浜辺の波打ち際を歩く小さな影。
寄せては返す波を眺めながら。
……。
うわっ!なんだ?
か……観音様!?
良いか……
よく聞くのだ。
う……うん
程なくして村の浜辺に
『悪しき使い』が
流れ着くであろう。
あしきつかい?
その者を退治しなければ、
村は滅びるであろう。
えぇ!?
賢明なる人の子、太郎よ。
村の運命はお主にかかっておる。
良いな?
うん、おいら、わかった!
はっ!
気が付くと、太郎は家の寝床にいた。
夢か……。
いんや、今のは観音様のお告げだ!
間違いない!
みんなに……知らせなきゃ!
太郎は急いで夢で見たことを
自分の親や、
近所の大人に言って回った。
……しかし
何を言ってるんだ、太郎は。そんなのはただの夢だぁ。
わしゃぁ忙しいんだ、他をあたってくれ。
誰ひとりとして耳を貸そうとはしなかった。
くそ……。
大人は誰も信じてくれない……。
浜辺で横たわる松の枯れ木に腰掛けながら
うなだれる太郎。
すると、砂丘のむこうから
太郎を呼ぶ声が聞こえてきた。
おーい、太郎ー!何やってんだー?
変な夢見たんだってなー!噂になってんぞ―。
与平、三吉……。
二人は太郎を挟むように
松の枯れ木に並んで座った。
……。
しかし、いつも元気な太郎はうつむいたまま。
二人はそんな太郎を見て話しかけた。
なぁ、太郎、俺らにも
話しを聞かせてくれよ。
仲間だべ。
与平、三吉……。
その言葉を受けて、
太郎は夢で見た内容を
二人に話した。
観音様の話。
悪しき使いの話。
退治しなければ村が滅びる話。
二人は最後まで太郎の話を
真剣に聞いた。
へぇ……。
悪しき使いかぁ……。
そんなのが来たら、俺たちゃどうすりゃいいんだ?
……お前らは……信じてくれるのか?
ああ、もちろんさ。
まぁ、信じてやるか。
二人の言葉に勇気づけられた太郎。
よし、俺達だけで村を守るんだ。
おー!
おー!
じゃぁ、昼飯食ったら、
またここに集まんだぞ!
太郎がそう言うと、
三人はそれぞれの家へと一旦帰った。
よぉ食うなぁ、太郎。
力つけなきゃなんねぇんだ!おかわり!
はっはっは、食え食え。
* * *
集まったな。
おう
いいもん持ってきた。
お、武器か。
観音様が言うほどのバケモンだ。
握りこぶしじゃ不安だべ。
ちげぇねぇ。
よし、いくぞ!
三人は浜辺の波打ち際を歩き始めた。
乱立する松の木、
穏やかな磯、
砂浜……。
過ぎゆく景色の中、
三人は村のはずれの荒磯にまで来た。
いねぇな。
もう、この先は荒磯で行けねぇ。
それに村じゃねぇべ。
戻るか。
今の間に現れたのかもしれない。
三人は荒磯から元来た道を引き返す。
しばらくすると、
あれ、なんだ?
三吉が松の木の根本に
何やらゴソゴソと動く影を見つけた。
行ってみよう。
お、おう……。
三人が動く影に近寄ると、
そこには七尺はあろう、
巨大なウミガメらしき生き物の姿。
で、でけぇ!
バケモンだ!
もしかして、コイツがあくのつかいか?
そうに違いない!
退治するんだ!
三人は武器を構えると、
巨大なウミガメらしき生き物を叩き始めた。
何しに来たんだ!
村から出てけ!
ウミガメらしき生き物は
甲羅の中に首も引っ込められず、
ただ耐えるだけ。
その姿に太郎は……
ううっ……。
あくのつかいだとしても……
悪いことをしている気がする……。
……いや、村のためだ!
退治しなきゃダメなんだ!
すると、背後から
これこれ、そこの童《わっぱ》ら。亀をいじめるんじゃないよ。痛がっておる。
と大人が声をかけてきた。
大人には関係ないだろ……あっ!
げっ、浦島の放蕩息子だ。
面倒くさいのに出会ったぞ……。
構うもんか!
あっちいけ!浦島の!
そうはいかないよ。
痛がっているその亀を
見過ごすことが僕にはできない。
……そんなのはわかってるんだ。
……でもやらないと村が……。
おい、どうする太郎。
……太郎?
君は太郎というのかい?
ああ、そうだ。太郎で悪いか!
奇遇だね。僕も太郎って言うんだ。
ハン!
あんたみてぇなデキの悪い大人と
一緒の名前ってぇだけで
ムズ痒くならぁ!
大体、浦島なんて苗字があるのも
アンタのおとっつあんやご先祖様が
お殿様に沢山の魚を
献上したおかげだろ!
それがなんだい!
釣り竿に魚籠でのんびりと竿釣りかい!
そんなんだから浦島の放蕩息子って言われんだろ!
ははは、口が達者だねぇ。
竿釣りは竿釣りで魚が傷まないから、
お殿様への献上品には持って来いなんだよ。
うぐぐ……。
言い返された太郎は、
うつむき視線を落とす。
そして、浦島の腰についている魚籠を
ちらりと覗き見た。
!!
空っぽの魚籠で何を言ってやがんだ!
こりゃ一本取られた!
さて、どうだい?
同じ太郎のよしみで
今日はこの亀を逃がしてやってくれないか?
……。
……。
ダメだ!それはできない!
そいつは、『あしきつかい』なんだ!
『あしきつかい』?
観音様が俺に言ったんだ!
ふぅむ。
その話が本当だったとして、
本当に君達はこの何もできない亀が
『あしきつかい』だと思うのかい?
……。
……。
……それは……。
きっと、『あしきつかい』は
他にいるんだよ。
今こうしている間にも
その『あしきつかい』が、
この浜の別の場所に
現れているかもしれない。
それなのに、君達はこの亀に構っていていいのかい?
……行こうぜ、太郎。
……あっちにいるかもしれない。
……。
浦島の……。
なんだい?
今日はオマエに免じて
その亀を退治するのはやめてやる。
そいつはぁよかった。
だけど、もし他に『あしきつかい』がいなくて、またその亀が現れたら……。
こんどこそ退治してやる!
その時はその時だね。
……じゃあな。
そう言うと、太郎たちは元来た道を
更に戻り始めた。
その後ろ姿を見送ったあと、
さあ、おにげ。
また戻ってくるといけない。
と、巨大なウミガメらしき生き物に
声をかけた。
すると
助けていただき
ありがとうございます。
!?
キョロキョロ
周りを見渡す浦島。
しかし、周りには人の気配はなかった。
私です。いま助けていただいた亀です。
驚いた。どうやって話しているのだ?
我が主である御外比女様に
この事を伝えた所、
礼をしたいので是非お連れしろ、と
仰せつかりました。
さあ、私に乗って下さい。
母なる海の浄土へと参りましょう。
おぉ、何ということだ。
この亀は『あしきつかい』どころか
『神の使い』ではないか!
* * *
……いなかったな。
あの亀も、もういないな。
……やっぱり夢だったのかな。
落胆する太郎。
そんな太郎を元気づけようと、二人は
きっと明日来るはずだ!
また、明日探そうぜ!
と励ました。
……ああ。
三人は翌日の集合を誓うと、
別れのあいさつをして
それぞれの家へと帰っていった。
* * *
翌日。
朝飯を貪る太郎。
ムシャムシャ……
浦島の放蕩息子が
また家に帰ってないそうだ。
なんだって?
あそこは体の不自由な
おっかさんがいるだろうに。
これだから放蕩息子は……。
……。
* * *
集まったな!
ああ。
今日こそ見つけるぞ!
今日は海がしけてるな……。
よし、じゃあ行くか!
ちょ、ちょっとまて。
ん?どうした、三吉。
……お、おい……。
あれ……。
波打ち際の方を指差す三吉。
そこには、海から上がってこようとする
昨日の巨大なウミガメらしき生き物の姿があった。
やっぱりアイツか!
……約束だ。
今日は退治するぞ!
……ちょっとまてよ、太郎。
……なんだあれ?
ん?
与平は巨大なウミガメらしき
生き物の方を指差した。
魚の影か?
見ていると、ポツリ、ポツリと
何かの影が次第に増えて行く。
どんどん増えていくぞ……。
次第に増えていく水面の影。
終には海全体を真っ黒に埋め尽くしたかと思うと、
異形の者どもが水中から現れた。
異形の者どもは、四つ這いでありながらも
この世のものとは思えぬ早さで
陸へと上がり始めた。
ひ……ひぃぃぃ!!
バケモンの群れだぁ!!!
異形の者の1人は
三吉と与平の足首を掴んだかと思うと、
ぐいっと引っ張り、
うあぁぁ、助けてくれぇ!!!
やめろぉぉぉぉ!!!
神速のごとく海へと引きずり始めた。
与平!!!三吉!!!
太郎は賢明に手を伸ばすも、
尋常ならざるその力と早さに、
二人は抗うこともできず、
瞬く間に海へと引きずり込まれてしまった。
三吉ィー!与平ェー!
他の異形の者どもは
太郎には目もくれず、
砂丘を登り次々と村へと入っていく。
ただ一人。
異形の者どもの中でも、
ひときわ体の大きい者が
のそり、のそりと体を揺らして
太郎へと近づいていった。
……昨日の……亀。
巨大な異形の者は太郎の前へと来ると、
二本脚で立ちあがった。
その壁のような体躯は太郎の視界を全て遮る。
太郎は絶望せざるを得なかった。
……ああ、村は終わったんだ……。
俺は間違っていなかったんだ。
ーー数日後。
海の中から浦島を背中に乗せた
ウミガメらしきものが浜へと上がってきた。
ーーその匣。
……ん?なんだい?
先ほど御外比女さまからも
仰せつかったかと思いますが、
決して開けてはなりませぬ。
* * *
そろそろ帰らなくては……。
……そう……ですか。
それでは、これをお持ち下さい。
御外比女の
その美しい玉手から渡されたのは
一つの小さな匣。
おお、手土産とは……。
おっかぁも喜ぶぞ。
手土産には変わりありませんが……。
これはお守りです。
ですので、決して蓋を開けてはなりませぬ。
* * *
ははは、わかったわかった。
亀は思いのほか疑い深いんだなぁ……。
それでは、私はこれで……。
ああ、また遊びに来るといいよ。
* * *
……なんだろう、
村の雰囲気がおかしい……。
ヒソヒソ……。
ヒソヒソ……。
見かけたことのない人が沢山だ。
こんな家あったかな……。
村の人も見た事ない人ばかりだ……。
村を往来を通りながら、
目に映る景色、人々に違和感を感じる浦島。
そして、浦島が自分の家へと近づくと、
その違和感は異変であることに気づいた。
……ない……。僕の家が……。
周りを見渡す浦島。
その目に映るのはただ地面に広がる砂のみ。
……おっかぁはどこだ?
おっかぁ!!
来た道を戻り
声を上げる浦島。
だれか、だれかぁ!!
浦島の家はどうなったんだ!?
おっかぁはどこへ行ったか教えてくれ!
……。
……。
往来の人々に話しかけるも、
奇異の目で見られるだけ。
見知った顔は一つもなく、
そして、誰一人
浦島に答えるものはなかった。
一人になってしまった浦島は
亀と別れた砂浜へ戻っていた。
お守りの匣なんて意味がなかった……。
今の僕には……もう何もない。
……この匣以外は。
今の僕にお守りなんて必要ない。
開けるな、だって?
知った事か!!
……何も……ない……。
……ふふふ、なんてこった。
まるで今の僕と一緒だな。
……まだ………
…あるぞ………
……なんだ?
……かえせ。
ーー人が絶望する瞬間《とき》。
僕には何も……。
……かえせ。
ーーそれまでに取り込まれた命は
……かえせ。
……カエセ。
……かえせ。
……返せ。
……かえせ。
……カエセ。
……返せ。
うあああぁぁぁ!!!
ーーその体との繋がりが
著しく希薄になる。
匣の中から現れた
無数の手のような煙は
絡みつくように浦島にまとわりつくと
浦島の体の中から何かを
次々と抜き取っていった。
そして、その後に残ったのは
……。
骨と皮だけになった、浦島の姿であった。
* * *
先祖代々奪い続けた同胞の数多の命、確かに返してもらったわ。
開けるなと伝えたのに開けたのですか、あの者は。
あら、開けるに決まってるわ。
なぜ……ですか?
あの者が人間だから、ね。
……我々には理解し難いですね……。
理解する必要などありはしない。
パンドラの匣……ですか。
……ふふふ……。
地上の神は面白い事を考える。
御外比女は玉手箱の片割れを愛でながら、
クスリと笑った。
ウミガメらしき者は、
御外比女の傍らでその満足気な姿を
ただ見ているだけだった。
完