美皓

…………朝か……。

日が暮れた午後六時。
私にとってこの時刻が朝だ。

週休二日、24時間営業のドーナツ屋で、
22時から朝の6時までみっちり働くと、
人間はこうなる。

美皓

準備するかー……

中学校では一番の美少女だった。

高校生の頃は地域で一番の美少女になった。

大学では4年間で90人から告白された。

正直、顔だけであらゆる優遇を受けていたから、
人生は楽勝だった。

だけど私は今こうして、
決して他人が羨まない生活を送っている。

とにかく、男が嫌いだった。

そして、美人がちやほやされる世間も嫌いになった。

大好きな親友も嫉妬でどこかにいったし、


憧れだった先輩からは虐められるし。

男に評価されたからといって、
それがなにになるんだろう。
ローションまみれのこんにゃくを見るような目で見られても嫌悪感しかない。

美皓

何食べようかなぁ

だから、大学に入ってメイクもしなくなった。
それでも現状は変わらなかったわけだけど……。

美皓

まだストックがあるはずだし……ブタメンでいっか……

美皓

ほんっと、ブタメンさまさまだな

そんな世間がいやでいやで、
私は遂に引きこもったわけだけど。

両親は理解が出来ないと大激怒。
果ては勘当するしないの騒ぎまで。

美皓

飲み物は……おっまだ桃水残ってる

結局私は、
アルバイトの合格通知1つ手に、
東京の家から横浜に引っ越し、
このアパートで一人暮らしを始めた。

美皓

テレビ……は、

美皓

この時間そんなに面白くないんだよなぁ

何かが変わる香りなんてしない。



ただ惰性で、
日の沈む夕暮れに起き朝日が昇るまで働くだけ。




いつの間にか死んでるんだろうなぁ……
なんて、
磨りガラス越しに世界を見ていた。



そんな私の部屋の隣に、
新たな入居者が来るらしい。


駅からもコンビニからも遠い、
こんなアパートで暮らそうとおもうなんて、
どんな神経な持ち主だろうとうきうきしなくもない。

私が寝ている間に挨拶に来ていたらしく、
手紙が郵便受けに刺さっていたので目を通す。

『春から大学に通うので、
ここで一人暮らしをはじめました、
紀田 健太郎です。
これからよろしくお願いします。
お部屋にいるとき、改めてご挨拶に伺います』

とのこと。




ふーん、と。
文面はこれといってない程普通。

昨日持って帰ってきたドーナツとブタメン、桃水
――いわゆる、チーム安上がり――
を胃袋に詰め込み終わり、
テレビを見ながら歯磨きをしていると。

ひとりぼっちの夜21時。
そろそろバイトに行こうとした時、彼は突然訪れる。

板権佐さん、すみません、
隣に越してきた紀田ですっ

板権佐(いたごんざ)とは、
私が表札で使っている偽名だ。
一応犯罪対策。

ドア越しに自己紹介してくれた紀田青年を、
無視するのは流石に可哀想だと言葉を返す。

美皓

はーあい

夜分に突然すみません、
部屋の鍵を落としちゃったみたいで……
大家さんにも連絡つかないんです!

あの大家め。
またたらふく酒をあびてぐっすりか。

その……

言葉が詰まった。
いいよそんなところで詰まらせないで。

もう予想は簡単だ。

まだ大学も始まっておらず知り合いもいなければお金もない状況でして……

弱々しい割に、
はっきりと言葉は耳に入る。

この子、相当コミュニケーション上手い、
と、思う。

どうか一晩泊めていただけませんか?
もちろんお礼はしますし妙な真似はしません!
美味しいものをなんでも作ります!
料理だけは得意なんです!

美皓

んー

要求は予想通り。


正直、悩んだ。

いくら幼くて高くて優しそうな声をしていても、
これは男声だ。

が、しかし。

美皓

一生?

私は、美味しいモノに弱かった。
のでそんな風に、未だ開かないドアへ問いかけた。

えっ?
……わかりましたっ!
一生作ります!

ぱっと。
浮かび上がったであろう疑問を振り払い、
即答してみせた紀田青年。

美皓

よしきた

一応武器として、
玄関に置かれたゴルフのアイアンを握りしめ、
ドアノブを回す。

美皓

こんばんは

紀田

こんばんは! 初めまして!

健康的で柔らかい笑顔の紀田青年。
声から予想した顔と、そこまで違いはなかった。

美皓

それじゃあ……

美皓

身分証ちょうだい

紀田

わ、わかりました!

別に拒んでも部屋くらい貸すつもりだったけど、
紀田青年はまさかのまさか、
保険証を私に預けた。

顔写真はそっくりだし、
この年齢なら大学生でなんの問題も無い。

美皓

あはは……保険証……

預かったはいいけど、
絶対に落とさないようにしなくちゃ……

美皓

確かに預かりました。
私は今からバイトだから、
ソファの上とシャワー、
それとキッチンは好きに使って

紀田

えっ!
シャワーまで!
ありがとうございますっ!

困惑しながらも、
深々と頭を下げる紀田青年。

うん、大丈夫だ、弱そう。
なにかあったとしても勝てるだろう。

紀田

本当にありがとうございます
早速ですが、

そんなわけで、
私は出会ってしまった。
コミュニケーション能力と
男子力と
女子力を
限界値まで極振りした最強のお人好しと。

紀田

今晩は、何をつくりましょう?

今まで感じたことの無い、
純粋な瞳。

私は、小動物とか飼ってたらこんな感じなのかなー
なんて思っただけで、














この出会いをさして特別なものとは受け取っていなかった。











うっかりやな隣人がおかしたミスによる偶然。
その程度。














だけど、
人生なんて、
偶然の出会いが積み重なって奇跡へ繋がることを、
私はまだ知らない。










彼と、
彼を取り巻く、
不思議な若者達との出会いで、
私の人生は、
ささやかに、
ゆっくりと、
変えられていく。

紀田健太郎との出会い

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