Episode1 何で!? 

               



  

 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合のよう。

それはまさしく彼女、鷺山闘子(さぎやまとうこ)のためにあるような言葉だ。

 すらりとした長身に、凛とした雰囲気を漂わせるぴんと伸びた背筋。その背に流れる髪は、思わず触りたくなるような艶やかさである。

 その上、彼女は容姿にも恵まれていた。

 なめらかな肌の小づくりな顔。そこには計算しつくされたかのように、配置良く顔のパーツが置かれている。
 すっとのびた鼻筋、アーモンド形のくっきりとした瞳、小さくふっくらとした桃色の唇。

鷺山せんぱーい!
おはようございます!

おはよう!

  その魅力的な唇から放たれる声は、溌剌としていて聞くものに元気を与えるような不思議な力がある。

今日も先輩、素敵ねー……

 しかも成績優秀、運動神経も抜群である。それなのに妬まれることもなく、同性からは慕われていた。

 非の打ちどころがない鷺山闘子。彼女の人生は、今まさに順風満帆――

あ、児島君、おはよう!

お、おはよう……

あのね、放課後、ちょっと話があるんだけどいいかな……?

うん……

児島君、どうしたのかな。
まさか……ね……

 とまでは流石にいかなかった。彼女にも欠点はあるし、わりと深刻な悩みがあるのだ……。



 


 
     

 ――そして放課後。

 

 闘子は児島を人気のない教室に誘い込んだ。

鷺山さん、話って何かな……

児島君、何だか元気ないね、大丈夫?

大丈夫だよ……。
それよりも要件を……

そう?
じゃあ言うけど……

あのね、私、児島君の事、
好き、なんだけど……

えっ!? 無理!

あっ、児島君!

 児島は闘子の言葉を最後まで聞くことなく、脱兎のごとく駆け出して行った。

 リノリウム張りの廊下に、児島の慌ただしく駆けて行く音が響く。

 闘子は呆然とその音を聞いていた。

また振られちゃった……

 付き合う前に振られたのはこれで4回目。付き合ってから振られたのは3回目。それも二日以内に必ずだ。

 闘子は好きな男の子に逃げられてばかりだった。最初は優しく接してくれても、闘子が好意をもって近づいた途端、顔を引きつらせて去ってしまう。なぜ彼らが逃げるのか、闘子にはまるでわからなかった。

 そもそも男子たちは闘子のことを怖がっているようで、あまり近寄ってきてくれることがない。彼らを脅かしたりしたことなんて一度もないのに……。
 だからたまに優しくされると、ついつい闘子はその人のことを好きになってしまうのだった。

やっぱり児島君、私の事怖がってたんだ……。何でかなあ……?

 毎度のことではあるが、振られるのは辛いし慣れそうにない。闘子はじんわりとこみ上げてくる涙を拭って、ふらふらと歩き出した。

あっ!

 しかし足を踏み出した途端、闘子は椅子に足を引っかけて盛大に転んでしまった。目を擦っていたせいで、前をよく見ていなかったのだ。

ううっ……

 泣きっ面に蜂である。悲しみに痛みが上乗せされたおかげで、闘子は今度こそ本格的に涙を流した。

 悲しくて悲しくて、涙が止まらない。おまけに鼻水まで出てくる始末だ。

何か、凄い音が……

 折悪くも開け放たれた入口から、見知らぬ少年が顔を覗かせた。同級生なら大体見覚えがあるので、彼は多分下級生だろう。

……

 彼は何故か、闘子を見て驚いている、ように見える……。

また、怖いって思われてるのかな……。早くどこかへ行ってくれないかな

 闘子は慌てて涙を拭った。みっともない泣き顔を見られるのは恥ずかしかった。

……あ、大丈夫ですか?

え? あ、うん……

血が出てますよ。痛かったでしょ?

はい、これ使ってください。

 そう言って少年がポケットから取り出したのは、一枚の絆創膏だった。闘子はおずおずとそれを受け取る。

ありがとう……。
あの、君、三年生じゃないよね。名前は?

えーと……二年の雲母徹(きららとおる)です

変わった苗字でしょ

そうだね。こっちでは聞いたことがない苗字かな……

地元でもあんまりいなかったけどね

地元……?
引っ越してきたの?

そーです。俺、転校してきたばっかりなんだ

じゃ、お大事に!

うん、ありがとね……

 徹を見送る闘子の心に、さっきまでの悲しみは跡形もなくなっていた。代わりに幸せな気持ちが少しづつ満たされていく。

 徹が立ち去った後も、闘子は彼のいた場所をぼんやりと眺めていた。

……

 彼女の目には、去り際に彼が残した爽やかな笑顔が焼き付いている。

 見ず知らずの闘子のことを心配してくれた。しかも笑顔まで向けてくれた……。男の子が笑いかけてくれたのなんて、何か月ぶりだろう。闘子の胸が感激のあまり熱くなる。

    


 

 










   

徹君……なんて優しいの……

 振られて5分後、闘子は新たな恋に落ちた……。

      










   

 

 

雲母徹君、かあ……

 新しい恋を見つけた闘子の足取りは軽やかだ。
 鼻歌交じりで、苔むした石段を軽快に上る。

笑顔が素敵だったな……

 鳥居をくぐると、見慣れた境内が闘子の目の前に現れた。

 ここは自宅からそう遠くはない蓮美神社。闘子のお気に入りの場所である。しかもご利益は縁結び。今の闘子にぴったりだ。

今度の恋は上手くいきますように……!

 と恋する度に、闘子はこの神社で祈っている。

 7回の告白の中で、3回もOKをもらえたんだからご利益はきっとある。闘子はそう信じて疑わない。ここは霊験あらたかだと有名だったし、何より幼い頃この神社のおかげで救われたことがあるからだ。あの時の経験は、闘子に確信を抱かせた。ここには神様が宿っているのだと。

 だからお賽銭だって惜しまない。闘子は気前よく千円札を賽銭箱に突っ込んだ。

キューン……

ん……?

 犬のような鳴き声が聞こえて、闘子は背後を振り返った。

 変わった狐だった。ふわふわの真っ白な毛並み。眉間には朱色の模様が付いている。それが闘子をじっと見つめている。

もしかして、シロ?

クゥン

 闘子が目を輝かせて尋ねると、狐はまるで「そうだ」とでも言っているみたいに小さく鳴いた。

久しぶりだね。
元気だった?

クーン……

また会えて嬉しいよ。あれから全然会えなくなっちゃったから、どうしたのかなって気になってたんだよ

 10年ぶりかなあと呟きながら、耳の後ろを撫でてやる。狐は気持ちよさそうに目を閉じて、ぺたりと座り込んだ。

相変わらず綺麗な毛並みだねえ。お家の人が大事にしてくれてるんだね

 経った年数を考えれば、この狐は老齢になるはずである。しかし老いを感じさせない美しい毛並みは、昔の姿とちっとも変わっていないように見える。そのせいだろうか。こうしてふかふかの毛並みを撫でていると、自然と昔のことが思い出された。

  
   
 

 あれは闘子が7才の時の事。あの日も、今日みたいな気持ちのいい陽気だった。闘子は友達の家から帰る途中で――




         

幼い闘子

どうしよう……

   

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