ここは、都内の一角にある大きなお屋敷。高層ビルやほかのどんな建物よりも、一際目立つ建物。それがここ、花見邸だ。

思っていたより・・・ずっと大きい・・・

ーーそして、今日から私が働く場所・・・

 ――私の名前は月見琴。十六歳です。とある事情から、今日からこのお屋敷で使用人として働くことになっています。というのも、私のおうちは昔から大きなお屋敷に仕える使用人を生業としています。そして今回、初めて一人でお仕事させていただくことになったのが、ここ、花見邸だったのです。
 ・・・ただ、このお屋敷のご主人、つまりは私のお仕えする方なのですが、大変気難しい方らしく・・・少々・・・いえ、かなりの不安があります・・・

私、この場所でうまくやっていけるでしょうか・・・

 少しの期待と、大きな不安を抱えながら、琴は門のベルを鳴らした。だが、ちょうどそれと同時に・・・

当たり前なんだよっっ!!!

 大きな声が琴の耳に響いてきた。声の発信源は、屋敷の中からだった。
 
 ーーきっとこのお屋敷では、とんでもなく大変なことが待ち受けていそうだな・・・
その怒鳴り声を聞いて、琴はひっそりと心の中でつぶやいた。
 
 琴が鳴らしたベルの音は、さっきの声のせいで屋敷の中に届いていないようだった。

 ところ変わって、お屋敷の中ーーー

広々とした部屋の中には、背格好には似合わない大きすぎる椅子に座った男の子、そしてその両脇にはメイド服姿の女性と、執事服姿の男性が控えていた。

何度言ったらわかるんだよ!!
この城では、俺がルールなの!俺がこの屋敷の主なんだ!
俺の言われたとおりにするのが当たり前なんだよっ!!

朝日

も、申し訳ありません・・・亮様・・・

 彼の名前は花見亮。花見財閥といえば、日本で言わずと知れた大財閥の一つである。そして彼は、その花見家の一人息子・・・つまりは御曹司ということになる。
 しかし彼の性格には少々・・・いや、かなりの難があり、使用人は今までで何人もやめてしまっている。
 そしてついにはここにいる執事「朝日」と、メイドの「美菜」の二人だけとなってしまったのだ。

朝日

なあ美菜、新しい使用人はまだ来ないのかっ・・・!?このまま私たちだけではやっていけないぞ・・・!?
亮様を見守るよう大地主様は仰られたが・・・これ以上の亮様の愚行・・・私たちだけでは、もう耐えられない!!

美菜

はい。予定では、もうそろそろのはずなのですが・・・

 亮に聞こえないよう小さな声で会話する二人を、生意気なご主人さまは見逃さなかった。

お前たち、俺に聞こえないよう、何を話してるんだよ!

 大きな声では言えないが、彼を怒らすと、本当に厄介だ。一御曹司の人間としてはあるまじき発言・・・いや。暴言といった方がいいだろう。使用人が長続きしないのも、それが大きな原因だった。
 「今回も、そう長くはもたないだろう・・・」二人は亮が髪色と同じ赤い顔をして怒る姿を見て、改めて思った。

朝日

そ、その・・・わ、私たちは・・・

美菜

あ、新しく来る・・・使用人さんの話をしていたんです

・・・へえ、使用人、ねえ。この前来たやつも使えなかったし・・・ま。どうせ次来るやつもすぐ辞めていくんだろうなあ。
お前たちがしっかり指導しねえから、最近の根性のない奴らは、すぐ辞めてっちまうんだよ

朝日

人が辞めて行ってしまうのは、すべて亮様の横暴な態度のせいでは・・・

ああっ!?なんだよなんか言ったか!?

朝日

ああ、いえやっ!その・・・

美菜

ちなみに、今度いらっしゃる方は女性のようですよ

へえ・・・そうなのか・・・

 執事の朝日は、嘘や言い訳が苦手だ。そのせいでいつも亮に怒られる。正直すぎるのも問題なのかもしれない。
 その点美菜は、話をすり替えるのが得意だ。・・・いい意味で。ただ、感情的になりやすいところがあるため、そんな時は朝日がなだめる。
 こうして欠点を補い合いながら、何とか二人は亮のそばでやっていけてる。なかなか良いコンビだ。まあ、彼らがこんなにも横暴な亮に仕える事ができるのは、もう一つ、理由があるのだが・・・
 それはそうと、さすがにベテランの二人がいるといえども、このままでは屋敷を維持する事もままならない。それどころか、亮が御曹司にふさわしい人間に変わらなければ、花見財閥に未来はないのだ。

 三人の後ろで、小さくドアが開く音がした。ドアの隙間からは、こちらの様子をうかがう少女が見えた。

誰だっ!!?

ふええっっ!

 少女は驚いて、つい変な声を出してしまった。 
しばらくすると、ドアが開き、姿を現した。

あっ・・・あのお・・・こちら、花見、賢三さんのお宅で、間違い、ないでしょうか・・・?

 花見賢三は、亮の父親の名前だ。彼は琴たちの雇い主で、今は海外で亮の母と夫婦で仕事をしている。
 

朝日

はっ・・・はいっ!そうです!もしかしてあなたは・・・

はい。今日からここでお世話になります。父が経営しております月見事務所から参りました、月見琴と申します。
至らないところも多いですが、どうぞよろしくお願いいたします

 琴は微笑むと、丁寧にお辞儀をした。

美菜

良かった・・・仕事をする前に逃げられてしまったんじゃないかと、心配だったけど・・・

逃げ・・・る?

美菜

い、いえ。なんでもありません・・・あ、そういえば、ベルを鳴らされなかったんですか?お迎えもできず、すみません

あ、えっと・・・鳴らすには、鳴らしたんですけど。先ほどの大きな声でかき消されちゃったみたいで・・・・?

 琴は戸惑った。亮が急に立ちだし、自分の周りを回り、じろじろ眺めてきたからだ。
 どう反応していいのかわからない。

えっと・・・あのお・・・?

お前・・・色気ねえな

!!!?

なーんだよ。美菜が新しい使用人は女だとかいうから、俺はてっきりセクシーダイナマイトみたいな子が来んのかと思ったら・・・こんなちんちくりんのチビだったとは。
あー期待して損した

なっ・・・!!

 腹が立つ・・・というよりも、この先こんな人に仕えるのか・・・という事にがっかりせずにはいられなかった。「手に負えない。」そんな風には聞いていたものの、さすがに初対面の自分相手にそんなことを言ってくるとは・・・琴は完全に不意を突かれた。
 確かに自分はまだ幼い。セクシーダイナマイトでもないだろう。色気なんかもない。だが、私はまだ16だ。背は低いが、胸だって年相応にあるし・・・何よりも、同い年くらいのこいつに言われる筋合いはないのだ。
 ーーだが、私は自分の意思でここに来ると決めた。もう後戻りなどできないのだ。

怒っちゃダメ・・・笑顔笑顔。
私がこの人にのまれちゃ、ダメなんだから・・・

 そう自分に言い聞かせ、琴は一生懸命笑顔を作った。今考えると、その“一生懸命な笑顔”は、かなり引きつっていたと思う。

ご・・・ご期待にそえず、申し訳ありません・・・
で、ですが使用人としての腕は期待していてください!私、一人でお仕えするのは今回が初めてなのですが、見習いとしては、父と一緒に色々なところで経験を積んできましたので・・・!!

 そう言うと、しばらくして亮はさっきとはうって変わって笑顔になった。

ふーん。そうなんだ。さっきは嫌な言い方して悪かったな。まあ、お互い気楽に、楽しくやろーぜ

え、あ・・・はい!

 急に無邪気な笑顔を見せてきて、若干気持ち悪いとも思ったが、それでもやはり根は悪い人ではないのだろうと琴は思った。きっと、人見知りなだけなのだろう・・・と。
 だが、次の瞬間には、そう思ったことを後悔した。

 何が起こったのか・・・一瞬理解できなかった。
ーー濡れてる。
 そう気づいたのはしばらくしてからだった。琴の目の前には、亮が、いつの間に持ってきていたのだろうか、蛇口からつながっているホースを持って、いかにもこちらをさげすむような顔で笑っていた。

私、いま・・・水かけられた!?

 ここまでとは・・・
性格に難があるということはよく知っていた。頭の中でもわかっているつもりだった。だが、自分ならなんとかできるだろうと思っていた。一生懸命まっすぐな気持ちで接していれば、いつかきっと心を開いてくれるだろう・・・と。ここに来て、そんな考えは甘かったと思い知らされた。

ばっかじゃねえの?へらへらしやがって。こんな手に引っかかるなんて、やっぱお前、大した事ねえな。
お前みたいな中途半端なやつがいると、すげえ不愉快だわ。とっと出て行けよ。その方がお前も身のためだぞ

 亮は持っていたホースを放り投げると、くるっと向きを変えて、またあの椅子に座った。

朝日

だ・・・大丈夫ですか月見さん!!み、美菜!早くタオルを・・・!

美菜

あ、は・・・はいっ!と、とにかく一緒にシャワー室に行きましょう!早く乾かさないと、風邪をひいて・・・!

 二人の言葉は、琴の耳には届いていなかった。濡れたままの姿で、琴はゆっくりと亮のもとへと近づいた。
 ーー怒り・・・?いえいえ、そんなものじゃないです。ただ・・・

あれ?お前、まだいたのかよ

 亮はふらふらとやってきた琴を、皮肉っぽい目で見上げた。
 琴の髪からはさっきの水がしたたり落ち、床はぽたぽたと音を立てている。しかし琴は黙ったままだ。

なんだよお前・・・まさか、この俺に指図しようとでも・・・!!

 今度は、亮が驚かされる番だった。
 琴は怒るでもなく、叩くでもなく、逃げ出すでもなく・・・ただ、亮のことを抱きしめたのだ。まるで、ぬいぐるいでも抱くかのように、優しく・・・

大丈夫・・・怖がらないでください・・・私たちは、あなたの味方です・・・あなたは、一人ぼっちなんかじゃ、ないんです・・・

!!!?

 頭が混乱して、どう動いていいのかわからなかった。ただ、不思議なことに、このまま離れたくないと思うような気もちもあった。
 だが、それも一瞬だった。

な・・・なにすんだよっ!!

 亮は琴を押しのけた。顔を真っ赤にしながら。正直、自分でも何が起こったのか、頭の中は整理しきれていないのだが・・・

正直に申し上げますと、それはこっちのセリフです。いきなり水をかけて来るなんて・・・ですが

 琴はさっき亮が放り投げたホースのところへ歩いて行き、おもむろにそれを手に取った。

お、お前、いったいなんだよ!い、いきなり現れて、わけのわかんない・・・!!

私・・・?私ですか?それは・・・

 さっきの亮がそうしたように、ホースの先を亮に向け、琴は水を放った。その先では呆然としてずぶぬれになった亮が、こちらを見ている。怒ってるわけでもなく・・・ただ、唖然とした様子だ。
 朝日と美菜は、ただただその光景をみて色を失っていた。
 水を止めると、琴は、笑顔で言った。

私の名前は月見琴・・・ただの、使用人です。さっきの件は、これでおあいこ、ということに致しましょう

 そして、朝日と美菜の方に向き直り・・・

お屋敷、びしょぬれにしてしまって申し訳ありません。お水まで無駄にしてしまって・・・
ただ、亮さん大変興奮していらしたので、すこし熱さまししなくては、と思ったものですから

美菜

・・・・

朝日

・・・・

 なんと言ったらいいのかわからず、二人は呆然としながら琴を見つめた。
 そして、そんなことはお構いなしに、琴は笑顔で、もう一言付け加えた。 

それから、もう安心してください。これから私が必ず・・・亮さんのことをいい人に変えて見せますからっ!!

 朝日と美菜、そして亮に向かって、「よろしくお願いします。」と、琴は深く頭を下げた。  

「絶対に追い出してやる」
琴の笑顔を見て、亮はひそかに、そう心の中で決心したのだった。

 ~数時間後~
亮と琴のせいでびしょびしょになった大広間も、朝日と美菜の協力のおかげもあって、すっかりきれいになった。

先ほどは、大変お見苦しいところをお見せして・・・申し訳ありませんでした!

 琴は深々と頭を下げ、朝日と美菜に謝罪した。

美菜

そんな・・・顔を上げてください、月見さん

朝日

そうですよ。むしろ、感謝しているくらいです。月見さんはすごいですよ

え・・・

美菜

実のところ申し上げますと、亮様の行動は、私たちでも手が付けられなくて・・・

朝日

情けない話ですが、長年一緒にいる私たちでさえ、亮様にどのように接していいのか、もう分からなくて・・・

そう、なんですか・・・

 ーー彼を・・・亮を変えるには、一体どうしたらいいのだろうか?ずっと前から一緒にいる二人でさえ、どうしたらいいのかわからないのに、ぽっと出の自分が出来ることなんて、何もないのではないだろうか・・・?
 二人の寂しそうな顔を見て、琴はそんな風に思った。

いけないいけない!私が弱音を吐いてどうするんですか!
とにかく、亮さんのことをもっと知るべきです!このままじっとしていても、何も始まらないのですから・・・!!

 そう思い立ち、亮の姿を探す。しかし、掃除に一生懸命になっていたため気づかなかったが、彼はもうこの部屋にはいなかった。

あの・・・そういえば、亮さんはどこに・・・?

朝日

あ、ああ・・・亮さんならおそらく・・・

はい。どうぞ、亮さん

 琴は、淹れたてのコーヒーを亮の前に差し出した。

お、おまっ・・・!なんでここに・・・!?

朝日さんたちに教えていただいたんです。亮さんなら、きっとここにいるだろう、って

あいつら・・・余計なことを

 ここは、亮の仕事部屋。さっきの騒動のあと、亮はシャワーを浴びて、まっすぐこの部屋に行き、山積みになっている書類に目を通していた。

ずいぶんと難しそうなものを読まれているんですね・・・

 書類をのぞき込みながら、琴がつぶやいた。

ああ、お前なんかにゃ一生かかっても理解できないだろうな

また、そんな嫌味なことを・・・

 そういうと、亮はまた書類に目を戻した。そしてパソコンを開き、何やら作業を始めた。

お忙しそうですね・・・

 今度はパソコンに目を向けて、作業をしながら、亮は答えた。

当たり前だろ。俺は花見財閥の御曹司だ。お前なんかにかまっている暇なんかねえんだよ。用が済んだらとっとと出てけ

むっ・・・
なんですかその言い方は。
仮にも気を遣ってコーヒーを入れてきてくれた相手に向かって・・・!
お礼の一つも言えないんですか!?情けない。御曹司が聞いてあきれます

なんで俺がお前に対して感謝なんかしなくちゃならねえんだよ! 
使用人なんかに・・・!!!

な・・・なんですかそのいい方は!!使用人だろうと貴人だろうと、誰に対しても敬意を払う、それが御曹司として・・・いえ、人としてのマナーなんじゃないんですか!?

はっ!お前が俺にお説教かよ!

ち、違います!私そんなつもりで言ったわけでは・・・ただ!!

もういい!お前みたいなちんちくりんと話しているほど、俺は暇じゃねえんだよっ!!出てけっ!!

い・・・言われなくても出ていきますよ!!

ああ・・・こんなつもりじゃなかったのに・・・

 亮と話をして、少しは打ち解けてもらえるようになるはず・・・だったのだが。逆効果だったらしい。
 一体どうすればいいのか?行き当たりばったりではとてもどうにか出来そうにない。
 ドアの前でうんうんと唸っていると、ふいに誰かに声をかけられた。

どうされたんですか?

 顔を上げて見ると、そこには美菜が立っていた。

美菜

こちらで大きな声が聞こえて・・・何かあったのではないかと心配になって・・・大丈夫でしたか?

 ―ー天使だ。
琴はふいにそんな風に思った。さっきのことを話すべきかどうか迷ったか、大口叩いた手前、弱音を吐くわけにはいかないとも思えた。

な、なんでもありません・・・
すみません、お騒がせしてしまって・・・

美菜

いいえ。元気そうな方で安心しましたわ。わたくしたちにもお手伝いができることがありましたら、なんでもお申し付けください

じーーん・・・
本物の天使だ、この人・・・

美菜

え?

あ、い、いえ。こちらの話です

美菜

あ、そうでした。危なく忘れるところでした。
琴さん、まだお部屋にご案内していませんでしたよね。
今からご案内しますね

え、わ・・・私専用の、部屋があるんですか!??

美菜

ええ、もちろんです。

わ、わあ・・・
私、今まで自分専用の部屋なんて持ったことなくて・・・いつも父といろいろな場所を転々としていたものですから・・・

美菜

そうなんですか・・・でしたら、きっと気に入りますよ。
さあ、行きましょう

はいっ!!

わあ・・・!!

 部屋に入るなり、琴は感嘆の声を上げた。
お屋敷の3階は、使用人たちと、それから亮の部屋があるらしい。主人と使用人が同じ階の部屋にいるなんておかしいと思う人もいるかもしれないが、これは上下関係を意識させないようにしたいという、設立者・花見賢三の案だという。
 ちなみに、琴の部屋の隣が亮の部屋だ。

ほんとにほんとに、こんな素敵なお部屋、私一人で使わせていただいてしまっていいのですか!!?

美菜

え、ええ・・・

 自分の部屋ができたということに、彼女はかなり興奮していた。そのうえ洋風で落ち着いたこの部屋は、そんな部屋を見慣れていない彼女の頬を、さらに紅潮させた。

美菜

本当に嬉しそうですね。

はいっ!!
あ・・・私、もしかしてはしゃぎすぎてしまいましたか?

美菜

いいえ。かまいませんよ

 美菜は笑顔で琴に答えると、次に思い出したように言った。

美菜

そういえば、持ち込みのお荷物は、あそこに運んでおきましたよ。お洋服しか届いていませんでしたが、よかったのですか?

あ、はい。それで全部です。運んでくださってありがとうございます

美菜

お洋服だけじゃ、何かと不便じゃないですか・・・?

大丈夫です。昔から、着の身着のままなところがありますし。家具もこのお部屋のを使わせていただきますし。
そんな事よりも、私にとっての悩みの種は、亮さんです・・・

 さっきのことを思い出し、琴はうつむいた。
 一体この先、どうやって亮を変えていこうというのだろうか。あちらからは完全に警戒されてしまっているし・・・
 そしてふと、あることを疑問に思い、琴は美菜に尋ねてみることにした。

あの・・・お聞きしてもいいですか?

美菜

ええもちろん。なんでもどうぞ

私思うんですが・・・亮さんって、昔からあんな横暴な方じゃ、なかったんじゃないですか?

美菜

え・・・

亮さん、初めてお会いした時からずっと・・・寂しい目をされているんです・・・
私、ずっと思ってたんですけど・・・もしかしたら昔何かあって、そのせいでずっと何かに怯えていて・・・だから人と接するのを拒絶しているんじゃないかな、って

 美菜は琴のセリフにしばらく驚いていたが、やがて笑顔になり、琴に話し出した。

美菜

琴さんは、よく見ていらっしゃるんですね・・・
はい。琴さんのおっしゃる通りです。昔の亮様は、今とは全く正反対で・・・とても明るく誰とでも仲良くお話しなさっていて・・・御曹司という名に恥じない、本当に素敵な方でした・・・

では、どうして・・・いつから、あんな風に?

美菜

そうですね・・・話すと、長くなってしまうのですが・・・よろしいですか?

私なんかでも、亮さんのお役に立てることがあるかもしれないなら・・・努力したいんです!!
お願いします!

美菜

・・・はい

 -二年前

 花見亮、十七歳の誕生日。
この日、花見財閥の別荘では、壮大な誕生日会が催されていた。

今日は私のために、このような盛大なパーティーを開いていただき、誠にありがとうございます。
皆さま、どうぞ心ゆくまでお楽しみください

 会場は、多くの著名人や、財界人によって埋め尽くされていた。
 亮は、朝からずっと挨拶回りに追われていたが、ようやく解放されて、人混みから少し離れた場所で休憩をとっていた。すると、頭の上で自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

う・・・りょ・・・う、りょーうっ!!

えっ・・・!!?

 何事かと、慌てて目を覚まし体を起こすと、そこには見慣れた顔が、キラキラした笑顔でこちらを見ていた。

俊明

よっ。なんだか大変そうだな、亮

なんだ俊かよー・・・
あ―びっくりした

 彼の名前は、日向俊明。亮の幼馴染であり、彼自身も、有名な財閥の御曹司である。花見財閥は日向財閥とよく交流しているため、会食などで会う機会も多く、またお互いに気が合うと言うこともあり、小さなころからずっと仲良くしている。
 亮にももちろん友達はたくさんいるが、人生の中で親友と呼べる人物は、俊明ただ一人だった。

俊明

なんだとは何だよー!
せっかくわざわざ来てやったのにー

悪ぃ悪ぃ。冗談だよ。来てくれて、ほんとサンキュな

俊明

親友の誕生日だろ。来て当然だっ!
あ、そだ・・・ほい、これ。いちおープレゼントな

 そういうと、俊明は胸ポケットから小さな包みを取り出し、亮に手渡した。

おおっっ!!
ありがと!!ほんとサンキュっ!
これ、開けてもいいか!?

俊明

お、おお・・・

 包みを開いてみると、そこには、“Ryo Hanami”と名前の彫られた万年筆が入っていた。

おおーなんだこれ!すっげえ格好いいじゃん!
さすが俊!センスいいな

俊明

まあな。ほら、俺らはこれから大人になるにつれて、そういうの一本や二本は必要になってくるだろうし。
何本持ってても無駄にはなんねえだろ

ああ!ありがとうな。これ、ずっと大切に使わせてもらう!

 しばらく談笑したのち、亮はまた挨拶回りなどの仕事が入ってしまい、二人はそこでいったん別れた。 

来月のあいつの誕生日には、これに負けないくらい、いいプレゼント用意しねえとな

 多くの人との挨拶や業務をこなす中、胸ポケットの万年筆を見ながら、亮は思った。

 日もすっかり暮れて、そろそろパーティーもお開き、という流れになってきた。閉会式のスピーチまでは、まだあと少し時間がある。

まだもう少し時間あるよな・・・
俊、きっとまだ帰ってないよな。さっきドリンクの場所にいるのをみかけたし・・・もしいるなら、会ってもう一度お礼言おうかな。
まだ話たりねえしっ!

 そう思い、亮はさっき俊明を見かけたドリンクコーナーへと向かった。
 そこでは俊明が、他の友人数人と楽しそうに話していた。

やっぱいた。
なんか楽しそうだな。俺も混ざろっと

おーい!

 そう言って俊明たちに近づこうとした瞬間・・・

俊明

亮って、ほんとうっぜえよな

 聞き間違いかと思った。
 小さい頃からずっと一緒にいた幼馴染が、親友が、そんなこと言うはずないと思った。
 だが、追い打ちをかけるように、俊明は友人たちと話をつづけた。

俊明

ちょっとほかの財閥より金持ちだからって、えっらそうにしやがって・・・
あいつ絶対思ってるぜ。「自分が一番だ。ほかの奴らは俺より下なんだ」って。
花見財閥は確かにすげえよ?でもあいつは御曹司ってことに甘んじて努力もしない、所詮は単なる親の七光りさ。
へらへら笑うだけで、なんもできねえの。

 ーーそんな事・・・あいつが言うわけがない。
 亮は子供の時から“親の七光り”と言われるのだけは嫌だと、勉強も礼儀作法も、誰よりも必死に勉強し、誰よりも努力をしてきた。それを、俊明は一番近くで、ずっと昔から見てきているはずなのだ。・・・なのに・・・なぜ?

 俊明は亮の悪口を言いながら友達と笑いあっていた。自分の目も、耳も、信じられなかった。
 ーーこれは、何かの間違いだ・・・
 そう自分に言い聞かせようとしたが、簡単にはできなかった。亮は下唇をぎゅっと噛み、目にこみ上げてくるもの熱いものを、必死に止めようとした。

おい、あれ・・・亮じゃね?

 友人の一人が、亮がそばにいることに気が付いた。
 「やっべ。」「聞かれたんじゃね?」
そんな言葉が聞こえてきた。亮の怒りを買うまいと、まるで自分たちは関係ないかのように、俊明以外の友人らは人混みの中へ逃げていった。

俊明

ちっ。
あーあ・・・せっかく人が楽しく話してたってのによおー・・・

 俊明は手元にあったグラスを手に取り、それを一口飲んだ。

俊明

それで?なんだよ。
御曹司君は盗み聞きが趣味だったんですか?

 悪びれた様子もなく、俊明は亮に向かって棘のついた言葉を放った。

別に、そんなつもりじゃねえ・・・

 ーーまだ、信じたい。
 亮の心の中では、俊明を信じる気持ちと、目の前で見聞きしたことで抱いた感情が、葛藤していた。

 ーー大丈夫、あいつは、俺の親友なんだから。
 精いっぱいいつも通りに話せば、いつも通りの答えが返ってくるのだと、亮は信じていた。信じたかったのだ。

お、お前、さっきのはさすがにきついだろ。
いくら冗談ったって、言って良いことと悪いことの区別くらい・・・

俊明

は?本心だけど?

 冷たい水を、頭からかけられたような寒気が、全身に走った。
 今のは聞き間違いなんかじゃない。間違いなく、俊明の口から発せられた言葉だ。

お、お前・・・なんで、そんな事・・・俺たち、親友じゃ・・・!

俊明

はっ。
親友・・・?ばっかみてぇ。それは・・・そんなの、“ごっこ”だよ、“ごっこ”

ごっ・・・こ?

俊明

ハナっからお前のことなんてどうでもよかったんだよ。俺がお前に近づいたのは、お前が「花見家の人間」であるということ以外に、理由なんかねえよ

そんなはずないっ!俺とお前があったのは、物心つく、ずっと前だったろ!?あの時にお前が、俺が花見家の息子だから近づいたなんて・・・嘘つくならもっとましな嘘つけよっ!

俊明

・・・

つっ・・・!!
どうして、こんなことに・・・
一体何があったんだよお前!そんなこと言うなんて!どうしちまったんだよっ!!黙ってんなよっっ!!

俊明

・・・どうした?・・・いや、違うな。
元の俺が!!・・・この俺だ

 言葉が出なかった。怒りと、悲しみと、憎しみと・・・言い表せない感情が、胸の中で嫌な渦を巻いていた。どうしようもないくらい、気持ちが悪いものだった。
 

 亮の叫び声が聞こえたせいだろう。騒ぎを聞いた人たちが、亮と俊明の周りに集まってきた。

俊明

じゃ、俺は帰りますわ。面倒ごとはごめんなんでね

 そう言って、俊明は亮の横を通り抜けようとした。だがその時、ふと、亮の胸ポケットにある万年筆が目についた。
 そして、亮の肩に手を当ててそっと、耳元でつぶやいた。

俊明

そういやその万年筆、ほんとはぜーんぶ執事に用意させたもんなんだよね。
そーんなものに浮かれちゃって・・・ほんとお前って、その万年筆にお似合いで、安っぽい奴

 さっきまで水に打たれたように冷たく感じていたはずが、今はうって変わって激しい熱に、全身が襲われた。

  バシッ・・・・・!!!

 

 

 鈍い音が、会場に響いた。
 その音と同時に、俊明はドリンク台の方へと吹っ飛ばされていた。 
 意識的にか、それとも無意識なのかはわからない。だが気づいた時には、亮は俊明の右の頬を思いっきり殴っていた。

俊明

いっっっ・・・てええ・・・!!!
何しやがんだよっっ!!

もう・・・いい。
それがお前の本心だったんだな。よくわかったよ

 それだけ言って、立ち去ろうとすると、亮は後ろからものすごい勢いで肩をひかれ、次の瞬間には殴られていた。

!!!!!

俊明

!!!!!

 それから、二人の殴り合いが始まった。周りに人だかりはできるものの、誰も二人を止めることはできず、ただただ青ざめて二人を見ていた。
 ドス、ドス、と二人の殴る音だけが、嫌に耳に響いた。

 しばらくしてから、見物人の誰かが呼んできたのだろう、警備員が駆けつけて、二人の喧嘩は終わりを告げた。
 その後は、もちろん閉会式どころではなく、救急車が何台も駆けつけて、二人ともそれぞれ家の人にひどく叱られた。
 それ以来、二人は合うことなく、連絡を取り合うこともなかった。

 

美菜

あの事件以来・・・亮様は別人のようになってしまわれました。
一番信頼していた方に裏切られ、おそらく、もう何を信じればよいのかさえ、わからなくなってしまったんだと思います。
裏切られるくらいなら、最初から信頼しなければいいのだ・・・と

・・・・・

美菜

ですが有り難いことに、亮様が幼いころからお仕えさせていただいている私たちのことは、一度も追い出そうとしたことはありません。
辛くあたられることは多いですが、それでも、その中には私たちに対する、“信頼”が残っているのだと思うんです。
だから私たちは、絶対に亮様の傍を離れないと、決めたのです。昔の優しい亮様を知っている私たちだからこそ・・・あの方の信頼を、裏切らないためにも

・・・

         親友の裏切り

 それは彼にとって、なりよりも耐え難いことだっただろう。そうでなくても、彼は小さなころから、御曹司だということで誘拐されそうになったり、嫌な大人たちに両親に取り計らってもらうよう空っぽの言葉をかけられたり。
 “信頼”という言葉は、普通の子供よりも重いものだと、亮は知っていた。だからこそ、俊明に裏切られたことで、“信頼”というものの存在を、信じることができなくなってしまった。
 それは、どれだけ悲しい事だっただろうか。その時の亮の気持ちを考えると、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。

でも、だからこそ・・・私は、亮さんをこのまま放っておくわけにはいかない・・・!!

ありがとうございます、美菜さん。悲しいけど、本当のことを教えてくださって。
でも真実を知ることができたからこそ、余計に亮さんのこと、助けたくなりました

美菜

!!・・・・

よーし!さっそく明日から、作戦開始ですっっ!!

美菜

作戦?

はいっ!!
「亮さんを変えよう☆大作戦」ですっ!

美菜

・・・・・
私や朝日にも協力できることがあったら、なんでも言ってくださいね

!!
はいっ!美菜さん!

美菜

美菜でいいですよ。琴

え、じゃ、じゃあ・・・美菜・・・

美菜

はい

 こうして、琴と美菜は仲良くなり、作戦について遅くまで話し合いました。
 でもそんな楽しそうな二人の隣で、苦しむ人が一人・・・

(≧▽≦)

美菜

(^^♪

ああ、もうっ・・・
うるっさくて眠れねえよっ・・・!!

 そういって亮は布団を頭の上までかぶった。だが、二人の笑い声は未だ止まない。仕方なく起き上がり、亮は自分の部屋の机の引き出しを開けた。

 そこには、“Ryo Hanami”彫られた、折れた万年筆があった。そう、これは紛れもなく、2年前俊明からもらった誕生日プレゼントだ。俊明とのもみあいの中で、知らないうちに落としてしまっていたらしい。そして、誰かに踏まれたせいか折れてしまったものを、朝日が見つけてくれて亮に手渡した。最初のうちは捨てるよう言っていたが、捨てるに捨てきれず、ずっと亮の引き出しの中で眠っている。

俊・・・なんで・・・なんでだよっ・・・!!!

 小さくつぶやくようなその叫び声は、琴と美菜の笑い声の中に消えていった。

ふわああーー・・・
うう・・・ねむっ・・・

 屋敷の入口で、大きなあくびをする人物が一人。
結局昨日は隣からの声で眠ることができず、亮はおかげで寝不足になっていた。
 夜が明け、朝日を浴びようと屋敷の外に出てきていたのだ。そんな彼を、後ろからひっそりと見つめる影が一つ・・・

・・・何かようか?

ひえっ?・・・ば、ばれてる・・・

 観念したように、柱の陰からことが出てきた。
 自分の中ではうまく隠れていたつもりだったようだが、正直部屋を出てくる時点で、ついてきていることはバレバレだった。

ったく・・・
なに企んでんだ?人の後ろこそこそついてきたり・・・

・・・言ったじゃないですか。私は、亮さんを変えるためにここに来たんです。
だからそのためには、亮さんのこと、もっともっと知らなくちゃ!と思いまして・・・

勝手なこと言うなよ!
俺のこと、変えてくれなんて誰が頼んだ!!?
俺は別にこのままでいいんだよ!変わる必要なんてねえし、変わりたいとも思ってねえ!!

それは・・・人と接するのが、恐いからですか?

!!!!?

でも、逃げたって解決しないんです!
人と接することを逃げたって、ずっとそうしていられないことぐらい、亮さんが一番よくわかってるんじゃないですか・・・!!?

 琴の言葉は、痛いくらい核心をついていた。自分でもそんなことわかっている。だけど、やはり認めるのは怖かった。2年前のことを、思い出すようで。

逃げる!?俺は逃げてなんかねえっ!お前が勝手にそう思ってるだけだろ!

逃げてるんです!!
そうやって、人にひどい事言って、その人を遠ざけて・・・自分が傷つかない様に、周りと一定の距離を保って・・・!!

!!?

確かに、そうしていれば楽ですよね。裏切られることもない、自分が傷つくこともない・・・
でも、それが他の人をたくさん傷つけているのが、どうしてわからないんですか!!?
このままずっと、知らんぷりして逃げ続けるんですか!?あなたを大切に思っている人たちから・・・ずっと信じていた親友から・・・!!

!!!?
おまえ、なんでその事・・・

あっ・・・
い、いや、その・・・

お前に何がわかるんだよ・・・!!
知ったふうな口ききやがって!
お前に俺のことがわかってたまるか!

・・・確かに・・・私は、昨日ここに来たばかりで、亮さんのこと、全部わかっているなんて言えません・・・

だったら黙って・・・!!!

でも、放っておけないじゃないですか!!!?

!??

辛いなら、それ・・・私にも、美菜にも、朝日さんにも・・・分けてください。
辛いの代わるのは、不可能かもしれないですけど・・・一緒に背負うことくらい、させてもらえませんかっ・・・!?

 まっすぐに亮の事を見つめる琴の目は、少し弱々しかった。でも、嘘でもいいわけでもなく、彼女の言葉はすべて彼女の本心からきている事をよく表していた。
 ーー信じて・・・いいのか・・・?

な・・・なんで会ったばかりの俺に、お前はそこまで一生懸命になれるんだよ・・・!!

・・・理由がなければ、だめですか?
亮さんは、人と関わらないことで、人を傷つけないようにしようとされてました・・・でも、これからは、もっと頼っていいんです。私たちの所になら、何度だって逃げてきていいです。逃げてきてください。だから・・・もうこれ以上、自分に嘘をついて、私たちから逃げないでください・・・!

つっっ・・・・・・!!

 向き合いたくない現実を突きつけられ、それと同時に優しく手を差し伸べられた気分だった。気を抜けば、きっとすぐにでも涙があふれて止まらなくなってしまうだろう。もちろん、そんなの琴の前では、亮のプライドが許さないだろう。
 だが、「もう、一人で抱え込まなくていい」そう思えることが、どれだけ亮の気持を楽にしたかは計り知れない。
 「ありがとう」
そう一言いえれば、いいのに。でもそうすぐには素直にはなれない

お前が思っているほど、それは簡単じゃないと思う・・・
それでもお前は、俺の事見捨てないと、言えるのか?
きっと俺は、また美菜や朝日を傷つけるかもしれないし・・・お前だって・・・!

望むところです。どこまでも、いつまでも、絶対に亮さんの事、見捨てません。
もう嫌だ、って言われても、どこまでもしつこく一緒にいる自信なら、私は世界中の誰よりもありますよ?

・・・勝手にしろ・・・!!

!!!
・・・はい。ありがとうございます

・・・

 ずっと背負っていた重いものから、解放された気分がした。自分が求めているものが、何かわからなかった。傷つけるのが怖くて、人を遠ざけ、逃げて、逃げて、逃げ続けて・・・
 逃げた先に何があるかもわからなかった。でも、もうそれを考える必要もなくなった。・・・なぜなら、もうにげなくていいのだから。傍で一緒に、戦ってくれる人が・・・いるのだから。

亮様っ・・・!!

 亮と琴の後ろで、二人の声が響いた。

朝日

!!!

美菜

!!!

 そこには、涙目になりながら立つ、朝日と美菜の姿があった。
 実のところ、二人は少し前から亮と琴の様子を見守っていた。本当は自分たちも駆け出していきたかったが、まっすぐに亮を見つめることの目を見て、ここは琴に託すことにしたのだ。

朝日

亮様・・・本当に、申し訳ありませんでした。
今まで・・・私たちも本当は、心のどこかで怯えていたのかもしれません。亮様に嫌われたくなくて、まっすぐに向き合うことが怖くて・・・

朝日・・・

朝日

でもこれからは、私も美菜も・・・もちろん琴さんも、絶対に亮様から逃げたりしません!

美菜

だからいつでも・・・私たちの事頼っていてください。信じていてください。それが、私たちの喜びなんですから

 ーーああ、そうか・・・俺の求めていたものは・・・

信頼できる・・・だれか・・・

 ーーそれに気づかせてくれたのは・・・あいつだったのか・・・

 ふと、亮は琴と目が合う。


・・・?

 琴は笑いかけるも、亮はすぐに目をそらしてしまう。
 「ありがとう」と、ただそれだけ言いたくて・・・でも、言えなくて・・・
 それでも心の中では、何度も、何度も、何度も、何度も・・・「ありがとう」を繰り返した。

そういえば、よくよく考えれば、亮さん先ほど、「会ったばかりのお前に・・・」とおっしゃってましたが・・・私、会ったばかりではありませんよ?

え。
でも、俺、お前にあった覚えなんて・・・

へ?・・・あ、そ、そうでしたね!いやだなー私、すぐそういう勘違いしちゃうんですよ。
なんでもないですから、気にしないでくださいね

え?あ、ああ・・・おう

そ、それじゃあ私は朝食の準備をしてきますね。
行きましょう、美菜

美菜

ええ

 琴と美菜は、楽しそうに話しながら屋敷の入口へと向かう。二人の後ろ姿を見ていると、ここ二年間ずっと背負っていたものが・・・・張りつめていたものが、急にほどけていくのがわかった。

 ドアの閉まる音で、急に気が向けてしまったせいか、亮はその場にへたり込んでしまう。

朝日

りょ、亮様っ!!!
だ、だだだ大丈夫ですか!!?

 朝日が慌てて亮のもとに駆け付ける。しかし、当の本人は・・・

ぷっ

朝日

え・・・?

ははっ・・・はははっ・・・・

朝日

えっ、りょ・・・亮様・・・?

ああ・・・悪い。
でも、なんか・・・すげぇ安心したっていうか・・・気が、抜けちまって・・・

朝日

・・・そうですか

朝日・・・後で、美菜にも言うつもりだけどさ・・・
今まで、厄介で腹の立つ主人で・・・本当に悪かった。
・・・ごめん

朝日

亮様・・・

でも・・・これからはお前たちの自慢の主人になれるよう、また頑張るからさ・・・
これからも、俺について来てくんねえかな?

朝日

亮様・・・!!

 もう、昔のように笑いあえる日は、来ないんじゃないかと思っていた。現実は残酷なもので、見ないようにして、過去の理想ばかりを、追い求めてしまっていたのかもしれない。その点で言えば、朝日や美菜も、“今の”亮と向き合うことをしようとしていなかったのかもしれない。
 そんな近すぎて見えなくなっていたことを気づかさせてくれたのは・・・他の誰でもない、琴だったのだ。
 朝日の目に、涙が浮かぶ。

え!!?
おまっ、ちょっと・・・!!
なに泣いて・・・

朝日

*@$%&#・・・

いや・・・全然何言ってるかわかんねえから・・・

朝日

わたくしも・・・!!何もすることができず・・・本当に、申し分けございませんでしたっ・・・!!
ですがもし許されるなら・・・このまま、ここで、亮さんのおそばにいさせてくださいっ・・・!!

朝日・・・

 きっと、朝日も自分と同じように思っていた。接したくても、接せられない・・・これ以上嫌な関係にはなりたくない・・・
 でもそんなの、一歩踏み込んでみなくちゃ、何もわからない。

当たり前だろうっ・・・!!

朝日

りょ・・・亮様ーーー!!
ふえーーん!
わ、わたくし・・・本当に、亮様にお仕えすることができて・・・し、幸せ者ですっ・・・!!

・・・俺も、お前らがいて、本当に幸せもんだよ

 今は心から言える・・・この場所が、好きだ。自分には、信頼できる・・・信頼してくれる、誰かがいる。だから・・・一人じゃないんだ、と。

 この日以来、亮が寂しい目を見せることはなくなった。少しづつだが笑顔を取り戻し、「四人で笑いあって暮らす」そんな些細なことが、本当に幸せに感じられた。
 お屋敷にはまた明かりが灯るようになった。琴という新しい灯も加わって・・・

 だが、この時はまだ、亮は気づいていなかった。
あの時琴が言った言葉の、本当の意味を・・・

~六か月後~

 あの日以来、亮は2年前と同様・・・いや、それ以上の努力を続けている。
 今まで屋敷内でのパーティーや会食は禁止になっていたが、それも解禁となり、屋敷には大勢の人が集まるようになった。
 挨拶回りや新しいプロジェクトの立ち上げ、演説に協定会議など・・・亮は一人前の御曹司になるため、そして何より、琴たちへ恩返しをするため、多くの人と関わり、経験を積んでいった。

お仕事中失礼いたします、琴です。今、入ってもよろしいですか、亮さん。

 亮の仕事部屋の前で、コーヒーとエアメールを持った琴が、中にいる亮に尋ねる。
 「ちょっと待ってくれ。」と、中から声がして、しばらくすると、「ごめん、いいぞ。」と声が聞こえた。
 いつものように、琴はドアノブを開けた。

失礼します。
琴ちゃん特製、“じっくりコトコト煮込んだコーヒー”おまちどおさまですっ!

ったく、変な名前付けるなよ。
罰ゲーム感しかないネーミングだな

もーう。またそんなこと言って。そんなこと言うなら、もう淹れてきてあげませんからね!

 琴は少し機嫌悪そうに顔を膨らませながら、亮の机にコーヒーを置いた。この会話も、いつもの事だ。

冗談だって。お前のコーヒーが世界で一番うまい事くらい、俺はよく知ってるよ

りょ、亮さん・・・

ま、も少しネーミングセンスも鍛えられたらな

もう。一言余計なんですよ、亮さんは

 そういって頬を膨らますが、そんな琴の表情は、どことなく嬉しそうでもある。
 それから、琴は思いついたように言った。

あ、そうでした。実は、お父上様と母上様から、エアメールが届いています。
どうぞ、これを

 そう言って、琴は亮に封筒を差し出した。

 以前にも言ったように、亮の両親は今、夫婦で海外にいる。花見財閥は海外でも大きな力を持ち、様々な国を回って取引をしたり、協定を結んだりしている。
 
 昔から海外を飛び回っていることが多かったこともあり、両親は亮の事をいつも心配していたが、助け船を出してやることもできず親として申し訳ない気持ちが強かった。
 
 俊明との事件以来以降も、度々手紙を寄こしたり、会いに来たりもしてくれたが、亮はずっと黙ったままだった。お互いに、会っても辛いだけだと、亮は思っていたからだ。
 
 でも琴と出会い、亮は御曹司として昔のように精進するようになり、両親と会う機会、手紙のやり取りも、少しづつ増えていった。

あ、ああ・・・ありがとう・・・

 手紙を受け取ると、亮はそれを手で弄びながら、恨めしそうな顔で見た。

どうしたんですか?浮かない顔ですね

だって・・・お前も知ってるだろ?家の両親の手紙・・・
毎回毎回・・・海をバックに二人で寄り添ってる写真とか・・・マーライオンと一緒に自撮りしてる写真だとか・・・

そんな俺には全く徳のない・・・いや、むしろなにかを失わされるような写真と、仕事と何の関係もない観光地の紹介が書かれた手紙を毎週毎週・・・
仲いいのは構わねえよ?けどな・・・仕事しろよっ・・・!!

 亮の両親は、いわゆるバカップルな夫婦だ。
 仕事という大義名分を使って、海外を飛び回っては毎日新婚旅行気分を味わっている。今までもそんな事ではないかと、亮もうすうすは勘づいていたのだが、以前御曹司として努力しようと決意した亮は、二人にこんな手紙を送った。

父上、母上・・・今まで、たくさん心配をお掛けして、本当に申し訳ありませんでした。
ですが、朝日や美菜、そして琴たちのおかげで、やっと目が覚めました。
俺はこれから、ちゃんとした御曹司となるため、色々な業務をこなして、多くの人と仕事して、経験を積んでいきたいと思います。
そしてゆくゆくは、花見家の名に恥じない、立派な当主になるつもりです。だから父上たちは、安心して海外で頑張ってください。ここは、俺に任せてください

 こんなことを言ってしまって以来、二人の新婚旅行の日々は、更にエスカレートした。
 「なんであんな事書いてしまったのだろう。」と、今ではすこしこうかいしている亮であった。

ったく・・・自分たちが世界的トップの財閥の当主だっていう、自覚あんのかね・・・

ふふ。
でも、私はうらやましいですよ。お互いにこんなにも思い合っていらっしゃるなんて。
簡単な事じゃないですよ

ま、そうだな。
険悪な夫婦よりは、よっぽどいいか

 そういうと、亮は苦笑いをしながら、手紙の封を切った。
 どうせ、いつも通りの写真と、くだらない内容の手紙が入っているのだろう。亮はそう、信じて疑わなかった。
 だが、その予想に反して、中には写真など一枚もなく、いつもより厚みのある手紙の束が入っていた。全く予想だにしていなかった為、正直本当に驚かされた。

なんか、逆に怖いんだけど・・・

 一度だけ、写真のない手紙が来た事がある。その時は、取引先とトラブルになった際、頑固な亮は自分から謝るということをしなかった。それを聞いた亮の父は、亮に四十枚にわたる手紙でお説教され、二時間以上にわたり、電話で叱られたこともある。
 いつもは両親とも亮の事を溺愛しているが、亮が間違っていると思うときは、叱り方が半端ではないのだ。
 
 だが、今回は叱られるようなことをした覚えもない。気づかないうち、何かやらかしてしまったのかと、少し血の気が引いた。

・・・えっ・・・!!

 手紙を読み進めるうちに(実のところ前半部分は夫婦愛を語った、多少無駄な部分が多かったが)、亮の表情は驚きに変わっていった。

どう、されたんですか?亮さん。
何が書いてあったんです・・・?

お・・・俺・・・

はい・・・?

 心配になり、琴は亮の顔をのぞき込んだ。すると、亮は急に立ち上がり・・・

 亮は、興奮気味で嬉しそうに事を抱きしめた。

えっ・・・ええ!!?
ちょっ、ちょちょ・・・亮さん・・・!!!?

やった!!琴!!!
俺、やったぞ!!

な、なにを、やったんですか・・・?

 琴がそう聞くと、亮は少し離れて、今度は琴の両肩を持って揺らしながら、

俺、俺、父上から正式な跡取りとして指名された!!
俺が花見家を継ぐんだっ!!俺、当主になれるんだよっ・・・!!!!

え、ほ・・・ほんとですか・・・?

ああっ!!!

 そう答える亮は、本当に嬉しそうだった。亮は花見家の一人息子なのだから、跡取りに選ばれることはそんなに驚くことでもないかもしれない。だが、亮はその為にずっと努力をし、一人前の御曹司として認められたからこそ、両親がこんな手紙を送ってきたのだと、わかっているからだ。
 「例え実の息子だとしても、能力がなければ跡継ぎとしては認めない。」小さなころからそういわれていた亮にとって、これがどれほど嬉しい事だっただろうか。琴にも、その気持ちは伝わっていた。

本当に、おめでとうございます!
すごいですよ、本当に、亮さんは・・・日頃の努力が、報われる時が来たんですね

・・・・・・
それもこれも、いつも支えてくれる、お前たちのおかげだな

いえ、何を言ってるんですか。全て、亮さんの努力の証です

美菜と朝日が、あの時俺を見放してここを出て行ってしまっていたら・・・琴がここに赴任されず、俺たちと出会っていなかったら・・・
全部たまたま・・・偶然・・・そんな事ばかりだけど、もしそれが一つでもかけていたら・・・今、俺はここで、こんなに喜ぶこともできなかった

亮さん・・・

 半年前、出てきたばかりの自分が、亮に対して偉そうにあんなことを言った事を、琴は少しばかり反省していた。自分だって、完璧といえるほど人とうまく接することができるわけではないし、人を気づ付けた事がないわけでもない。(もちろん、そんな完璧な人なんて、いないのだが)そんな自分が、知ったような口をきいてしまって、本当によかったのだろうか?亮に仕えている半年間、時折そんな事を思っていた。
 
 だが、今の亮のセリフのおかげで、そんな悩みも吹き飛んだ。むしろ、そんな事に悩んでいた自分が、なんだかばからしく思えた。亮は、感謝してくれていたのだ。自分と出会うことで、変わることができた、と。それは琴にとって、どれほどうれしい事だっただろうか。
 そうして感動して頬を赤くする、琴。そして一方で、亮は別の事で頬を赤く染めていた。

それで・・・あの、ほら、だから、俺・・・ちゃんと、お前に・・・伝えなきゃと思っていることがあるんだ・・・!!
もちろん、後で美菜や朝日たちにも言うけど・・・
あの日からずっと・・・お前にちゃんと言えてなくて・・・

??・・・
えっと、亮さん?何の話をされているんですか・・・?
というか、お顔・・・赤いですよ?大丈夫ですか・・・?

 急におかしな様子の亮を心配して、琴は亮の顔をのぞき込んだ。
 しかし、それは逆効果だったようで、亮はさらに顔を赤くし、恥ずかしそうな、歯痒そうな表情で、琴を見つめた。

本当に大丈夫ですか・・・?なんだか様子が変ですよ

ちょ、ちょっと待て

 そう言うと、亮は琴から目線を逸らし、左胸を抑えて小さく深呼吸した。
 そんな亮に、琴はどう反応すればいいのか全く分からず、きょとんとした顔で亮を見つめていた。
 しばらくして、やっと亮がこちらを向いた。

わ、悪ぃ・・・でも、俺・・・今更ながで、ほんと面と向かって言うのは、恥ずかしいけど・・・ちゃんと言う。
・・・琴

え?は、はい

・・・・
あ・・・!!!

 そう言いかけた瞬間、勢いよく扉が開く音がした。何事かと扉の方を向くと、そこには少し青ざめた顔で、息をきらしながらこちらを見つめる美菜の姿があった。
 いつも冷静沈着な美菜がこんなにも動揺し、焦っているなんて、何か相当大変なことが起こったに違いない。二人はそう感じた。

どうしたんですか美菜・・・そんなに息を切らして・・・何かあったんですか?

美菜

はあ、はあ・・・
え、ええ・・・実はちょっと・・・
亮様・・・

え・・・?俺か?

美菜

はい・・・
お客様が、お見えなんです・・・亮様に、会いたいと・・・お通しするべきかどうか・・・

???
別に、通せばいいだろ?なんだよどっかの要人か?着替えてきた方がいいとか、そういう・・・

美菜

俊明様です

・・・え・・・?

美菜

日向・・・俊明様が、お見えです

・・・

 久しぶりに聞いたその名前に、亮はしばし驚きを隠せなかった。
 -日向俊明。
彼こそが、亮の性格を変えた張本人。人生唯一無二の親友で、兄弟のように一緒に過ごし・・・そして、裏切られた。
 それなのに今更・・・いったい何のために、ここへ来たのだろうか・・・?嫌な気しかしない。

日向俊明さんって・・・確か・・・

・・・通していい

美菜

え・・・!?

え・・・!?

 亮の意外なセリフに、琴も美菜も目を丸くした。あんなにひどいことを言われて、最悪な喧嘩別れをしたのに・・・何を考えて、会おうというのだろうか。

い、いいんですか!?亮さん・・・!!
俊明さんって、あの!俊明さんなんですよね!?

ああ、わかってる・・・
大丈夫だよ。心配すんな

 亮は二人に向かって微笑みかけた。だが、琴も美菜も納得のいかない顔をしていた。

本当に・・・大丈夫なんでしょうか・・・?

 先ほどまで明るかった空も、なんだか雲ががってきていた。そんな空の様子とは反対に、亮の表情は穏やかだった。

 三人は、客間の前まで来ていた。美菜が朝日に伝達して、俊明はすでに部屋の中にいる。
 二年と、半年ぶりに会うことになる。それでも十七年間、家族のように暮らしていた親友だ。亮は、裏切られた瞬間よりも、俊明と一緒に過ごした年月を信じることにした。

 亮は、客間の扉に手をかけた。
十七年間の信頼と、たった一日の裏切りーーたった一日かもしれない・・・だが、あの日の事を思い出し、扉にかけた亮の手は震えていた。
 
 すると、その手を琴は優しく包み込んだ。

琴・・・?

間違ってないです。
・・・俊明さんとお会いしようと決断されたこと・・・亮さんは、間違ってないです

琴・・・

自信を持ってください。あなたは、誰がどう言おうと、今や立派な後継者。そして・・・私たちの、自慢のご主人様なんですから

 琴の笑顔を見て、亮の気持は自然と楽になった。いつの間にか、手の震えは消えていた。もしまた拒絶されたとしても、それを恐れることはない。なぜなら、今はもう・・・一人じゃないのだから。
 亮は美菜と琴と目を合わせ頷き合い、そして、ドアを開けた・・・

 

俊明

!!!
亮・・・!!

 客間の中には、俊明と先に彼の応対にあたっていた朝日がいた。亮は黙って俊明の前まで行き、琴、美菜、朝日の三人は、とても心配そうに2人を見守っていた。

・・・久しぶりだな・・・俊・・・

 二年半ぶりに顔を合わせる二人は、とても気まずそうだった。
 しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのは・・・亮だった。

・・・最近、どうだ・・・?元気か・・・?

俊明

お、おうまあ・・・それなりにな

 正直、何を話せばいいのか、亮には分らない。一体何のためにここへ来たのだろうか?俊明はいつも唐突で、よく分からないことをする。

俊明

お前は、相変わらずしけた面してんな・・・
今も、親の仕事とか、手伝ってんのかよ

むっ・・・なんですか、その言い方・・・!!

ああ。まあ、それなりにな

 俊明の言葉にムッとする琴。一方で、優しい笑顔で答える亮。
 俊明は、また口を開いた。

俊明

にしても、お前はほんとヘタレだよな~あの後全く連絡もしねえし・・・人の事避けるようになったとか噂も出てたし・・・
あんな些細なことでこんな風になるなら・・・お前、やっぱり御曹司なんて向いてねえんじゃないのか?

なっ・・・!なんなんですかさっきから!その言い方は・・・!!

 俊明の言葉にカッとなっていきり立つ琴を、亮は腕をつかんで止めた。「どうして怒らないのか」と言いたげに、琴は亮を見つめた。そして亮は、「大丈夫」と言うように、琴に笑顔を向けた。
 そして琴の前に立ち、俊明と正面から向かい合う形になった。

そんな事を言うためだけに・・・ここに、来たっていうのか?

俊明

・・・だったら・・・何だってんだよ

 そう言い捨てた俊明をじっと見つめて、亮は左手を振り上げた。その瞬間、部屋にいるもの全員がぎょっとした。特に俊明は、とっさに身構えていた。
 が、亮の振り上げられた左手は、全員の予想に反する場所にあった。そう、亮の頭の後ろだ。亮はてれるような仕草を見せて、俊明に言った。

だとしたら・・・心配してくれて、サンキュな

俊明

・・・!!

 俊明だけではない、美菜も朝日も琴も・・・その場にいる全員が、驚いて何も言えなかった。俊明の言葉は、皮肉だらけで・・・人を怒らせるような口ぶりで・・・でも、亮は確かに気付いていたのだ。俊明の、不器用な優しさを。亮だけは・・・気づいていたのだ。

俊明

なんで・・・!!怒らねえんだよっ・・・!!

なんだよ、お前怒ってほしいのか?

俊明

っ!!
そうじゃなくて!今日の事抜きにしたって、俺はお前に、二年半前、一方的にひでぇことして、俺は、お前・・・裏切って・・・

 それだけ言うと、俊明は涙を隠すように下を向いたまま、黙っていた。亮はそんな俊明を見て、その隣に行き、背中をさすってやった。

確かに・・・半年前の俺だったら・・・多分すぐ頭に血が上って・・・お前の事、殴ったりなんかもしてたかもしない・・・
でも・・・俺、変わったんだ・・・変われたんだ。あれからずっと、あの日の事考えていた・・・でも、考えれば考えるほど・・・お前の言葉には、きっと何か理由があったんじゃねえかな、って。そんな結論しか出てこなかったよ。だからさっきのお前の言葉も、今の俺には、冷たい言葉には、聞こえなかったよ

俊明

・・・!?

俺の事想ってくれてる・・・すっげえあったかい言葉だ

俊明

・・・!!!

でも、もうそんな心配もいらないから。
・・・確かに、半年前までは、結構荒れてた。俺は何も悪くないのに・・・って。全部俊のせいにして、何も冷静に考えられてなかった。
でも・・・でもな。俺の周りには、信頼できる人がいて・・・俺の事、見守ってくれる人がいて・・・だから俺・・・一人なんかじゃないんだ、って。そう、思えるようになったから

俊明

亮・・・!!

俺も、これまで連絡してなくて・・・ごめん。仕事とかで忙しくてさ。でも、もう少し落ち着いたら、ちゃんと連絡しようって決めてた。
先、越されちゃったな

 亮がそう言って、俊明に笑いかけると、俊明の目には涙があふれた。

俊明

俺っ・・・!!
本当に、ごべっ・・・ごめんっ・・・!!俺・・・お前の事・・・今でもずっと・・・!親友だと・・・思ってるんだ・・・!
でも・・・あんなこと言った手前・・・!素直に、連絡もできなくて俺・・・!!
今日だって、ちゃんと・・・ちゃんと謝りに来るつもりだったのに・・・!!上手く・・・言えなくって・・・!!
プレゼントだって、俺がめっちゃ考えて、お前にあげたものだった、のに・・・!!

分かってるよ。お前、昔っから不器用だもんな

俊明

・・・本当に・・・ごめん・・・
亮、俺・・・

もう、俺は気にしてねえから。お前ももう・・・気にすんなよ。

俊明

!!!
・・・ありがとう、亮・・・

あ・・・でもさ、一つ気になることがあって・・・お前あの誕生日パーティーの日・・・何があったんだ?昼前までは、普通に過ごしてたじゃねえか。一体、その後何があったんだよ。

俊明

実は、俺・・・あのパーティの中に・・・今日子ちゃんを見つけたんだ

え・・・まさか・・・

美菜さん・・・今日子さん、とは?

美菜

確か、俊明様の想い人です

俊明

そう、それで・・・俺の長年の想いを、打ち明けてみることにしたんだ・・・!!

すげえな・・・!
頑張ったじゃん!お前!

俊明

・・・問題は、その後・・・なんだよ

俊明

ずっと好きだったんだ・・・!頼むっ!!俺と、結婚を前提に、付き合ってくれ・・・!!

今日子

えっ・・・!!
う、嬉しい・・・

俊明

ほんとっ!!?

今日子

でも、ごめんなさい。私俊明さんとは付き合えないわ

俊明

!!
なっ・・・!なんで・・・

今日子

私の理想のタイプはね、俊明さんのお友達の、花見亮さんみたいな人なのっ・・!!彼、自分が御曹司だってことに甘えず、一生懸命努力してるじゃない?
私、そういう努力家で、頑張り屋さんな人が好きでー

お前まさか・・・それで・・・!

俊明

ああ、完全に俺の八つ当たりだった・・・ほんと、ごめん・・・

 俊明の意外な答えに、亮は拍子抜けして、しばらくすると、驚きが笑いに変わった。

なんだそんな事かよ・・・!!
あー・・・心配して損した

俊明

俺にとっては、おっきな問題だったの

・・・でも、今はもう、大丈夫だよな。
また、一からやり直そうぜ・・・俺たち

 そう言うと、亮は俊明の前に手を差し出した。そして、俊明も亮のその手をしっかりと握った。

俊明

ああ・・・!
俺はこの先・・・何があろうと、もう二度とお前を裏切ったりしないから

そりゃ安心だ

 そう言って笑いあう二人は、まるで少年のようだった。無邪気な笑顔は、本当にお互いが信頼し合っている証拠なのだと、琴は思った。
 そんな時、俊明は突然何かを思いついたように顔を上げた。

俊明

一から、やり直す・・・

どうした?俊・・・

俊明

そうかっ!!そうだよな。また一からやり直せばいいんだ!!
アドバイスサンキュっ!亮!
じゃあ俺、また今日子ちゃんに告白、リベンジしてくるっ・・・!!

へっ!?ちょっ、お前何言って・・・せっかく久々に来たんだし、お茶だけでも・・・

俊明

待っててね、今日子ちゃーーーーーーんっ!!!

 そう言うと、俊明は亮の声も耳に入らず、全速力で部屋を出て行った。よく分からない言葉を叫びながら。
 そして亮はと言うと、俊明の行動にはそれほど驚きもしなかった。むしろ、俊明の唐突な行動に懐かしさを感じて、「変わんねえな。あいつも」と、笑いながら言った。だが、しばらくして、亮は膝を落としてしゃがみこんでしまった。

亮さんっ・・・!!?
大丈夫・・・ですか・・・?

あ、はは・・・ちょっとな。多分、拍子抜けして、ちょっと、腰が抜けた・・・
ははっ・・・かっこ悪いなー・・・俺

・・・かっこいいです

・・・え?

さっきの亮さんも・・・今の亮さんも・・・最高にかっこよかったです!!

琴・・・

美菜

私も、とても素敵だったと思います。品格と思慮深さ・・・まさに、花見財閥の跡取りとしてふさわしいです

朝日

これでもう、花見家も安泰ですねっ!大地主様も、きっと近いうちに認めてくださるんではないでしょうか

ああそうだ・・・お前らには、まだ行ってなかったな。
実は、さっき手紙が来て・・・

 それからまた、半年の月日が流れた。琴が花見家に仕えるようになってから、早一年。本当に色々なことがあった。それでも四人力を合わせて、なんとかこの日を迎えることができたのだ。この日・・・そう、今日は、亮の二十歳の誕生日。そして、後継者発表会の日・・・

ったく・・・あいつ、一体どこに行ったんだ・・?

 今日の後継者発表会で、亮は正式な跡取りと発表される。そしてその後、亮の二十歳の誕生日会も催される予定になっている。そんな今日の主役は、洋服や髪形も完璧に整えた姿、屋敷内を歩き回っていた。

なんでこんな大事な時に・・・

 そんな亮の前から、見覚えのある顔がやって来た。

俊明

よっ!!亮!今日は本当におめでとう

俊・・・!!本当に、来てくれたんだなっ!

俊明

あったりまえだろー
大事な親友の、晴れの日なんだからよっ!

 そう言って俊明は、満面の笑みを亮に向けた。そして改めて、「おめでとう」と言った。

ああ、ありがとうな。お前の時も俺絶対行くからな。
そういえば・・・あの子、一緒に来てるんだろ?

俊明

えっ?あっ、ああ・・・俺の“彼女”の!!今日子ちゃんっ!?

そんなに彼女を強調しなくていいから

俊明

もちろん“彼女”もいっしょに来てるよ。先に席で待っててくれてるんだ

ゆっくりしてってくれよ

俊明

ああ、ありがとう。あ、と・・・その前に。ほら、これ。後継者発表の祝いの品だ

 そう言って、俊明は小さな縦長の包みを取り出した。そしてそれを、照れくさそうに亮に渡した。

え?いいのか・・・?ありがとう・・・

 包みを開けてみると、それは三年前、俊明が亮に誕生日プレゼントにとくれたものと似た、“Ryo Hanami”と名前の彫られた万年筆があった。

え・・・これ・・・

俊明

ほら、あの時やった万年筆、折れちまったんだろ・・・?ずっと渡したかったんだけど・・・渡せずに、今日まで来ちまったよ。そんで、今日がいい機会だと思って・・・

 そうやって話す俊明は、どこか恥ずかしそうだ。頬をかきながら、照れ笑いをしている。

・・・ありがとう、俊。今度こそ、絶対に宝物にする

俊明

・・・おうっ!
その万年筆も、俺が三年前誕生日にやったやつも・・・全部、俺が考えたものだからな。大事にしろよ

おうっ!

 そう言って笑い合う亮と俊明の笑顔は、心からの本当の笑顔だった。見ているこちらまで、笑顔にさせてくれるような・・・三年前、もう見ることができないと、思われていたものだった。
 そして、俊明は笑顔で言った。

俊明

じゃ、俺、“彼女”待ってるんで行くわ。また後でなー

ああ。来てくれてありがとう

 そう言うと、俊明は「今日子ちゃーーん」と会場の方へ駆けていった。そして亮も、もう慣れたよと、笑顔で見送った。

それよりもあいつ・・・ほんとにどこに・・・?

亮さん

 ふいに、亮は後ろから名前を呼ばれた。声のする方に振り向くと、そこに立っていたのは美菜と朝日だった。

美菜

ご準備は、もうお済ですか?もうじきお父上様と母上様がお着きになるころですよ

あっ、あ、ああ・・・ありがとう、二人とも

 二人に笑いかけると、次の瞬間、急に朝日が泣き出した。

えっ、ちょっ・・・!!大丈夫か!?朝日っ!!?

朝日

はいっ・・・!!
ずびばせんっ・・・!!
なんだか、ここ数年の事を思い出して・・・感、極まってしまって・・・!!

美菜

もう、朝日は泣き虫ですね。まあ、確かに・・・ここ数年は、本当に様々なことがありましたね・・・

朝日

でも、本当に良かった・・・!!私も美菜も、琴さんも・・・!亮様に仕えることができて、本当に幸せです・・・!!

それは・・・俺も同じだよ。ありがとう、二人とも

美菜

はいっ・・・

朝日

はいっ・・・

 その後二人は、「会場の下見をしてきます。」と、二人そろって会場の方へ向かった。

もしかしたら・・・あいつも、先に会場に言ってんのかな・・・
歩き回っても仕方ないし・・・そろそろ時間も・・・とりあえず、会場に行って・・・

亮さん・・・?

 聞きなれた声に、亮の体はすぐに反応した。暖かくて優しい・・・あの、声だ。

こんな所で・・・何をされているんですか?

・・・琴っ!!

は、はい・・・琴ですが・・・

お前どこ行ってたんだよ。ずっとお前を探してたんだよ・・・!

へ?私を・・・ですか?

ちょっと、お前に・・・言いたい、事・・・あって・・・発表会が始まる前に・・・どうしても、言いたくって・・・

 そう言う亮は、どこか恥ずかしそうに赤い顔をしている。琴は亮の言動がよくわからなくて、少し戸惑っていた。

えっと・・・その・・・

すみません、亮さん・・・その前に、私も亮さんにお伝えしたいことがあって・・・いいですか?

え、あ、ああ・・別に、いいけど

実は・・・私、そろそろ時間なので・・・もう、行かなくちゃいけないんです・・・

・・・・・??
え・・・

何言ってんだよお前・・・そんな事、別に改まって言うことじゃねえし・・・会場の下見は、もう美菜と朝日に任せてあるから、急がなくても大丈夫・・・

・・・そうじゃ、ないんです・・・

え・・・?お前、何の話を・・・

亮さん、・・・もう今日まで何度言ったかわかりませんが・・・後継者に認められたこと・・・本当におめでとうございます・・・!!
さすが亮さんです。これからも、お父様たちと力を合わせて・・・頑張ってくださいね

・・・!!!
なんだよそれ、いきなり・・・!!意味わかんねえよっ・・・!!

 せっかくこれから、恩返しをしたいと思っているところなのに・・・しかもなぜこんな時に、自分のもとを離れるようなことを言うのか・・・冗談にしては、笑えなさすぎる。

大丈夫ですよ。私はちゃんと・・・空の上から、見守っていますから

!!!?
・・・な・・・なんだよ、それっ・・・!!
ふざけんなよ!唐突すぎんだろっ!?なんだよ急に・・・空の上って・・・!?

 意味が分からない・・・どうして、こんな事に・・・?亮は混乱していて、もう訳が分からかった・・・どうしたらいいのか、分からなかった・・・

こんな事いう日が来るのは・・・分かっていたはずなのに・・・いざその時になると、やっぱり辛いものですね・・・

 そう言って、琴ははにかむような、苦笑いするような顔をして、うつむいた。
 そんな琴を見て、夢か現実かの区別が、亮にはつかなかった。一体、どんな顔して、この話を聞けばいいのかも分からない。

何の話をしているのかわからねえけど・・・もし他のところに移動しなきゃならねえっつうんなら、お前の親父さんに俺が土下座してでも頼み込んで・・・

ありがとう、亮さん。そんな風に言ってくださって・・・本当に、嬉しいです。
でも・・・だめ、なんですよ・・・

・・・!!!
なんでだよ!なんで・・・

私・・・天使なんですよ

 瞬間、亮は固まってしまった。今日はエイプリルフールでもない、この一年間一緒に過ごしていて、琴がそんな冗談が言えるとは思えない・・・だとしたら・・・

・・・本気で、言っているのか?

・・・はい。私は、亮さんをもとの優しい亮さんに変えるために・・・この世界へとやってきました。
・・・って、そうすぐには信じてくださらないと思いますが・・・

そりゃあ、いきなりそんなこと言われて、はいそうですかって、納得なんかできねえよっ・・・!!

・・・はい。唐突ですみません。
でも私、亮さんとお会いしたばかりの時、あの時お会いしたのが初めてではない、って・・・申し上げましたよね。それは、空の上・・・私たち天使の世界から、亮さんのこと見ていたからなんです。だから、ついずっと会っていたような気になってしまって、あんな事を・・・

 話が筋道だっているようで・・・そうでないようで・・・話に、頭がついていけない。

で、でも・・・!なんでいなくならなくちゃならねえんだよっ!!お前がいなくなる必要なんてねえだろう!ずっと俺たちと・・・俺といてくれるって・・・お前言ったじゃねえか・・・!!

・・・そうですね・・・いつかは別れなくちゃいけないのに・・・軽はずみな発言でしたね。すみません。
私たち天使は人間の心を癒すために、地上へとやってきます。そしてそれが完了すると、また、空の世界へ戻らなくてはいけないのです

そんな規則・・・破っちまえば・・・!

そしたら私・・・消えちゃうんです。どちらにしても、もう亮さんとはいられないんです・・・
それに、実を言うと、半年前に亮さんが俊明さんと和解した時に、すでに私の任務は完了していて・・・それでも、もう少しだけいさせて欲しいって・・・亮さんが正式に後継者として発表されるまで、待ってほしいって・・・随分と、延長させてしまっていたんです

・・・

 そう言うと、亮は黙って会場の方へ向かって速足で歩き出した。どうしたのかと、不安そうな顔で琴も後ろをついて歩いた。

ど、どうされたんですか・・・?
亮さん・・・!?

もう一回、俊と喧嘩してくるっ・・・!!!そうすればお前、もう帰る必要ねえだろっ・・・!!!

・・・・・いい加減にしてくださいっ!!!

 琴の怒鳴り声を、亮は初めて聞いた。驚いて振り向くと、琴はとてもむすっとした顔で、亮の事を見つめていた。

そんな事されて残ったとしても・・・私、全然嬉しくありません・・・!!子供みたいなこと、言わないでください・・・!!

・・・・・・
だって!じゃあ俺・・・!!!どうすればいいんだよっ・・・!!
お前がいなくなったら、俺・・・!!

 亮は琴に背を向けたまま、今にも泣き出しそうな顔で叫んだ。そんな亮の後ろ姿を見て、琴は少しだけ寂しい気持ちと、亮が自分の事をこんなにも想ってくれているのかという嬉しさで、胸がいっぱいになった。
 そして、後ろから亮の事をぎゅっと抱きしめた。

こっ・・・琴・・・!!

ありがとう、亮さん・・・私も、亮さんに会えて・・・本当に嬉しいです・・・別れるのも、亮さんと同じくらい辛いです・・・
でも・・・覚えていてください・・・私はいつも、どこにいても・・・あなたを見守っていますから・・・

・・・琴・・・!!
俺、ずっとお前に言いたかった事がある・・・伝えたかった事がある・・・

・・・はい・・・?

・・・いつも、傍にいてくれて・・・笑ってくれて・・・俺を、想ってくれて・・・ありが・・・とうっ・・・!!

!!!
・・・こちらこそ、です・・・

こっ・・・!!

 その言いかけの言葉とともに、亮は後ろを振り向いた。だが、もうそこに琴の姿はなかった。
 嵐のようにやってきて・・・嵐のように去って行ってしまったあの少女の事を、亮は一生忘れることはないだろう・・・

「ありがとう」って・・・もっと前から、あいつに・・・たくさん言ってやればよかった・・・もっと・・・!!たくさんっ・・・!!

 涙声でそう叫び、亮は壁にもたれかかって涙を流した。でも・・・そんな時だった。

大丈夫です。言葉にしなくたって・・・私はずっと、亮さんからたくさんのありがとうをもらいました。だから・・・私からも・・・
ありがとう・・・ございますっ・・・!!

・・・琴・・・!

 暖かい風と共に、亮にははっきりと聞こえた。あれは確かに、琴の声だった。

 そいて、亮は「ふっ」と笑って、壁から体を離して背筋を正した。
 そして衣装の襟元を正し、大きく深呼吸をした。

大丈夫だよ。安心して、そっちから見守っていろよ・・・
大好きだよ・・・琴・・・

 上を見上げる亮は、本当に凛々しかった。まさに、御曹司にふさわしい姿だ。
 廊下の奥からは、亮の名を呼ぶ美菜の声が聞こえた。

美菜

亮さ――ん!!
そろそろ始まりのお時間ですよーっ!

おうっ!!
今行く!

 亮は美菜たちのいる会場の方へと、走り出した。

 

私も大好きですよ・・・亮さんっ

ありがとうと言いたくて

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