詐欺令嬢(さぎれいじょう)。
それが、伯爵令嬢エヴァリーンの二つ名である。

ある日のこと。
ミヒガン伯爵家に、一人の男が訪ねてきた。
上品な身なりの、人の良さそうな男で、東域からやってきた商売人だと名乗った。
彼が持ってきた商品は、寝具だった。
上質な羽毛のみで作られた毛布、掛布団。東域で栽培される希少な絹から作られたガウンを、セットで販売しているそうだ。

こちらは、純粋な絹で出来ており、奥様だけではなく、お年頃のお嬢様も安心してお使いいただけます。

小さな子供には?

勿論(もちろん)ですよ! 汚れがつきにくく、口に入れても安心。まさに、お子様のために作られたと言って過言ではありません。

まあ、素敵! 私のお友達が、最近赤ちゃんが生まれたそうなの。お祝いに丁度いいわ。お一つ下さいな。

ミヒガン伯爵夫人は、男から毛布のセットを一式購入した。男はその場で代金を受け取ると、にこにこしながら馬で帰っていった。
男とすれ違いに屋敷に戻った人影があった。
年頃は、十六、七。さらさらの髪と、つぶらな瞳が可愛らしい少女だ。
少女は、男の後ろ姿をじっと見つめ、跳ねるように屋敷の中へ駆けて行った。

お母様!

あら、おかえり。エヴァリーン。

侍女頭が手に持つそれを見て、エヴァリーンは全て悟り、へたりと床に座り込んだ。

どうしたの? 具合でも悪いの?

お母様! それ! もしかしなくてもさっきの男から買ったものですか!?

掴みかからん勢いのエヴァリーンに、母ミーナは朗らかに微笑んで「ええ」と言った。
ああ、やっぱり。全て手遅れだったのだ。

あの男、詐欺師(さぎし)ですよ! 裕福な家に訪問して商品を売りつける……さっき、町で手配書を見ました。

あらまあ。

ミーナは、驚いて目を真ん丸にした。そして、いたって平静に微笑んだ。

そうだったの。また、やってしまったのね。まあ、過ぎたことは仕方ないわね。

母のお決まりの言葉と笑顔には、敵わない。
エヴァリーンは、がっくり肩を落とした。
町に買い物に出る間の、僅かな時間だから大丈夫と思っていた自分が馬鹿だった。母のことを責める資格はない。
母ミーナは、恐ろしいほど純粋で、お人よしである。貴族の一人娘で、花よ蝶よと育てられ大切にされすぎた結果、人を疑うことを知らずに育った。
子供が病気、財布をすられた、多額の借金で首が回らない―――赤の他人の口から告げられたことでも、信じてしまう。
ミーナは、詐欺師にとって最高のカモだった。
おかげで、ミヒガン伯爵家は、ありとあらゆる詐欺に引っかかり、お金を取られ、挙句その事実を面白がった人たちによって、『詐欺貴族(さぎきぞく)』という名を広められてしまった。
詐欺貴族の一人娘であるエヴァリーンは『詐欺令嬢』と呼ばれている。社交界デビューした時には、そんな不名誉な名で呼ばれていた。
そのせいで、年頃のエヴァリーンには、浮いた話は一つもない。黙っていればそれなりに美しい娘であるが、危なっかしい母親のお目付け役に忙しい日々で、パーティーや結婚相手探し(こんかつ)どころではない。

これは、私が片付けておきますね。

買わされた品物一式を侍女頭から受け取ると、エヴァリーンは屋敷の最奥にある倉庫に向かった。
そこには、ミーナが詐欺師に騙(だま)され購入した品々が、整理整頓されて置かれていた。売りつけた詐欺師を捕まえて、必ず返品してやろうと、エヴァリーンが保管しているのだ。
整理整頓が苦手なミーナに代わって、エヴァリーンが空き部屋を改装して作った。
ここに来れば、詐欺貴族のこれまでの歩みが一瞬で分かる。
毛布セットは、大きなチェストの中に、綺麗に畳んでしまった。よく見ると、同じような毛布や、シーツなどが、他の引き出しにもしまってあった。
溜息しか出てこない。

詐欺貴族の名に、また箔がついちゃったわ。

自嘲(じちょう)気味の呟きが、空しく響いた。
詐欺令嬢―――何度も詐欺に引っかかっている貴族の娘。
結婚しようものなら、もれなく、詐欺師を引き寄せる義母(はは)と、多額の借金が付いてくる。
悲しいことに、噂はあながち間違ってない。
詐欺の被害額は、全て合わせれば王都に豪邸が建つくらいだ。知人に借金をした経験もある。没落しないのが、不思議なほどだ。

これじゃあ、結婚は当分無理ね。

エヴァリーンは来月、十八になる。二十歳を迎えた未婚の令嬢は、一般的に嫁(い)き遅れと言われる。
もう時間がない。父は、単身で王都に出向き、働きながら娘の縁談をまとめようとしてくれているが、いい報告は来ていない。
エヴァリーン自身も、結婚に前向きにはなれない。目を離すと騙される母親を、放ってはいけない。
ただ、娘が嫁き遅れとなれば、伯爵家のお荷物になる。娘はエヴァリーン一人で、下に寄宿学校に通う弟がいる。
いずれ弟が家督を継ぐ。それまで、あと数年。長いようで、長くない。
今は良いとしても、一、二年後には、本格的に相手を見つけなくてはいけない。
もっとも、良い縁談が舞い込んできても、結婚詐欺ではないかと、先に疑いが湧いてくる。詐欺令嬢の悲しき性だった。
侍女頭の呼ぶ声で、リビングに戻ると、お茶が用意されていた。

気を取り直して、お茶にしましょう。

母のこういうところが羨(うらや)ましい。
過去のことを、いつまでも引きずらない。
騙す側にも事情がある。お金でその人が救われると信じ、許すのよ。それが、母の口癖だ。
大海原よりも深い懐に包まれ、一気に毒気を抜かれてしまった。エヴァリーンは、大人しく席について、紅茶に手を伸ばした。
その時、玄関のドアベルが鳴った。

お母様は座ってて。私が行くから。

エヴァリーンは、手にしたばかりのカップを置いて、そそくさ玄関に向かった。

もしかして、また詐欺!?

ドアベルが鳴ると、無意識に詐欺を想像してしまう。詐欺令嬢の悲しき性は変えられない。
エヴァリーンは、恐る恐る扉を開けた。
エヴァリーンは、目を丸くした。来訪者は、金髪の美丈夫だったからだ。エヴァリーンの知人に、こんな美形はいない。

やあ、エヴァリーン。約束通り、迎えに来たよ。

いきなり名前で呼ばれて、エヴァリーンは警戒心を強めた。

……誰?

覚えてない? 僕だよ。

これまで幾度となく繰り返してきた悪夢が、脳裏をよぎる。
そこへ、エヴァリーンを心配したミーナが現れ、ぱあっと顔を輝かせた。

トールじゃない! まあ、大きくなって……

トールって……

一人だけ思い当たる人物がいる。子供の頃、近所に住んでいた男の子が、そんな名前だった。けれど、

嘘! だってトールは……

エヴァリーンの知る彼は、目の前の青年とは全くの別人に見える。

嘘じゃない。言っただろ。約束通り、迎えに来たって。

トールは、にっこり微笑む。
女性なら誰しもが見惚れる、完璧な笑顔。それが、詐欺令嬢には胡散(うさん)臭く見えて仕方ない。
突然の再会に、エヴァリーンは唖然(あぜん)とするしかなかった。

押しかけ婚約者には要注意! part1

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