冷たい石畳に叩きつけられるように放り出され、ゲェゲェという鳴き声が交じる気持ち悪い声で、そのリザードマンは言った。
冷たい石畳に叩きつけられるように放り出され、ゲェゲェという鳴き声が交じる気持ち悪い声で、そのリザードマンは言った。
お前は今日からうちで働け。お前を殺さず買ってやったんだからな
嫌だという、簡単な拒否権すら、わたしにはなかった。
ここはリザードマンの住む谷底の村。森で迷子になったわたしは、狩りをしていたリザードマンたちに攫われ、そして奴隷としてこのリザードマンの主に売られた。
わたしはリザードマンの奴隷として、死ぬまで働かなければならないのだ。
爬虫類独特の虹彩の長いギョロリとした目で睨み付けられ、わたしは声も出せずに怯えていた。するとそのリザードマンの主はわたしに皮の鞭を打ち付けた。
ゲェゲェと、笑いながら。愉快そうに笑いながら!
喋れないのか! 返事をしろ!
……はっ、い……っ!
痛いのを我慢して、声を絞り出す。その返事も満足してもらえなかったのか、わたしはもう一度、鞭でぶたれた。
貴様は今日からうちで働く奴隷だ! 覚えておけ!
……は、はいっ!
ありったけの勇気を絞り出して、嫌々ながらも従順な返事をする。今度は鞭は飛んでこなかった。
その日から、わたしはリザードマンの家で奴隷としてこき使われる事となった。
リザードマンの食事は主に昆虫と果物。
虫嫌いのわたしは食事の用意のたびに卒倒しそうになるのを必死に堪えて、昆虫を潰し殺して食事として出すのだ。あえて生きている昆虫を潰して殺すのは、食べやすいようにするため。人間であるわたしに昆虫を食べるという感覚は理解できないけれど、リザードマンにとって昆虫はかなりのご馳走なのらしい。
そして果物。果物は皮ごとザクザクと切ればいい。これはすごく楽。彼らの目を盗んで、こっそりつまみ食いする事もある。見つかれば、また鞭が飛んでくるのだけれど。
奴隷であるわたしの食事は主に、リザードマンの主が食べ残した果物だった。
一応小麦でパンを焼いてもいいという許しは得ているので、食事の用意や掃除の合間に自分用のパンを焼く。都合のいい奴隷であるわたしに死なれては困るから、リザードマンの主も渋々許可してくれたのだ。
小麦を水で捏ねただけのパンは味気ない。けど、生きるためには必要なものだ。
食事の用意が終われば、掃除をする。
リザードマンは爬虫類であるせいか、一日が終われば、なぜか家中に粘液のような臭いのキツイ汚れが付着する。それはベトベトしていて、掃除が終わって何度手を洗ってもベタつきは残るし、臭いもとれない。
寝床は藁で、それも毎日、汚れたものと新しいものとを取り替えなければいけない。
かなりの重労働だけれど、サボれば主の鞭が飛んでくる。容赦無い鞭はわたしの全身にミミズ腫れをこさえていた。
わたしは賢明に仕事をしているつもりだったけれど、主にしてみれば、わたしの仕事ぶりは気に入らないらしく、事あるごとに鞭はわたしを打ち付けた。わたしの何が気に入らないのか、聞いてみる気にもならない。リザードマンなんかと楽しく会話なんてできるはずがない。だってわたしは奴隷なんだもの。
つらい。家に帰りたい。だけどここから一人で逃げ出せない。だってわたしはただの女の子で、特別な力がある訳でもないし、魔法が使える訳でもない。誰かが助けてくれるのを、ただただ待ち望むだけ。希望なんて全くないけれど。
最初のうちは、まだ抵抗する気持ちもあった。
虫が怖いと訴えたが、当然ながら聞き入れられず、わたしには鞭が飛んできた。
食べ物を食べないと力が出ないといえば、食べかけの果物=わたしが用意したものをゴミでも放るように投げつけられた。
わたしはここでは自分の意志すら持ってはいけないんだ。
それが分かった時、最後の希望は打ち砕かれた。だから従順に振る舞う事が、一番わたしにとって利口な行動なのだと、鞭を何度も食らってから気付かされた。
私の意志なんて必要ない。
ただ、リザードマンの主の指示に従って、身をボロボロにしながら働けばいい。
わたしは考えることをやめた。
苦手で嫌いんなものなんて、すぐには克服できない。だから、息を止めて、顔を背けながら、採ってきた昆虫を潰して皿に盛り、果物を切り、掃除をする。繰り返される毎日に、わたしの心はどんどん蝕まれていった。
主へ対する返事は最低限になり、分からない事があっても誰にも聞く事もできない。そしてミスをしては、鞭で打たれる。わたしはその痛みに必死に堪えるだけ。
感情の起伏が無くなるよりもなによりも、笑うことなんてとうに忘れた。毎日毎日同じことを繰り返し、鞭で打たれ、そして泣きながら眠る。まだ涙がでるのかと、この時ばかりは少々驚きという感情が蘇ってくる。
でも、ほとんど眠れない夜が明ければ、また同じ日を繰り返す。
……いつまで……繰り返すんだろう、こんな毎日。いっそ過労で死んでしまった方が楽かもしれない。
心が……わたしの心が、ゆっくりと死んでいくのがはっきり分かった。