第2話

小糠雨。


































































おはよう、フォグ

ピュィッ



フォグというのは
あの店で飼われているインコだ。

見た目はセキセイインコなのだが、
なぜか
オウムほどの大きさがある。









マスターは

食べ過ぎなのよ

と言うが、

本当にそれだけで
ここまで大きくなるものだろうか。





チチッ

ちょっと待っててね




バイトのある日は
こうしてフォグが迎えに来る。































雨が降る。

細かい、細かい、霧のような雨が。



目に見えない雨は
傘など必要ないように思えるけれど

いつの間にか
じっとりと服を濡らしてしまう。





こんな雨の日まで
迎えに来なくていいのに




傘の下から
私はフォグに話しかける。








白地に金と萌黄で花が描かれた傘は
蘆屋が見立てたもの。


思い出してしまうから
捨ててしまおうと思ったけれど

傘というのは
簡単に置き忘れてしまうくせに
捨てようと思うと捨てにくい。

……


未練がましい、と
もったいない、と
しかたがない、が入り混じったまま

私はその傘を使い続けている。




フォグはそんな私など
気にもとめない様子で

傘の中に入ったり
また外に出たりしながら

くるり、くるり、と舞う。

これでも降ってるのよ?

羽根が濡れてしまうでしょ?





鳥に話しかけながら
歩く姿は
奇異なものに映るかもしれない。





でも、雨の日なら
そんな目を気にすることもない。


傘の花が
私たちを隠してくれるから。
































































今日のような雨を
小糠(こぬか)雨、と言うのよ



カウンターに並んだ
3つの珈琲サイフォンの中で
コポコポと
小さな気泡が現れては消えていく。


踊るように。
歌を、歌うように。








こんな天気の日、
マスターはフォグの羽根を拭きながら
雨の名前を教えてくれる。





濡れた身体を温めるように
私は
マスターが淹れてくれた珈琲を口にする。



お店に出すものとは違うカップで
チョコレートシロップを入れて



苦い中にほんのり甘い、
私だけの特別な珈琲を。




美味しいです

知ってる?
ペルセフォネ―の話


そんな私に
マスターは目を細めた。

彼女がそんな目をすると
なにかよからぬことを
企んでいるように見えるのは
何故だろう。

ギリシャ神話ですよね?

そう。冥界の石榴(ざくろ)を
食べてしまった彼女は
その粒の数だけ
冥界にいなければいけない

……


私は思わず手の中のカップを見た。
珈琲は半分ほどになっている。

あら、それは違うわよ?

そ、そうですよね

愚かなことだ。

この珈琲が石榴と同じものじゃないかと
思ってしまったなんて。


ここは冥界なんかじゃない
ただの、普通の喫茶店。






マスターも人が悪い。

なにも私が珈琲を飲んでいる時に
そんな話をしなくてもいいのに。













身づくろいを終えたフォグは
鳥籠の中で
ゆらり、ゆらりと微睡んでいる。
















私は窓の外に目をやった。

空は
今にも降り出しそうに曇っているが
雨粒は見えない。

こぬか、あめ?

そう。
細かい細かい、霧のような雨



だからフォグは濡れるのも構わずに
飛んでいたのだろうか。
なんて、

私は、扉の脇に吊るされた鳥籠を
眺めながら思う。

こんなしっとりした雨の日は
お客様がいらっしゃるわ

……




お客様が来るだけなら大歓迎だが
なにぶん、この衣装だ。

珈琲をこぼすことさえ心配なのに
外から持ち込まれる水滴や
靴底についてきた泥など

憂鬱になる原因はいくらでもある。





なのに

この店は、なぜか雨の日のほうが
来客が多い。





ほら、いらっしゃった

笑顔

……はい




























































いらっしゃいま、……せ

カフェオレ。ぬるめでね 

――猫耳。

……はい



こんな和服で言うことではないが
この店のお客様は
少し変わった服装の方も来店する。


コスプレ喫茶だから
敷居が低いのだろう、

勝手に思っている。


















……どうぞ






ねえ

カップを置く私に
彼女が話しかけて来た。

あのベル、いいよね
チリリン、って

あの音に釣られて来ちゃった




雨が降ると
人はさまよいたくなるものなのだろうか。


私を導いた鈴の音は
そんな孤独な人をも呼び寄せる。


似てるんだよね
田舎で聞いた音に

……



そんな孤独を抱えた人は
見ず知らずの
喫茶店のウェイトレスに
身の上話をぶちまけたくなるのだろうか。


物語ではよくあるけれど
現実では少ないと思っていた。




なぜかこの店は
そうやって話しかけてくるお客様も多い。




























マスターは

暇なら聞いてあげたら?

と言う。



私がマスターと話をして
気が紛れたように

話を聞いてあげることで
その人の気が紛れるならいいじゃない、と
彼女はそういうスタンスのようだ。




きっと、そんなところが
人づてに伝わって

同じようなお客様を呼ぶのだろう。







あたし、ひとり暮らししながら働いてるんだけど

……

なんの仕事だろう。

田舎に親がいてね

猫耳で働いているのだとしたら
驚くだろうな、親。






……そんな感想は
間違っても舌にのせてはいけない。


田舎じゃあねぇ、
日が暮れる頃になると、音がするの
チリン、チリリン、って









































































あ、鳴った

帰らなきゃ



その音は
子を呼ぶ親が鳴らす音。



「ごはんができたよ」
「早く帰っていらっしゃい」
と、呼ぶ音。





村のあちこちから

チリン、
チリリン、と

合唱のように鈴が鳴る。








子供たちはその音で、

また明日

と、家路につく――。




































































この間ねぇ、
ベランダで鳴らしてみたんだ

似たようなベル買って

チリリ……ンって

……



目を閉じると
その光景がまぶたに浮かぶ。





聞こえる。

遠くから、彼女を呼ぶ音が。



そして、
彼女の手の中のベルも

呼応するようにチリン、と鳴る。








「ここにいるよ」

「帰っておいで」





……と。





















たまには帰ってみるかなぁ

……そうですね



こんなふうに
お客様がつらつらと話されるのを
ただ黙って聞いているだけ、
なんだけれど


これで本当に
気を紛わせていただいたのかも

私にはわからないけれど。
















































































いいんじゃないの?
満足して帰られたようだし

……そう、ですか?


ただ飲み物を提供して終わり、
ではないところが

普通の喫茶店と
一線を画すところなのかもしれない。


メイド喫茶のパフォーマンスが
ここでは黙って話を聞く、というかたちに
変わっただけ。









そう、勝手に思うことにする。
























少し軋んだ音を立てながら
振り子時計が時を告げる。



バイトの終わる時間。

魔法が、消える時間。


……さぁフォグ、お仕事よ
送ってあげて

大丈夫です。
ひとりで帰れます

……

過信は禁物。
ここでは、ね

さまよい歩く心に
連れて行かれてしまうかもよ?

ここは
そういう街だから




























































来る時に降っていた雨は
既に止み、
群青色の空に白い月が浮かんでいる。


そこから視線を下ろすと
道端に白い月のような電燈が
ぽつり、ぽつり、と灯っている。




霧のような雨が過ぎ去った世界で

霧の名を持った白い鳥が
私を、私の世界へ導いていく。


……どういう意味、かなぁ



群青色の空を舞う白い鳥を
見失わないように
私は家路を急ぐ。



何度も往復した道だから
迷うことなどないと思うのだけれど
マスターは
フォグをお供につける。

迷子になると
思ってるのかな?

そんな子供じゃ
ないですよーだ

フォグが
相槌を打つように鳴く。


まぁ……さまよって辿り着いた私が言う台詞じゃないけど



濡れ鼠で店に来た私を
マスターはどう思ったのだろう。



こうして
フォグに送り迎えをさせるのは

そんな私が、未だに危なっかしく
見えるからなのだろうか。

















ピッ!

え?

フォグの声にふと前を見ると、

道の先に
薄茶色の猫が佇んでいるのが見えた。






こんな夜に、

突然
フォグが舞い降りて来たかと思うと
私の頭の上に止まった。

なぁに? 急に



やはり鳥だから、猫が怖いのだろうか。



邪険に追い払うのも気が咎めて
私はフォグを乗せたまま
改めて猫を見た。





野良には見えない。
毛艶の良さに
毎日手入れされている様子がうかがえる。

小さくてふんわりとした
女の子のような、猫。









食べているものだって
きっと猫缶だろう。

鳥を襲って食べるような
野性味は
持ち合わせてはいなさそうだ。

あの子はおとなしそうよ?
フォグ


そう言ってみても
フォグは頭上を離れようとはしない。















その猫は
じっと私たちのほうを見ていたが


やがて、

















消え、た……?

フォグ、
今、猫ちゃんいたよね?




私は
思わずフォグに話しかけた。


…… 

フォグは黙ったまま
ただ、私の頭に止まっている。







































どこかで
鈴の音が聞こえた。




チリン、

チリリン……と。









































小糠雨。

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