九月の終わり。
 東京下北沢。

 高級住宅の並ぶ世田谷区の一画に、一際目立つ瓦屋根のお屋敷があった。古くから続く名門、宇賀月家である。
 表向きは金融界のエリート名門だが、霊媒を生業に栄えてきた裏の顔を持つ。

 当主を女が務める女流の家系で、この日、次期当主を選ぶ為に、宇賀月に名を連なる全ての十代の娘が本家に呼ばれた。
 巫女装束を着た八人の娘達は、注連縄をはり巡らせた広い座敷に座り、神道の儀式に則って降霊に臨んだ。
 可憐な娘達に混じって、ごくごく平凡な容姿の少女、下流分家の小山和奏もいた。

 和奏は多少霊媒体質ではあるが、他の才媛な少女達を見て、自分は埒外だろうと胸を撫でおろしていた。緊張が失せ、浄闇の中で居眠りしていたのだが、瞼の奥に光を感じて眼を開けた。
 神籬(ひもろぎ)の大鏡は、反射した西日を和奏に当てていた。この現象はまさか――

次期当主は和奏に決まった

 宇賀月一三○代目当主――八十歳にして矍鑠とした宇賀月静流は、厳かに告げた。

へ?

 ぽかんと口を開ける和奏に、静流は続けて爆弾を投下する。

お前には、いずれ宇賀月の名を継いでもらわねばならない。夫を紹介しておこう

お、夫!?

筆頭家守の宝城家の長男、総司だ。年も近いし、話も合うだろう

あああの、夫って

なかなか見所のある男だよ。十歳の頃から、現場で経験も積んでいる。いろいろ教えてもらいな

待ってくださいっ

 和奏が眼を白黒させていると――

狙ったようなタイミングで隣座敷の襖が開いた。

宝城総司です。よろしくお願いします

 現れたのは、類い稀な美貌の少年だった。艶やかな黒髪、切れ長の澄んだ瞳。すらりとした肢体に、黒の上下を着用している。都内でも一・二を競う進学校の制服だ。
 宝城家の長男といえば、下流分家の和奏とは比ぶべくもない資産家の御曹司である。何がどうして、和奏が当主、総司と結婚という話になるのだろう。

あああの、私まだ十六歳で、その

知ってるよ。とりあえず婚約だ。成人したら、二人で話して好きな時に祝言を挙げるといい

へぇっ!?

 和奏はひっくり返りそうになったが、静流と総司は涼しい顔をしている。

仕事にも少しずつ慣れてもらわないとね。総司、面倒を見てやりな

はい。和奏さんの伴侶として、僭越ながら後継指導をさせていただきます

 唖然呆然。空いた口が塞がらない和奏など一瞥もせず、静流はウンウンと満足そうに頷いている。
 総司は惚れ惚れするような、凛々しい表情で和奏を見た。

和奏さん、精神誠意お仕えさせていただきます。どうか、末永くよろしくお願いします

 ちょっと待て。和奏は空いた口が塞がらない。誰もツッコミを入れずに、神事は恙なく終了した。

 受難の始まりである。

 二ヶ月後。
 和奏は、半ば強制的に実家から連れ出され、本家で暮していた。後継教育の為と称し、なぜか総司まで居候している。
 将来は夫婦になる年頃の二人が、一つ屋根の下で暮しているわけだが、疾しいことは何もない。
 二人ですることといえば、剣の稽古か勉強くらいだ。
 無機質な冷たい美貌からは想像しにくいが、総司は意外とまめな性格をしており、嫌がる風でもなく、むしろ率先して和奏の世話を焼いた。
 朝、寝過ごしそうな時は必ず起こしにくるし、学校から帰った後は、離れにある道場でつきっきりで稽古をつける。
 夕餉の後も、書斎に籠って座学だ。宇賀月の歴史や仕事について、学ぶことは山とあり、和奏は彼に師事していた。
 現状、総司は学校以外のほぼ全ての時間を、和奏に費やしている。
 今も、二人は離れの道場で稽古をしていた。和装で床に正座をし、蝋燭を挟んで向かい合っている。
 教わった通りに指で印を結び、降霊に臨んでいるのだが、うんともすんともいわない。

できないよぅ

 集中が切れて、和奏は項垂れた。

和奏、始めてまだ三〇分しか経っていない

頭がおかしくなりそう。私、一般人なんだよ? 降霊なんて、できるわけないじゃん

できる

軽く言わないでよ

僕の嫁だ。できるに決まっている

……

 胡乱げな和奏を見て、総司は言い直した。

次期当主に選ばれたんだ。できないわけがない

おかしいって。私が次期当主なんて、何かの間違いだよ

あの場で居眠りできる剛胆さは、まさしく当主に相応しいと思うけど

うっ

さぁ、瞑想を続けて

うぅ……

剣舞は身体に精霊を降ろして繰り出す、神懸りの剣戟だ。先ず降霊ができないと話にならない

だから、できないんだってば

できないんじゃなくて、やらないだけだ。心のどこかで、降ろすことを恐れているんじゃない?

それもある。というか、本当に精霊を降ろせると思ってるの? 怪しい宗教にしか訊こえないよ

そこを疑ってどうする。霊の類は、前から視えているんだろう?

外を歩いていて、なんかいるなぁ、くらいには視えるよ。でも恐くて、直視できない

修行を積めば、じきに怖くなくなる

ねぇ、総司。こんなの時間の無駄だよ。静流さんに、総司から言ってみてよ。私は使いものにならない、期待外れだってさ

 本家にきてから、稽古、稽古、稽古の毎日である。総司は平然としているが、和奏はもううんざりしていた。精神的にもそろそろ限界だ。
 悄然と俯く和奏を見て、総司は小さなため息をついた。

和奏は稽古を侮っている。今度、僕の仕事についてくるといい。退魔がどういうものか実地で教えてあげるよ

無理。私、本当に怖いの駄目なの

恐いと怯えるくせに、霊的なものを侮り、否定する。和奏は矛盾だらけだ

恐いから、信じたくないの

忘我の域に達すれば、恐怖を凌駕できる。闘っていくうちに、自然と身につけるものなんだけど……和奏は臆病だからな

信じられないよ。霊媒師なんて胡散くさい商売、うちがやってるなんてさ……

まだそんなことをいっているのか

毎日思ってるよ

 宇賀月の裏の仕事――霊媒の仕事は多岐に渡る。
 死の淵にある人の声を聞いたり、天の原に還った魂を降ろしたり、一門の栄華を視通したりと、霊媒・占師の仕事から、害成す霊を祓う退魔の仕事などを、多額の報酬と引き換えに請け負っているのだ。
 父は長いこと、母が退魔で命を落としたことを隠していた。病死と信じていた和奏が、真相を知ったのはつい最近のことである。

やっぱり、早く実戦を経験した方がいい。その方が理解が早い

嘘です。ごめんなさい。許してください。実戦はまだ無理です

現場を経験しないと、いつになっても慣れない

恐いのは苦手なんだよ

そんなこと、宇賀月に生まれた以上はいっていられない

だって、幽霊とかほんと無理

宇賀月の人間なのに

名前だけだよ。私は、総司と違って普通の女子高生なんです

 和奏がまだ幼い頃、母は退魔の仕事で命を落とした。以来、父は和奏を宇賀月に近付けようとせず、和奏は何も知らずに、平凡で平和な人生を歩んできた――二ヵ月前までは。
 後継選びの神事に際し、父は長く秘めていた母の死の真相を和奏に明かした。本家の要請を拒否することは難しい、そう言って、渋々和奏を本家に送り出したのだ。

和奏。そろそろ覚悟を決めた方がいい。実戦を先延ばしにしても、身の危険と恐怖が増すだけだ

やだよ……当主とか、何かの間違いだって

往生際が悪いな。もう二ヶ月も経つのに

総司は思わないの? 私達まだ十六歳じゃん。学校で勉強することが仕事だよ。やりたいこともいっぱいあるし、悪霊と戦うとか、マジ勘弁。意味不明じゃない?

不満はない。仕事は嫌いじゃないし、宇賀月に仕えると納得した上で、修行してきたから

私と結婚することも、納得してるっていうの?

うん

あ、そう……

 平然とのたまう少年の感覚が、信じられない。

総司は、もうすっかり宇賀月に洗脳されちゃったんだね

は?

自分が浮世離れしてるって自覚ある?

僕のどこらへんが浮世離れしてるんだ?

思考と行動の全てが

 疑問だらけの和奏と違い、総司は全くブレない。宇賀月に仕えるを良しとして、勉強と稽古に明け暮れる日々に不平一つ零さない。臈たけた言葉遣いといい、とても同じ年とは思えなかった。

私は総司みたいになれないよ……もうやめたい

選ばれた以上は逃げられない

 涙目になっている和奏を見て、総司は小さく息を吐いた。

今日の稽古はここまでにしよう

 陽はとうに暮れて、空は薄昏くなっていた。
 そろそろ夕餉の時間だ。
 休憩した後も、書斎で座学が待っているのかと思うと、どうしようもなく気が滅入る……
 背を伸ばして道場を出ていく総司の後ろを、和奏は背を丸めてついていった。

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