神 斬
髪 切 り屋
神 斬
髪 切 り屋
弐の巻 東照 序章
『君がため、惜しからざりし、命さへ、長くもがなと、おもいけるかな』
百人一首 五十番 藤原義孝
この詩(うた)は、別の時空の
とある国の、百人一首とか言う和歌の五十番目に数えられている詩なのですが、現代語に簡単に訳させてもらいますと、あなたに会うためなら、惜しいと思わなかった命も、あなたと会うことができた、今はいつまでも生きていたい。という詩で人の出会いと命についての考察を、うたった詩なのです。
出会いと、生死観、この全く関係のなさそうな事柄に、係わる物語を書き記しているのが
今、わたくしが読んでいる
時周(じしゅう)という名の御仁が書き記した物語の、弐の巻というわけです。
ここに書かれているのは、人と人
いや、人と神の再会
そして新たなる神との出会い
そして、その者たちがおりなす、生死観のお話でございます。
えっ?やっぱり
いきなり怪しい事を話し出した
わたくしは誰かって?
わたくしの名は大山桜子、とは申しましても
これは、現代におけるわたくしの仮の名でございます。
本当の名前は、コノハナサクヤと申します。
わたくしは、この巻で語られる、不死(ふじ)と同じ音を持つ
霊峰富士にかかわる神であります。
それだけが、時周さんが、この巻の案内人をわたくしにさせた理由ですか?
ともかく、わたくしが、この物語の登場人物、いや、登場神物として出てくるのは、まだ先のお話でございます。
神 斬
髪 切 り屋
弐の巻 東照 に続く