたら、こんなに素早くツッコミができるのだろう。




 感心しながら、僕はそそくさと村山君のとなりの空席へ移動した。


 僕が席に着くと、村山君が気さくに声をかけてくれた。

アキオ

俺、村山アキオ。
よろしくな

 アキオ?


 もしかしてウ○コの彼氏さん?




 いきなり相合傘の落書きの人に会えるなんて、運命を感じずにはいられない。

渡利昌也

よろしく、村山君

 僕はおかしさと嬉しさにクスリと笑みをこぼしながら挨拶を返した。

アキオ

アキオでいいぜ

 村山君は既に友達として認めてくれたかのように言った。




 なかなかいい出だしだ。


 この学校でなら楽しくやっていけそうだと思った。

んじゃ、もういいか。
授業はじめるぞー

 吉岡先生はそう言って、そのまま授業に突入した。



 今日はいきなり吉岡先生の授業から始まるのか。




 まともな授業を行えるのか不安だったが、そこは仮にも先生だ。

 十分たった頃には、眠気を誘う素晴らしい授業を展開していった。





 僕は睡魔から逃れるように窓の外を眺めた。





 ふと、窓際の一番後ろの席に目がいった。





 その席には、一言で言うなら大人しそうな女子生徒が座っていた。




 ところどころ寝癖がかった長い髪が、顔の表情を隠している。


 さらに外から差し込む光を受けて、メガネが反射していた。





 僕は彼女のことがなんとなく気になった。



 休み時間になると、何名かの生徒が僕のところにやってきた。

渡利だっけ。熊本って都会なん?

どのへんに引っ越したんだ?

柔道に興味ねぇか?

 彼らが色々な質問をしてきた。


 心底嬉しかった。



 みんなの方から話しかけてくれるのは、やはり転校生の特権だろうか。








 始業ベルが鳴り響く。





 今まで時間を潰すのに苦労した休み時間が、あっという間に過ぎ去った。




 まだ休み時間のざわつきが収まらない中、僕は窓際最後尾の女子に目を向けた。





 彼女の周りには誰もいなかった。
 一人で黙々と、ノートになにかを書いている。



 彼女の雰囲気には見覚えが……身に覚えがあった。

 そうやってなにかを書いているか、寝たふりをするか。

 同類だからなのか、それとも単純に見た目からなのか。




 僕にはすぐに察しがついた。





 彼女もいわゆるボッチなのだ。





 僕は、彼女がどうにも他人には思えなくなった。


 だが、僕の方から彼女に対して何かをしてあげるような度胸も余裕もない。



 僕なんかじゃどうしようもないし、こういうことは自分で何とかするしかないんだ。





 僕はそう自分を納得させ、彼女から目を逸らした。



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