あなたと一緒にどこまでも行けるなら。

 それを幸せだというのなら。

 わたしは、幸せです。





  

 ラッドの屋敷に無理やり連れて来られてから、フェミリアは不自由な生活が続いていた。

 パンを焼きたいと言えば侍女が焼いてくる。

 庭の世話をしたいと言えば庭師がいるからやらなくていいと言われる。

 郊外に住む叔母に会いたいと言えばそんな必要はないと言われる。

貴女はここにいるだけで幸せなんだから、何もやらなくていい

こんな生活の、いったいどこが幸せだというの……

 支給される豪華なドレスは一度も着ておらず、フェミリアはずっと同じ服で過ごしていた。

 食事もほとんど喉を通らず、目に見えて痩せていく。

 さすがに困ったラッドが金に物を言わせてありとあらゆる贅沢な食事を用意しても、フェミリアは何も手をつけなかった。

助けて……

 フェミリアはそっと祈る。

 今の願いはただ、この屋敷から抜け出すことだった。







 

 ある日、庭師だという男性がフェミリアに会いに来た。

部屋を出ていなくて退屈でしょう。わたくしが手入れしている庭を見に来てください

 フェミリアは振り返らなかった。

 何をやることも許されない。

 自分の意思は許されない。

 ラッドの人形であることだけを望まれ、それ以外を許されない。



 そんなわたしに、何が出来るでしょう?


 

ラッド様の許可は得ました。さぁ……

 やさしい声に思わず振り返る。

 フェミリアの目に入ったのは、差し出される白い手袋をした手。

 その手の大きさは見覚えがあった。

 手袋をしていても分かる。

 そういえばこの声も聞き覚えがあった。

あなたは……

 フェミリアが驚いて顔を上げると、男性はフッと笑った。

お元気そうで……はありませんね。僕でよければ気分転換にお散歩でもお付き合いしますよ

 話し方も変わる。

お名前を……。お名前を、教えてくださいませんか?

 フェミリアは駆け寄った。

僕の名前はアルフ・ワルド。この屋敷の庭師です







 

 アルフに会えてから、フェミリアは見る見るうちに元気を取り戻していった。

 パンが焼けなくても、叔母に会えなくても、アルフに会えれば笑顔が戻る。

 庭師の庭を歩いていると、小さな発見がとても楽しかった。

 刈り込まれた植木を指差して笑う。

この不思議な形は何ですの?

ツルという外国の鳥です

植木をこんな形に刈り取るなんてすごい

僕よりももっとすごい人はたくさんいますよ

まぁ

 フェミリアはくすくす笑う。

 アルフもふわりと笑った。




 

 そんな日々が続き、フェミリアの胸にある欲望が疼く。



 もっとアルフと一緒にいたい。

 アルフに自分の焼いたパンを食べてほしい。

 自分の大好きな叔母さんにも会ってほしい。

 そのためにやらないといけない事は……



 その夜、ラッドの目を盗んでフェミリアはアルフを呼び出した。

 アルフは嫌な顔ひとつせず、フェミリアのために部屋に来てくれた。

アルフ、お願いがあります

何ですか?

わたしを、ここから連れ出して……!

フェミリア……?

 アルフは驚いた目を向ける。

 フェミリアは真剣だった。

お願い。わたしはここの生活には耐えられない。パンも焼けない、叔母にも会えない。こんな生活はもう嫌なの……!

……!

 

 フェミリアはアルフの胸に飛び込んだ。

 アルフは優しく抱きとめる。

アルフ……

フェミリア……

 

 お互いの温もりを感じながら、立ち尽くす。

 2人は抱き合ったままこの夜を過ごしていた。










 

 決行の日はすぐにやってきた。

 ラッドが貴族のパーティーで屋敷からいない夜。

 宵闇に紛れて屋敷から脱出する。

 黒いローブに身を包んだ2人は、フェミリアの部屋で落ち合った。

いくよ?

 アルフの言葉にフェミリアは頷いた。

 手を取り合って、駆け出す。

 屋敷の建物から出ることは容易だった。

 問題は、庭への抜け出し方だ。

 夜間、表の警備は手厚い。

 だが、アルフは庭師で、抜け道などいくらでも知っていた。

フェミリア

え? きゃっ!

 アルフはフェミリアを抱き上げて駆け出した。

 フェミリアはアルフの首にしっかりと腕を回す。

 こんなことを考えてはいけないのだけど、アルフに触れ、幸せな気持ちだった。

……

 ギュッとしがみつく。

 屋敷からの脱出に成功した。

 首にかけた夢見のペンダントが月の光に反射してきらりと輝いた。










 

 かなりの時間走り続け、ここがどこだかフェミリアには分からないような場所だった。

 静まり返った町の一角。

ここまで来ればもう大丈夫でしょう

 アルフはフェミリアを下ろした。

本当に大丈夫かしら? 追っ手とかは……

今すぐには来ないと思うよ。ただ、気付かれたらあらゆる手段を使ってフェミリアを探しに来るだろうね

怖い……

一緒に逃げよう。でもね……

 アルフは迷うようにフェミリアを見つめた。

 フェミリアも見つめ返す。

隣の隣の、その隣の町、そのもっと向こうまで逃げないと、追っ手は来るかもしれない。どこまで行けば安全かは僕にも分からない

……

君は君の大好きなおばさんに会えなくなる。それでも、いいかい?

そんな……

 フェミリアは衝撃を受けた。


 叔母さんには会いたい。


 いつも助けてくれる、フェミリアの味方。

 だけど、これは自分の勝手で、この勝手なせいで叔母にまで迷惑を掛けるわけにはいかなかった。

……わたしがラッド様の屋敷から逃げ出したから、叔母さんの所にもきっと追っ手はやってくるわ。叔母さんには悪いけど、何も言わずに逃げた方がいいと思う

……分かった

 アルフはフェミリアの手を取った。

 フェミリアはギュッと握り返す。

 2人は手を取り合って、夜の闇を走り出した。








 

 

 

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