春乃

奏多(かなた)―!

透きとおるような声で名前を呼ばれ、俺はその声のした方を振り向いた。

そこには、美しいひとりの女性がいる。
なにを隠そう俺の妻だ。


いつもは白の小袖に紅の袴という下着同然の恰好を、女ものの着物は重いからという理由だけでしているような女性だが、今日はいつもと違う。

今日は女ものの着物をばっちり着こんでいて、髪もおろしていた(ちなみにいつもは見た目など気にしないかのように無造作に一つ結びをしている)。

化粧も少ししているようだ。
 

…やはり美しい。
 

こうしてちゃんとめかしこんだ姿を見ると、やはり美しい女性なのだということがわかる。


いつも、こうしていればいいのに、と形だけとはいえ夫である身からすると思う。

奏多

どうなされたのですか?
今日は一段とお美しい。

走ってきた彼女を見つめながらそう言うと、とたんに真っ赤になった。


美しいとか、可愛らしいとか、俺は人目を気にせず言う人だから、結構頻繁に口にしている。


しかし、彼女はいまだに慣れないらしく、こうして初心な反応をしてくれる。


それが俺にはすごくうれしいのだ。

春乃

うるさい。

真っ赤な顔で睨みつけられると、どうしようもなくいじめたくなる。

春乃

今日は、町に出るぞ。

そんな愛らしい顔のまま、彼女はそう言った。

はじめて言われたことだったので、俺は正直面喰らった。


町に出る、それって…。

春乃

特に珍しいことでもない。
自分の治める国を見たいと思うのは、当然のことだろう。

期待していたのとは違う返事が返ってきて、少しがっかりしたが、確かに不思議ではない。

彼女のように、国思いの主君ならば。
 
父上のような、権力が欲しいだけの男とは違って。

春乃

わたしは民の暮らしをこの目で見たい。
民の心を理解するにはそれが一番手っ取り早いからな。
昔は、戴輝と共にまわっていたのだぞ。
最近は、忙しくてできなかっただけで…

 
…あ、まただ。
俺は、途端に嫌な気持ちになった。


彼女はすぐに弟君の名をあげる。

ずっと片割れのように一緒にいたという姉弟だし、いろんな苦悩もともに乗り越えてきたふたりだから、仕方のないことだとは思う。



だが、時折、それだけではないような気がしてならないのだ。


…ふたりは姉弟。


しかし、それ以上のなにかがあるようで、俺はそれがひどく恐ろしい。

奏多

わかりました、お供しますよ。

今は、そうは言ってもなにもしようがない。


嫌な予感はするものの、本人たちの気持ちは本人にしかわからないものだ。

俺がそれを考えても仕方がない。

 
今は、俺にはなんの秘策もないのだから。

昼間、侍女と供に庭園を歩いていると、あの妃たちのお茶会に遭遇してしまった。


彼女たちは、いつものようにあたしのことを馬鹿にした目で見て、蔑むような笑みを見せた。


 
しかし、昨日のように惨めな気持ちになりはしない。
惨めなのはあなた達の方。


あの方を手に入れたのはあたし。
あなた達ではない。

あなた達はあの方に愛されることもなく、この後宮で涸れていくしかない花なのだから。

 
あたしは、彼女たちの方を見て笑みを浮かべた。

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