『壇上から消えた! 女優コーディリア奈落落下し負傷。残りの公演は中止か!?』




 今朝の新聞を前に、ケントは魂が抜けたようにぼうっとしていた。
 記事の内容まで読む気にはならなかった。


 左頬が痛い。
 ハムレットに殴られたものだ。

 なんの処置もしていないので赤黒く腫れている。
 夕べは病院からふらふらと歩いてそのまま稽古場の応接室に居た。
 一人で家に帰る気にはならなかったのだ。

 ケントはコーディリアの舞台を観客の一人のように次はどんな演技をするのか、どんな表情をみせるのか、楽しんで観るようになっていた。

 はじめは自分が教え育てたものだが、彼女は日々、舞台上で成長していった。



 次の舞台は一緒に立ちたい。


 そう思っていた矢先だった。


 壇上から彼女が忽然と姿を消したその瞬間、世界が止まった。


 でもそれはケントだけが感じたものだった。
 周りの人々は動いていた。
 団員の一人に呼び掛けられて、そのことに気付く。


 早く彼女の元に駆けつけたかったのに、思うように足が進まなかった。

 周囲がスローモーションで再生されているようだった。


 ようやっと辿り着いた奈落の底。

 闇の中で灯りに照らされた人形のように動かない彼女の姿を見て、全身の血が一気に流れ出ていくような感覚に襲われた。


 そこから命に別状はないと医者に言われるまでの記憶がはっきりしない。
 ホレイショーが居た気がしたが覚えていない。

ケントさん、ここに居たんですか

 呼び掛けられた声にケントはハッとして顔を上げる。

 ケントの憔悴し切ったその様子に、声を掛けた団員は続きを話し掛けるのを躊躇っていた。

……どうした?

今後の打合せをしようとみんな集まっていて……

わかった。顔を洗ったら行くよ

はい、すいません

 結局少しも眠れなかった。



 通常、あのシーンで舞台の切穴は開いていない。

 誰かが開けたんだ。

 稽古場で団員が勢ぞろいしている。

代役を立てますか?

いや、その前にはっきりさせておかなければならないことがある

 ケントは一呼吸置いた。

昨日、奈落への切穴を勝手に開けた奴は誰だ?

えっ!?

 突然の犯人探しに団員がざわめき立つ。

ミスしたんだとしても正直に言ってくれ。
出なければこの先、みんなが安心して舞台に立てない

 そうだろう、と見渡してみせるとみんなぎこちないながらも頷く。

見知らぬ奴を見た者、いつもと異なった動きをした者、なんでもいい、気になったことを教えてくれ

 すると、一人が恐る恐る手を上げる。

あの、関係ないかもしれないけど、一昨日オズワルドが舞台装置を弄ってたのを見掛けました

壊すんじゃねぇよって声掛けたら、なんか慌てて逃げていったのが今になって不審だなって

どうなんだ、オズワルド?

い、いえ、オレは、ただ見ていただけで

お前、コーディリアにティンクチャーの役獲られたから恨んでやったんじぇねぇだろうな!

そうだ、こいつ裏方面白くなさそうにやってたよな

 口々にオズワルドが怪しいと言い出す。

オ、オレがやったって言う証拠でもあるんですか!?
濡れ衣ですよ!

じゃあなぜお前と関係ない装置を弄っていたんだ

使った事ないから試したんじゃないか?
本番ですぐに使えるように

こ、今後裏方メインでもいいなって思いはじめたんですよ。
前からどんな機構なのか興味あったし

じゃあこれはなんだろうな?

 ホレイショーが入ってきて何か本のようなものをを突き出す。


 公演中のダブルスーサイドの台本だ。

 表紙にオズワルドとサインしてある。自分の台本には表紙にサインするのが決まりだ。

コーディリアが奈落に落ちた場面の数行前にばつ印が付けてある。
さて、これはなんの印だろうな?

ホレイショー、お前いつの間に

そ、それはっ……

 オズワルドは握り締めた手をぶるぶると震わせながら、俯向いて床をじっと見ている。

オズワルド、お前がやったのか

……あんたの婚約者に頼まれたんだよ


!?

オフィーリアが?

これからこの劇団の女役は全部あの女が持ってくだろうって言われて、我慢ならなかった。
ずっとオレが演ってきたのに

 コーディリアが来るまで『振動する槍』の公演の女役は、細身で声の高いオズワルドが殆ど演じていた。

 本当の女性に負けないくらい身のこなしも淑やかで、言葉も丁寧だった。

 役を下されたのは彼の演技が悪かったわけでは決してない。

オフィーリア様も劇団を得体の知れない女優に乗っ取られたくないって言ってた。
邪魔者は舞台から降りてもらった方がみんなのためだろうって

なんてことを……

 ケントは右手で顔を覆う。

 入院中のコーディリアの元には第三皇子フォーティンブラスが見舞いに訪れていた。


そんなに落ち込むことはない

 沢山の花束を抱えてきたので、消毒くさい病室が一気に花畑にいるような心地になる。


はい……

君の復帰を待っているよ

 優しく微笑んで帰っていった。

 入れ違うようにしてハムレットが入ってくる。

うわ、なんだこの花!?

 当然その病室の変わり様に驚く。

誰だ、今の?

この国の第三皇子フォーティンブラス様よ

へ?
そんな奴もコーディリアのファンなのか!?

 その第三皇子からプロポーズのようなものをされたことは、ややこしいことになりそうなので黙っておくことにした。

おっと。
それより見ろ、今日の新聞


《コーディリア骨折、代役を検討》

 ”代役”という文字がコーディリアの胸に突き刺さる。


 当然といえば当然のことだ。

 劇団のためにはこの後の公演を全部中止するよりも、代役を立てた方がいい。


 だけど今の彼女にはそれをすんなりと受け入れられる余裕がなかった。

 自分が持ってきた新聞を前に固まってしまったコーディリアをみて、ハムレットは舌打ちした。


あいつ今日も来ないつもりか

 見捨てられたのかもしれない。

 代役には別の女の子を連れてくるのだろうか。

 女優としてしか、見てもらえてなかったんだろうか。

ケントさん……

 せめてもう一度会いたい。



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