屋敷で買い与えられた書物で読んでいたが、自分が恋をするなどと思ってもみなかった。

コーラルはライオネスの顔をまともに見られなくなってしまった。

受けこたえもしどろもどろだが、毎日送り迎えをするライオネスは困るどころか、むしろおもしろがっているようである。

人目のないところ限定だが、ふいうちにコーラルの手をにぎったり、肩にふれたりする。
そのたびに顔を真っ赤にするコーラルをのぞきこむライオネスは、いつも満面の笑顔だ。

――ライオネスの方もコーラルに好意を寄せてくれているようだ。

どうしたらいいかわからず、相談しようにも誰にどういったらいいかわからない。
なにより、祭りの準備で大わらわの作業場に着くと、浮ついてなどいられなかった。

刺繍が一区切りつくと、コーラルたちはまたべつの場所に駆り出された。

祭り当日に供される料理の仕込みをするのだ。

果実と酒で素材を漬けこむという。

その作業場に行ってみると、中心になって作業を指示する女衆のなかにラトゥスがいた。

どう?

ああ……こ、コーラルさ……さん。ええ、ええ……果物を運ぶのに、ちょっと骨が折れますけど、これだけ人手があれば

ラトゥスには、もうお嬢さまと呼ばないでくれるよう話していた。
コーラルさまとも呼ばないで、と。

ラトゥスは渋ったが、村で作業するのが楽しい、と打ち明けると承諾してくれた。

あくが出るまで、もみ洗いしてくださいね。そっちの子は、壷のなかをお酒で洗って。ああ、先に手をお酒で洗っておいて

酒気なのか、独特のにおいがする作業机に近づくと、年輩の女衆の指示が飛んだ。

刺繍などの目を酷使する手仕事と違い、こちらは若い顔がすくなかった。

果物を洗い、酒を扱っているうちに、コーラルはくらくらしてきた。

頭がぼんやりする。

あら、コーラルったら酔ったの?


一緒にこちらの作業場に移ってきた女が、赤い顔をしてそういう。
するとべつの場所で、老婆が声を上げた。

酔ったなら、おもてに出てちょうだい。無理すると吐くことになるからね

ほかの子も、酔ってきたらすぐ外に出てくださいよ。ほら、そこの子、風に当たっておいで

白髪頭の女にうながされ、コーラルは建物から出た。

道のはしに腰を下ろし、コーラルは深呼吸をする。
これが酔った状態なのかよくわからない。

身体がぽかぽかしている。倦怠感があるものの、気分がいい。

目を閉じるとライオネスの顔がまぶたに浮かんだ。

ときどきからかうようににぎってくる彼の手の感触に、コーラルは夢中になりつつあった。

恋した相手にどう振る舞えばいいのか、正解をコーラルは知らない。
しかしライオネスがいっていたように、コーラルもまたライオネスのそばにいたいのが本音だ。

目を開けると、視界の先にライオネスがいてコーラルは驚いて腰を上げた――ふらついたコーラルに、駆けつけたライオネスが手を差しのべてくれる。

大丈夫か?

ええ……すこし、お酒のにおいに当てられてしまったみたいで。それよりどうかしたんですか? もう仕事は


ライオネスの表情がかたい。コーラルは首をかしげた。

……森に、ひとがいて

ひと?

こっちに向かってる。声をかけたんだけど……ハミンズ公爵家のものだと


コーラルからふわふわと酩酊した感覚がすっと消える。

使者……?

中央から――屋敷からひとが来た。

突然の来訪はコーラルにとって歓迎できないものだった。
やっと邪眼などというくさびから解放され、他人のなかにいる楽しさを――ライオネスという気持ちを捧げる相手が見つかったところに、水をさされた気分だ。


ライオネスに連れられ村の通りを進むと、中央通りに差しかかったところで使いのものと思しき影を見つけた。

村の面々に遠巻きにされつつも、コーラルを待っているようだった。

コーラルさま


使いはふたりだった。
ひとりは知らぬ顔、もうひとりは屋敷で働く父の腹心、トマスだった。

こちらにおいでとは……その、お目は

トマスはコーラルから目を逸らしていた。

コーラルもまた、彼から目を逸らしそうになった。

だがライオネスが励ますように背を軽く叩いてくれて、コーラルは使いの男ふたりをまっすぐ見据えた。

わざわざいらしたのですから、なにかあったと考えてよろしいのですね

どこか、お話をさせていただけるような場所を

よかったら、うちを使うといい

申し出てくれた雑貨屋の店主の好意に甘え、コーラルと使いの男は建物に入った。

いやな予感がして、吐き気がする。

小振りなテーブルをはさんで腰を下ろしたが、使いのものたちはコーラルの顔を見なかった。

そこで聞かされた言葉に、コーラルは目の前が真っ暗になった。

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