雑念の沙鳥さん

授業中だというのに、僕は青空の下にいた。

さぼっているわけではなく、
今は美術の時間で、
校内の風景を写生するという授業なのだ。

写生する場所は校内でさえあればどこでもいいし、自分で決めていい。

あんまり複雑なものを描くのも自信がないので、
僕は無難に校舎の脇に立っている、
松の木の一つを描くことにした。

あまりにもモデルとして地味すぎたのか、
周りには僕一人しかいない。

まあ、これなら誰にも邪魔されずに、
写生に打ち込めるだろう。

芯条くん。芯条くん

絵具を溶いていた僕の頭の中に、
声が響いてくる。

教室では僕の斜め前の席に座っている女子。
沙鳥の声だ。

まわりに誰もいないのに、
なぜ沙鳥の声がするかといえば、
僕と沙鳥が「テレパス」と呼ばれる、
超能力者だからだ。

ただし、念波の届く範囲は限られている。
広さにして、せいぜい同じ教室の中くらい。

範囲が無制限でなくて、本当に良かったと思う。
無制限に届くようだったら、
僕は四六時中、
沙鳥に付き合わないといけなくなる。

芯条くん、芯条くん

せっかく狭い教室から出て、
沙鳥から解放されると思っていたのに。

どうやら沙鳥のやつめ。
姿は見えないが、
僕に念波の届く範囲で絵を描いてるみたいだ。

図鑑に載ってない虫を見つけました

訂正。
絵は描いてないみたいだ。

……図鑑に載ってない虫？

普通の学校に、そんなに珍しい虫いないだろ

芯条くん。その虫とはずばり

アリです

いや、ばっちりアリは載ってると思うけど

ところが載ってないんですよ

珍しいアリなの？

いえ、スタンダードなアリです

じゃあ、昆虫図鑑にばっちり載ってると思うけど

ふっふっふ

沙鳥は不敵な笑みを浮かべた、
……かどうかは、見えないから知らないけど、
そんな感じの念だった。

たしかに昆虫図鑑に、アリは載っているでしょう

でも、私は図鑑にアリは載っていないと言い張っている

これがどういうことかわかりますか？

沙鳥……さてはいよいよ……

……大丈夫？

ちょっと心配になってきた。

大丈夫です。今のは芯条くんを騙したんです

はあ？

私、一言も、昆虫図鑑だなんて言ってないんですよね

そう、私が言ったのは動物図鑑です

動物図鑑にはアリは載ってません

まあ

そりゃそうだろうな

えーっと、要するに今のは……。

ひっかけってこと？

そういうことです

芯条くん、見事にひっかかりましたね。まるで、飛んで火に入る夏の……

夏の夢のように

虫だよ

虫の話をしてたのになんで間違える。

芯条くん。私、将来の夢が決まったんです

急展開ですね

私は将来、いじわるクイズを作る人になります

考え直したら？

応援しがたい。

たぶん、生活とか厳しいと思うけど

というか、そんな職業あるのか？

僕は鉛筆で描いた下絵に沿って、
茶色の絵具で木の幹を塗りはじめた。

私、最近いじわるクイズを作るのにはまっているんです

いじわるがしたくて仕方ない、みたいな

だからって、将来の夢にまでしなくても

甘いですよ、芯条くん

私たち。今はこうして、当たり前みたいに頭の中で会話していますけど、

いつその力を失うかわかりません

それはまあ、たしかに

年をとって大人になれば、不思議な力は失われていく……

いつか空は飛べなくなっちゃう

往々にしてそういうものです

まあ、大人になると不思議な力がなくなるみたいな展開はよくあるな

僕らもそうなんだろうか。

もし力を失ってしまったら

いったい私たちはどうやって食べていけばいいんですか……

芯条くんも、今のうちに考えておかないと

沙鳥……

僕は、
いい加減に筆を動かしながら念じた。

……別に今、

超能力で食べてないんだけど

中学生だし。

それに僕としてはむしろ、
テレパシーなんかない方が、
将来のためにいいと思う。

あと

だからって別に、いじわるクイズ作る人になんなくても

もう決めたことです

もし父に止められたって、私は夢を諦めません

お父さん、がんばって

まあ

お母さんに止められたらちょっと考えますが

がんばって、お父さん！

さて、芯条くん

そうと決まれば早速第一問です

なぜ？

そりゃあ、クイズがあるんだから出しますよ

そこに山があれば、思わず拝むのと同じ理論です

山なら登れよ

さ、覚悟してください

沙鳥。……絵、描けたの？

忘れがちだけど、
ここは学校で、今は美術の授業中で、
写生の時間だ。

九割がた描けました

早っ

絵は得意ですから。タダメシ前です

払えよ

それじゃ、さっそく第一問です

いや、あの、僕、二割も写生できてないんだけど

まだ木の幹に色が入っただけだ。

第一問です

沙鳥は聞く耳、
いや、聞く脳を持ってない。

あなたはバスの運転手です。バスには――

ああ。これ、よくあるやつだ。

答えは男

長くなると困るので、僕は即座に答えた。

え、なんでわかったんですか？

いや、前にそのクイズ聞いたことあったから……

最初に「あなたは運転手」って言っておいて

そのあと関係ない余計な情報たくさん言うやつだろ？

そ、そうです

で、忘れた頃に「さて、運転手の性別は？」って聞くやつだろ？

うう、いじわる失敗です

はっ！

さては、芯条くん……

興味ない振りして……。実はイジワリスト目指してますね？

そんな今初めて聞いた肩書き、目指さないよ

それじゃ第二問です

まだやるのか

一郎くんと次郎くんは、同じ生年月日で同じ親から――

ああ。これは二人は双子じゃなくて――

三つ子

うう。正解です

では第三問！

吹雪で山小屋に逃れると、そこには新聞紙、暖炉、ランプ――

ああ。最初に火をつけるのは――

マッチ

うう……

芯条くん、なんなんですか！

エスパーですか！

そうだけど

問題の途中で答えるのずるいです

だって、聞いたことあるやつばっかりだから……

うう。ずるいです

いじわるです

いじわるする人はろくな大人になりませんよ

言ってることめちゃくちゃだけど

……私っていじわるクイズの才能ないんですね

イジワリストの夢は諦めます

まっとうな人生に戻ってくれてよかったよ

私は、絵の道を究めましょうかね

それもきっと楽じゃないよ

数日後。

僕のクラスが写生した絵は全て、
美術室の前の廊下の壁に展示されていた。

沙鳥の絵を探すと、
端っこのほうに貼ってある。

なんだ、これ？

沙鳥の絵には、奇怪な生物が描かれていた。

頭らしきものと体らしきものが、
ひどく不安定な線で描かれている。
目らしきものがたくさんあり、
色使いも暗くて不気味だ。

この奇妙な生物が、
あの瞬間に沙鳥のそばに存在していたというのか。

まさか、本当にいたのか？

図鑑に載ってない――虫。