優華とかいう女が出ていったのを確認すると、わたしは戴輝の方を向きなおした。
あの女のことははじめから気に入らなかった。
あのように、おとなしい女は嫌いだ。
腹の底でなにを考えているのかがわからぬ。
…行った、か。
優華とかいう女が出ていったのを確認すると、わたしは戴輝の方を向きなおした。
あの女のことははじめから気に入らなかった。
あのように、おとなしい女は嫌いだ。
腹の底でなにを考えているのかがわからぬ。
蓮の話だ。
戴輝の瞳が、一瞬にして鋭い光を放ったのがわかった。
近頃、なんの動きもないのだ。
むしろ、他のどの家より忠実だと言ってもいい。
最近、ずっとそのことが引っ掛かっていた。
わたし達の結婚後から、蓮は本当におとなしくなった。
はじめの頃、わたし達は奏多(かなた)と優華のことを、蓮からの間諜だと思っていた。
しかし、ふたりに不審な動きは見られない。
しかし、だからといって、たやすくふたりを信じるわけにはいかない。
もしかしたら、わたし達が気づくことができないでいるだけなのかもしれぬ。
だとしたら猶更厄介だ。
あやしいとは思わぬか?
戴輝は、否定も肯定もしなかった。
それは、まるで、あの女をかばっているかのようにも見えて。
腹立たしさを感じたわたしは、意地悪くこんなことを口にした。
…あの女とは、うまくいっているようだな?
すると、戴輝はそんなことを言われるとは思ってもなかったのだろう。
わずかに目を見開いた後、ふっと笑ってこう言った。
…優華は、いい子ですよ。
その眼が。そう言った戴輝の眼が、やさしくて、いっそう腹が立った。
あの女が間諜であるにしろ、そうでないにしろ、父上の仇の娘であることには変わりがない。
…それなのに何故、そのような眼であの者を見つめるのだ。
…もうよい。
そうわたしが言い放ったのと、あの女が戻ってきたのはちょうど同時だった。
腹が立ったまま、あの女の方を見ると、女は少し気まずそうに視線を逸らし俯いた。
その様子に腹が立ったものの、わたしは何事もないような顔をして部屋を出て行った。
あのふたりを見ていても、腹立ちが増すだけだ。
戴輝のわたしを呼びとめる声が聞こえたが、それはすべて無視した。
しばらく廊下を歩いていたその時、ふとうしろにぬくもりを感じた。
このようなところでなにをしておいでなのです?
白く小さな、しかし凛とした美しい背中を見つけた、と思った次の瞬間には、うしろから抱き寄せていた。
男でさえも圧倒される剣の腕。
鍛えられた体は、華奢ながらもしっかりとはしていたが、女性独特の丸みは失われていなかった。
抱きしめると髪の香がふっと漂った。
化粧っ気など無い彼女のことだ、なにかをつけているわけではあるまい。
…では、これは彼女自身の香だ。
奏多っ!?
このまま彼女を腕の中に納めていたい。
そんな俺の願いはむなしくも崩れ去った。
気がつくと、彼女は俺の腕の中にはいなかった。
目の前で、俺に向き合い、真っ赤な顔をして睨んでくる。
…そのようなところもまた初心で愛らしいと、言えば彼女はいっそう赤くなるに違いない。
おまえこそ、なにをしているっ!?
慌てたようにそう問うてくる彼女に、ふ、と笑いかける。
…姫君がいらっしゃったので、思わず。
俺は自分の顔に自信があった。
こんな風に笑いかけて、甘い言葉の一つや二つかけてやれば、女なんてすぐ落ちるもの。
今までだってそうだった。
そうやって、あの生きにくい屋敷でも過ごしてきた。
女なんて、ただの駒に過ぎなかった。
だが、一番効いてほしいこの人には、俺の常套句も通用しない。
そのようなところが愛らしいと思う反面、もどかしさを感じることさえある。
そのような言い訳が通じると思うか!
真っ赤な顔でそう叫ぶ彼女。
そのような顔をするのは、彼女がそういうことに慣れていないからで、俺のことを意識しているから、というわけではない。
男として、なんとも悲しいことだ。
貴女が、愛らしいのがいけないのですよ?
うるさいッ
喜ばせるつもりで言ったのだが、みぞおちに鉄拳をくらってしまった。
さすがは戦姫といわれるだけある。
俺は一瞬呼吸ができなくなってその場にしゃがみこんだ。
二度とそのようなことをするなッ
そのうち、彼女はそう言い放って立ち去ってしまう。
荒い足音が、癇癪を起こす幼子のようで、なんとも愛らしい。
俺はみぞおちの痛みに顔をしかめながらも、なんとか立ち上がった。
嫌がられるのは好きだ。
女性の嫌がることをするのは楽しい。
怒られるのもよし、やりすぎて泣かれるもよし。
自分の性格がねじ曲がっているのはわかっている。
好きな女性の笑顔を見たいと思うのが普通だ。
そんな俺からしたら、彼女のように初心で、すぐに感情が表に出る女性は好ましかった。
しかも美人ともなればなおさらうれしい。
完全に俺の好みだ。
…そう、こんなふうに暴力的でなければ。
そろそろ動くか…
そう呟いた時、ふと俺はむこうに人の気配を感じ、静かに着物を正した。
急に機嫌を損ねた姉に、僕は首を傾げながらちょうど部屋に入ってきた優華に目を向けた。
彼女は姉に言いつけられたとおりに布を濡らしに行ってくれたようだ。
その手には真っ白の綺麗な布が握られている。
まったく、あの方はどうなされたのか。
仕方がない人だと、笑いながらそう呟く。
しかし、彼女からの返事がない。
優華は、常に僕の発言を一言も聞きもらすまいとしていた。
僕と言葉を交わすことを楽しいと言ってくれる彼女の微笑みにはいつも癒された。
つい勉学の話などをしてしまった時には、一生懸命考える彼女の姿を愛らしいと思ったほどだ。
そんな彼女が僕の言葉に返事をしない。
それを不審に思い彼女の方を見ると、彼女は俯いていて、その表情は僕には分からなかった。
…優華…?
そっと名を呼ぶと、彼女ははっとしたように顔を上げた。
揺れる瞳が、僕をとらえた。
今にも泣き出しそうなその表情に、僕は一種の危うい美しささえ感じて、息を呑んだ。
どうしたの?
静かに問いかけると、彼女はなにも言わずに頭を振った。
涙を呑むように笑顔を浮かべる。
なんでもないんです。
なんでもないわけがない。
そう分かっていながら、僕は彼女になんの言葉も掛けてあげることができなかった。