劇団『振動する槍』は犯人が発覚した為、公演を続けることを決めた。
劇団『振動する槍』は犯人が発覚した為、公演を続けることを決めた。
代役決めたのか?
ああ
彼女にはちゃんと話したか?
いや、まだだ
どうせもう新聞に出ているから知られてしまっただろうとケントは思う。
お前、あの後見舞いに行ったのか?
いや……
またハムレットに追い返されるのが目に見えてる。
ケントのその冷めたような態度にホレイショーはムカついた。
まさかホントに女優としてしかみてなかったんじゃねぇだろうな
まさか!
ホレイショーの罵りをケントは即座に否定する。
そんなわけないだろう!
ならどうして顔を見に行かない
……行けないんだ。
彼女になんて言ってやればいい
ケントは下唇を噛む。
オズワルドにしろオフィーリアにしろ悪いのはオレだ。
オレはどちらの嫉妬にも気付いていた。
だけど、彼女の人気が高まれば認めざるを得なくなるだろうと、今まで知らない振りをしてきた。
その結果がこれだ!
自分への怒りでわなわなと振るえ、目も真っ赤に充血している。
どうして怪我をしたのはオレではなく、コーディリアなんだ!
ケントは壁を叩いた。
ホレイショーが、はあと大きな溜息を吐く。
お前家にも戻ってないだろ
……明後日再開させるんだ。帰れるわけないだろ
それでも一度家に帰れ。
そんな酷い顔で客の前に立つつもりか?
劇団の代表がそんな面じゃあ客もドン引きだ
そんなの
言っとくが、メイクで誤魔化せるのにも限度があるぞ
……
ケント。オレが助言したことで間違ったことがあるか?
ホレイショーに言われて都を出たことでコーディリアと出逢えた。
他にも学生時代から彼の助言には助けられてきた。
……無いな
だろう?
あまりにもドヤ顔するので小憎らしいが、事実だ。
馬車は捕まえてある。
その面で街中歩いてたらご婦人に叫ばれるからな
そんなに酷いか
ケントは未だ躊躇いを見せたが、ホレイショーに急かされて漸く馬車に乗り込んだ。
逢って抱きしめてやるだけでいいのに。
ややこしい奴
ケントが家に帰るのを渋る理由は他でもない、コーディリアの居ない事実を悟るからだった。
それは、玄関を入ってすぐにやってきた。
玄関はいつもコーディリアと一緒に入るか、一人で出ているときは必ずコーディリアは笑顔で出迎えてくれた。
馬鹿ホレイショー
ホレイショーはこの寂しさを知らない。
戻ってきたのは失敗だった。
あいつの助言も全て良い方向へいくとは限らないな
まんまと乗せられた自分を戒める。
新聞と郵便が山のように溜まっている。
それをどさりとリビングのテーブルの上に置き、ケントはソファーに沈み込む。
……
目を閉じれば笑顔の彼女が浮かび上がった。
一緒に食べる食事の美味しさ。
休演日をのんびり過ごす暖かさ。
共に観た作品について語り合い。
互いにホレイショーやハムレットといった友人の愚痴を零し合う。
彼女が傍に居るだけで、些細なことに幸せが伴った。
護りたいと思った。
なのに!
傷付けてしまった。
泣かせてしまった。
あのまま故郷に返していれば怪我をすることもなかったんだろう。
小さな物音に目を開ける。
机に置いた新聞や手紙が幾つか床に落ちたのだ。
はぁと溜息を吐いて立ち上がり、拾い上げる。
ふと、床に落ちた一通の手紙に目が留まる。
『To.ケントさん』
その文字だけで一瞬で送り主が判った。
コーディリアからだ
それだけで体温が二、三度上がった気がした。
情けないことに開封する手が震える。
丸く可愛らしい文字はコーディリアの声で再生されていく。
そこには退院の許可が下りたことと、故郷に帰り療養する旨がごくごく簡潔に記されていた。
コーディリアが、故郷に帰る……
文末は、ありがとうございましたと締められている。
気が付いたら走り出していた。
手紙が届いたのがいつかはわからない。
もうすでに都を発ってしまったかもしれない。
それでも足は止まらない。
明後日の公演?
そんなこと構ってられない。
さっきまで考えていた様々なことが一瞬でどうでもよくなった。
この想いから比べれば、実にくだらないことだった。
彼女に会いたい!
彼女の故郷へ直接向かう馬車はない。
その隣町へ向かう馬車はよく知っている。
なぜなら世間の目が痛くて都から逃げるあの日、勢いで乗り込んだからだ。
ホレイショー、やっぱりお前は間違ってなかったよ!
馬車の乗り場のある通りに辿り着く。
膝に手を付いて呼吸を整える。
通りの先に、コーディリアがハムレットに支えられながら馬車に乗り込む姿が見えた。
ハムレットが乗り込むと出発してしまう。
その馬車待てー!
まさか自分の人生で馬車を全速力で追い掛ける日が来るとは思いもしない。
街中の人が何事かと振り返る。
構うものか!
こちらは人生の一大事なのだから。
そこの馬車止まってくれー!
御者が気付いて止まった。
追い付いて縋り付くように飛び乗り、窓越しにコーディリアの姿を確認する。
行くなコーディリア!
ケントさん!?
息が上がる。
肝心なところで言葉が出てこない。
……っ行く、なっ!
お前、今更なんだよ!
ハムレットがコーディリアの肩越しに吠える。
深呼吸して息を吐き出しながら叫ぶ。
今更気付いたんだ!
今更、君が傍にいないことが耐えられないって!
気付いたんだ!
馬車の中でコーディリアが頬を朱に染める。
でも、わたし、暫く女優は出来ません。
ここに居てもケントさんの邪魔になっちゃうだけだから
そんなことはない!
ケントは残った体力の全ての力で否定する。
女優なんて、この際どうでもいいんだ!
どうでもって……
ハムレットが瞠目する。
何より、オレが君に、
傍に居てほしいんだ!
一緒に生きていきたい。
この狂おしい程の強烈な想いに勝るものは何ひとつない。
ケントさんっ!
あっ!
涙をいっぱい溜めてコーディリアが馬車から飛び出す。
それをケントはふわり受け止めてそのまま抱き締める。
わたしもケントさんと一緒にいたい!
わっと周囲にいた人々から拍手喝采が起こった。
ふとコーディリアは舞台上にいる感覚に陥り、心配になったので聞いてみる。
あの、これ、演技じゃないですよね?
そんなわけあるか!
こんな人前で恥ずかしいこと、演技でも二度としたくないよ
後日、新聞に二人の記事が載る。
《女優コーディリア、座長ケントと路上でロマンス》
あれは次の舞台の演出ですと釈明して、結局演らざるを得なくなったのはまた別の話……。